天井の低い通路を
重油のやうに濁つた水が流れてくる
硝子のコップは割れてひつくり返り
日本酒のビンが浮いてゐる
水汲みに来た人たちは
割れたお椀を手に立ち尽くし
見殺しにされた難破船の
遭難信号を探してゐる
いつまでも人の記憶に残るのは
一番最初の自己紹介だけかもしれない
あとで洪水の名残りを見て
いくつもの写真をつなげるだけかもしれない
こつちを見てくれないと嘆いたり
言ふんぢやなかつたと後悔するだけかもしれない
その代りに「会へてよかつた」なんていふ言葉が
本当に全てを壊してしまふだけかもしれない

風を読めない水際にゐて
思ひ出せない歌がある
忘れ去られた水際にゐて
思ひ出せない顔がある
遠く離れた水際にゐて
思ひ出せない声がある
何もできない水際にゐて
足元に広げた小さな地図


壁一面に貼られた
たづね人の紙がはがれかかつてゐる
落書きのしやうもないほど色あせて
雨のあとも黒ずんでゐる
捜し求めるその人は
はつきりしない風景の中を歩き
大理石の彫像のやうに
遠い一点だけを見つめてゐる
鳴り止まない雲の隙間から
聞こへるものは空耳だけかもしれない
帰らなかつた旅は偶然の
巡り合はせで終はることに気づくだけかもしれない
役に立つとか立たないとか
必要不必要かを突きつけられるだけかもしれない
それと引き換へに間に合ふかもしれなかつた
一瞬を失つてしまふだけかもしれない

風を読めない水際にゐて
思ひ浮かべる歌がある
忘れ去られた水際にゐて
思ひ浮かべる顔がある
遠く離れた水際にゐて
思ひ浮かべる声がある
何もできない水際にゐて
足元に広げた小さな地図

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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水際にて

閲覧数:57

投稿日:2019/07/03 23:57:09

文字数:688文字

カテゴリ:歌詞

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