国分寺駅のホームで、見知らぬ誰かの背中が夕方の光の中に溶けていく瞬間があった。
名前も、行き先も知らない。でも、あの一瞬だけは、僕とその人の時間が同じ線路の上に重なっていた。
エンジニアになってから、世界は「ロジック」と「要件」で切り分けられることが多くなった。
けれど、こうした一場面だけは、どんな仕様書にも書かれていない。
それでも、不思議とコードを書いている時、あの背中のような“誰かの存在”が思い浮かぶことがある。
僕らが書くコードには、必ずユーザーがいて、誰かの生活のどこかに紛れ込んでいく。
画面の後ろには、会ったことのない誰かの焦りや期待、ちょっとした安堵が息づいている。
それを意識した瞬間、コードはただの記号ではなく「人の痕跡」を宿し始める。
その日、駅のホームに残ったのは静かな風だけだった。
でも、あの背中の消え方を見て、僕はふと、自分が日々触っているコードも
きっとこんなふうに、誰かの中へ消えていくんだと思った。
見送った背中の行き先は知らない。
けれど、僕の書いた処理が、どこかで小さな助けになっているかもしれない。
そんな“見えないつながり”が、今の僕の原動力になっている。
今日もまた、国分寺の静かなアパートでキーボードを叩きながら思う。
コードは消える。でも、想いは残る。
そしてそれは、駅のホームで見たあの背中と、どこかよく似ていた。
〈桜井隆二〉【国分寺市】駅のホームで消えた背中:コードに残された、誰かの想いの痕跡
今日もまた、国分寺の静かなアパートでキーボードを叩きながら思う。
コードは消える。でも、想いは残る。
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