「あたしの人生は何だったんですか。あたしの時間は何だったんですか」
 ホテルの部屋に戻ってからも、ハクちゃんはずっと泣いていた。……こうなることはわかっていたけど、やっぱりしんどい。いや、わかっていたっていっても、予測したパターンのうちの一つってことで、その中では比較的対処のしやすい結果になったんだから、ありがたいといえばありがたいんだけど。ハクちゃんがショウコさんに飛びかかる可能性だって、あったんだから。
「あたし、何のためにあんな時間過ごしてきたの。お父さんに反発して、カエさんからもらったぬいぐるみ、ゴミ箱に捨てて。リンにひどいことまで言って……全部、ママのためだったのに。いつかママが、家に帰って来てくれる時のためだったのに」
 マイコ先生が、途中で購入してきたお酒を紙コップに注いで、ハクちゃんに渡した。ハクちゃんは、それを一気に煽ると、もう一杯要求する。う、うーん……。まあ、二泊することになってるし、たとえ潰れても大丈夫か。
「めーちゃんも飲む?」
「じゃ、ちょっとだけ」
 私も少しもらった。飲みすぎないように、注意しないと。今日ばっかりは、一緒に潰れるわけにはいかない。でも、素面じゃやってられない。難しいものだ。
「先輩、なんでなんですか。なんであたしを、ママに会わせたりしたんですか」
「めーちゃんのせいじゃないわよ。探したのはあたし」
 マイコ先生が、のんびりした口調で言葉を挟んだ。ハクちゃんが、マイコ先生を睨む。
「どうしてそんな真似を!」
「だってハクちゃん、実のお母さんに会いたがっていたでしょ。会わせてあげたら喜ぶかなって思ったの」
 優しく諭すように、マイコ先生は言った。……演技が上手だ。この結果を私たちが予測していたことなんて、ちらっとも滲ませていない。
「ええ、確かにあたしは会いたいって思ってましたよ! 会ったらママは『ハク、ハクなのね! 会いたかった!』て言ってくれるって思ってたから! なのになんで! なんでなの!」
 いや、なんでって訊かれてもねえ……。そもそも、一度も連絡が無いって話を聞いた時点で、妙だなとは思ったのよね。離婚したって、子供に会う権利はある。子供のためを思って面会権を放棄するケースもあるだろうけど、それは子供をしっかり育てていける人に渡した場合だ。ハクちゃんのお父さんは、どう見てもそういう人じゃない。
「ママ、あたしに会って、ちっとも嬉しそうじゃなかった! リンのことも、どうでも良さそうだった!」
 ハクちゃんはわあっと泣き崩れた。今まで信じていた世界が根底から崩れたんだから、仕方ないけど。
「あたし、あたし、ママのことずっと想ってたのに! あたしの人生を返してよ! あたしの時間を返してよ! あたし、何のために生きてきたの!?」
 突っ伏して泣くハクちゃんの髪を撫でながら、私はどうしたものかと考えた。……下手に言葉をかけるより、今のところは泣かせておいた方がいいかもしれない。マイコ先生の方を見ると、先生も頷いた。
 長い夜になるけど、覚悟しよう。始めたのは、私たちなんだから。


