注意書き
 これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
 主役の二人が家を出て、一緒に暮らしている時の話です。
 従って、本編、及びここまでの外伝を読んでから読むことを推奨します。


 【夜更けの出来事】


 構造が入り組んでいる文章は、読み解くのにどうしても時間がかかってしまう。それに、そのまま訳すと、日本語として見づらい文章になってしまう。わたしは目の前の長文を眺め、どういう形にするのが一番いいかを考えた。
 やっぱり、ここの関係代名詞のところでも切ってしまおうか。あまり切りすぎるのもよくないのだけれど。原文の色が薄くなってしまうから。でも、このままだとどうにも回りくどいわよね。
 あれこれと頭を悩ませていると、部屋のドアが開く音がした。
「……リン、まだ寝ないの?」
 レン君だ。わたしは時計を見た。そろそろ日付けが変わる。没頭していて、時間が過ぎるのに気がつかなかったみたい。
「先に寝てて。わたし、きりのいいところまで作業しておきたいの」
 後何行か訳せば、このページが終わる。どうせならそこまでやっておきたい。わたしはまた紙面に視線を向けた。えーっと、確か……。
 本を傍らに置き、頭の中でまとめあげた文章をキーボードで打ち込んでいく。一度打ち込んだら見返して、全体のバランスを見る。言い回しはくどくないだろうか、前の文章とのズレはないだろうか……やっぱりここ、もう少し変えた方がいいかも。入力した文章を削ろうとした、その時。
「きゃっ!」
 後ろから抱きすくめられて、わたしは思わず声をあげてしまった。もちろん、相手が誰かなんてことはわかっている。レン君だ。今この家で暮らしているのは、わたしたちだけだし。ただいきなりこんなことをされると、やっぱり驚いてしまう。
「リン、もう遅いよ」
 わたしを抱きしめたまま、レン君は言ってきた。耳にレン君の息がかかって、少しくすぐったい。
「ええ、でも、もう少しだけ」
 仕事をしなくちゃ。わたしは作業に戻ろうとしたけれど、レン君はそうさせてくれなかった。
「終わりにして、寝ようよ」
 言いながら、レン君はわたしの首筋に顔を埋めた。首にレン君の唇が触れるのがわかる。
「やっ……だから、仕事……」
 レン君の返事はなかった。手がわたしの身体を撫でている。首筋にまた、レン君の唇が触れた。身体が熱くて……思考がまとまらない。
 ……結局、この日はこれ以上、仕事はできなかった。


 ベッドの中で、わたしは小さなため息をついた。全身が重いというかだるいというか、とにかく倦怠感があって、あまり動きたくない。それというのもレン君が……わたしはさっきまでのことを思い返して、赤くなった。一緒に暮らすようになってもう三年近いんだから、赤くなるようなことでもないはずなんだけど……。
 隣にいるレン君は、さっきから静かだ。もう寝ちゃったのかな。わたしは少し身動きして、レン君の様子を伺おうとした。その瞬間、腕が伸びてきて、わたしはレン君に抱きしめられてしまった。
「……レン君?」
 返事はなかった。抱きしめているわけだから、起きているのははっきりしているんだけど。
「……ねえ、何かあったの?」
 なんだか今夜のレン君は、ちょっと様子がおかしい。もしかして、何か嫌なことでもあったの?
「リン、今日は、もう寝よう」
 しばらくの沈黙の後、レン君は有無を言わせない口調で、そう言ってきた。確かに夜更かしは健康に良くないんだろうけど……でも、そういうことを考えているんじゃないわよね。
 わたしは少しだけ身をよじって、レン君の胸に顔を埋めてみた。心臓の音が聞こえる。なんだか落ち着く音だけど、今落ち着く必要があるのはわたしじゃない、レン君だ。
「本当に何もなかったの? 何か嫌なことがあったんじゃないの?」
 わたしは、もう一度訊いてみた。……何かあったとしたら、レン君の仕事のことだろうか。でも、夕食を食べている時は、いつもと変わりなかった。レン君、本当に、どうしたんだろう。
 レン君の返事を待っていると、今度はレン君がため息をつくのが聞こえてきた。少しだけ身体が離れ、それから、わたしの額にレン君の額が当たる。
「そういうんじゃないよ……ただこうしたかっただけで」
 本当にそうなのかな……何かあったんじゃない? どうしてなのか説明できないけれど、何だかそんな気がする。でも、これ以上訊いてもレン君は答えてくれなさそうだし、わたしはレン君を問い詰められるほど器用じゃない。
 だから、わたしはレン君に抱きしめられるままでいた。わたしがレン君に抱きしめられると安心するように、レン君の方も、わたしを抱きしめると安心するみたいだから。
「レン君、わたしね……レン君とこうして一緒にいられて、とても幸せ」
 どんな言葉を重ねても足りないくらいに、レン君のことが好き。レン君とこうして一緒にいられて、良かったと思うの。もしかしたらこれで、一生分の幸せを使い切ってしまったんじゃないかって思ってしまうくらい、幸せ。
 レン君はまたわたしをぎゅっと抱きしめた。わたしはそれ以上何も言わずに、レン君の腕に身をゆだねた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 外伝その四十【夜更けの出来事】

 ……なんだかずいぶん久しぶりに主役の二人を書いた気がします。

閲覧数:1,522

投稿日:2012/09/27 19:04:17

文字数:2,136文字

カテゴリ:小説

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  • 水乃

    水乃

    ご意見・ご感想

    こんにちは、水乃です。

    久々の主役のお話で結構嬉しかったり(笑)
    翻訳とか、難しいみたいですね。今日英語の時間に聞いたんですが、通訳者は聞いてすぐに翻訳して伝えなければならないとか。これは通訳ですが……リン、お仕事頑張れ!

     いつも気になるんですが、英語を日本語訳した時に台詞の人ぞれぞれの癖(みたいなもの)ってどう訳すんでしょうか。
     翻訳で思い出したんですが、ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」という本があるんですが、私が読んだのは「自負と偏見」という違う訳で、映画だと「プライドと偏見」に代わっているんです。同じ原作でも全然(?)違う本に見えたりします。

    取りあえず、幸せそうで何よりです。

    2012/10/03 14:26:42

    • 目白皐月

      目白皐月

       こんにちは、水乃さん。メッセージありがとうございます。

       翻訳と通訳では、求められるスキルはちょっと違うと思います。通訳は流れていくものですが、翻訳は残るものですから。

       翻訳物の台詞の口調ですか。私も専門家ではないので必ずこう! とは言えないのですが、大抵の場合はキャラクターの性格などから、そのキャラクターに見合った喋り方にするようです。このやり方はやり方で問題もありますが、全員が一律で同じ喋り方をされてしまうと、読む側がちょっと辛いんですよね……。
       なので訳者さんが変わると、キャラクターの喋り方ががらっと変わってしまうことも多いです。以前読んでいたシリーズ物の小説でそういうことがあって、変わった方になかなか馴染めなくて微妙な心境でした。
       オースティンの『高慢と偏見』は、原題が "Pride and Prejudice" なので、意味合い的にはどれもそんなに違うということはないです。作品を読んでいないので「この訳が妥当だと思う」というのはちょっといえないのですが。
       タイトルだと、読者の気を引くためや、原題をそのまま日本語にするとわかりづらい場合、全然違うタイトルがつくケースもかなりあります。有名どころだと、 "Bonnie and Clyde" の『俺たちに明日はない』などがありますね。この辺は調べると色々でてきて面白いですよ。

       とりあえず二人は今、幸せです。

      2012/10/04 00:20:06

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