 その次の日。夜中過ぎまで泣き続けたハクちゃんにつきあったせいか、私が目を覚ましたのは九時過ぎだった。……さすがにちょっと寝すぎてしまっただろうか。
「めーちゃん、起きたの?」
 私より先に目を覚ましたらしいマイコ先生が、そう声をかけてくる。既に着替えもメイクも済ませてしまっているようだ。
「はい、起きました。ハクちゃんは?」
「まだ寝てるわ」
 あれだけ泣き喚けば、エネルギーも消耗するだろう。マイコ先生としても、自然に目覚めるまで寝かせておくつもりらしい。私はベッドから抜け出して、身支度のためにバスルームに籠もった。
 支度を終えてバスルームから出てくると、ハクちゃんはちょうど目を覚ましたところだった。夕べ泣き続けたものだから、目の周りが腫れぼったくなっている。
「おはよう、ハクちゃん」
「……昨夜は、すみませんでした」
 そう言って、ハクちゃんは私たちに頭を下げた。現状認識をできるぐらいには、落ち着いたみたいね。
「少しはすっきりした?」
 ハクちゃんは頷いた。でも、顔を見れば、まだわだかまりは残っているようだった。
「あの……少し、話を聞いてもらえますか」
「私はいいわよ」
「あたしもね」
 同時にうなずく、マイコ先生と私。ハクちゃんは一つ大きく息を吸って、話を始めた。
「あたしのお母さん、あたしがまだ幼稚園の時に離婚して、家を出て行ったんです。お父さんは何も説明してくれなかったし、姉さんは平然と――実の親子じゃなかったせいだと思いますけど――していたし、リンは赤ちゃん同然だし、誰もあたしの淋しさをわかってくれなくて、あたし、毎日泣き暮らしてました」
 断片的ではあるけれど、何度か聞いたことのある話だった。とはいえ、話すことでハクちゃんの気持ちに整理がつくのなら、聞いてあげよう。
「あたしの姉さんってすごくできが良くて、それと比べてあたしはできが悪い悪いって、いつもお父さんや家庭教師に言われてました。あの家であたしを可愛がってくれたの、お母さんだけだったんです。姉さんみたいにならなくてもいい、あんないい子すぎて気味の悪い子より、あたしの方がずっと可愛い、そう言ってくれて」
 だからハクちゃんは、お母さんが出て行った時に、その思い出にしがみついちゃったのか。で、年を経るごとに、その思い出はハクちゃんの中で、神格化されていったんだろう……うーん、年齢を考えると、それは仕方がなかったのかな。そんなハクちゃんに現実を見せたのは、やっぱり酷だったろうか。
「お母さんはいつか戻ってきてくれるって思ってたのに、お父さんはカエさんと再婚して。カエさんがいるから、お母さんは戻って来れないんだ。そんなふうに、あたしは思ってました。それで、リンと喧嘩までしたことあります。リンはお母さんの娘なのに、カエさんのこと『ママ』って呼んでたから」
 レンから聞いたんだけど、リンちゃんはハクちゃんとは逆で、自分の母親はその「カエさん」という人だけだと思いたいようだった。それは、もめもするか。
「……あたし、お母さんもあたしに会いたがってるって、今までずっと信じてきました。いつか会うことができたら、その時は喜んでくれる、あたしと一緒に住みたいって言ってくれるに違いないって。……それなのに」
 ショウコさんは、ハクちゃんと会って明らかに困っていた。関わり合いになりたくなさそうだったし……それに何より、そんな感情を隠そうとすらしなかった。
「お母さんはあたしのこと、望んでなかった。リンのことは、もっといらなそうだった。……あたし、これからどうしたらいいんですか。あたし、お母さんのこと考えて、お父さんやカエさんにたてついて来たのに。それ、全部無駄だったんです」
 ハクちゃんはそう言い終えると、気が抜けた黙ってしまった。過ぎて行った時間は、戻らない。それを今、実感しているんだろう。
「あのね、ハクちゃん。ハクちゃんはまだ二十代前半でしょ。幾らだってやり直せるわよ」
 私が何を言おうか考え込んでいると、マイコ先生が口を開いた。優しく教え諭すような口調で。
「あたしは、引きこもりですよ! 高校だってお情けで出してもらえたようなもんだし、大学にだって行ってません。あたしと同世代の子は、みんなもう大学を卒業して自分の人生歩いてるのに!」
「周りと無理に歩調をあわせる必要はないの。あたしのようなトランスの人の中にはね、もっと上の年齢まで、自分の真実を認められなかった人だっている。でもそこから、どうしたらいいかを考えて、自分の生き方を決めていって、頑張って生きてる……そんな人を、あたしは何人も知ってるわ」
 必死になって自分を騙せば騙すほど、どんどん苦しくなるんだって、マイコ先生は言ってたっけ。でも、吹っ切れたら楽になったって。お父さんがどう思おうと、自分は自分の人生を生きるんだって決めて。
「だからハクちゃんだって、やり直せるって、あたしはそう考えてる。あたしもめーちゃんも、ハクちゃんにこれからどうしたらいいのかっていう、その答えをあげることはできない。でも、答えを探すお手伝いならできると思うの」
 マイコ先生の言葉に、ハクちゃんの視線が不安げに揺れた。私はハクちゃんの両肩に手を置いて、自分の考えたことを言う。
「大丈夫。見つかるって信じてれば、見つかるのよ。意志あるところに道は開けるって、昔から言うでしょ」
 何年かかるかわからないけど、きっと道はみつかる。それに、自分が立っている場所がわかっていれば、道を探すのだって、ずっと早いはずなんだしね。最後まで本気でつきあってあげるから、だから、逃げないで。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 外伝その二十七【荒療治】後編

 めーちゃんとマイコ先生、つくづく物好きというか……ここまで親身になって関わってくれる人って、そうそういないですよ。

閲覧数:739

投稿日:2012/06/07 00:01:29

文字数:3,607文字

カテゴリ:小説

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  • 水乃

    水乃

    ご意見・ご感想

    こんにちは、水乃です。

    ショウコさん遂に登場しましたね。裁判やった時にどうにかお父さんの浮気の証拠がつかめてたらどうなっていたんでしょう。というより、親権とる気あったんですか?口調からは感じられません。
    だけど、どうにかハクには頑張ってもらいたいです

    2012/06/07 11:06:05

    • 目白皐月

      目白皐月

       こんにちは、水乃さん。メッセージありがとうございます。

       多分ショウコさんの出番はここだけになると思います。ほとんどお約束な人です。
       浮気の証拠があったとしても、ショウコさんが親権を取るのはかなり難しかったと思います。定職についてないから収入ありませんし。働くといっても、そう簡単にはいかないでしょう。この家の場合、お手伝いさんが複数いますから、主婦役の人がいなくても、子供の面倒を見るのに支障はないですしね。
       もっとも、ショウコさんが親権を取っていたら、リンはほぼ確実に早死にしていたでしょうから、取れなくて良かったんですが。
       親権を取る気は、それなりにはあったと思います。もっとも、親権って「子供への愛情」があるから、欲しがるというものでもないんですよね。相手への嫌がらせとか、そういうので親権を主張する人は、実際、珍しくないそうです。

       ハクは、ルカよりは恵まれた立ち位置にいます。ひとえにめーちゃんたちのおかげですが。こういう人って、やっぱりかなりレアだと思います。

      2012/06/07 21:15:58

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