ここは、インターネットシティ…。


  *  *  *



「…ただいま」

家の玄関を開けると、お母さんが待ち構えていた。
上手く視線を合わせないようにしてリビングを通り抜け、階段を上って自分の部屋へと向かう。
小さな頃は、お母さんが怒っていることを察知しただけで緊張し、視線を離せないでいたけれど、歳をとるにつれて、家族とのちょうど良い距離をとることが上手になってきた。

「待ちなさい、凪」

呼び止められた。
仕方なく振り向き、「…なに」と低い声で呟く。

「凪、この前の点数は何なの。あれほど勉強するように言ったのに…。勉強っていうのはね、努力すれば必ず結果がでるのよ?なのにこんな点数なのは、努力が足りないから…ちょっと、凪?聞いてるの!?」

お母さんの話を最後まで聞かず、私は静かに階段を上り、狭い自分の部屋にたどり着いた。
階下ではまだお母さんがわめいている。

「ちょっと凪?待ちなさい、凪っ!どうせ自分の部屋でインターネットでもするんでしょ!凪、凪!」

お母さんの話なんか聞き飽きた。
むしろうざったいくらい。
これは私達くらいの年の人なら誰だって同じ。

家族がうざったく感じるのと同時に、『学校』や『親友』の無意味さや薄っぺらな友情に気づくのも、私達の歳の子なら誰だって同じだ。

だったら、インターネットの中で友達を作ることの、何が悪い。

学校の薄っぺらですぐ仲たがいの起きる面倒な「友情」と違い、5分で現実より信頼できる友達ができるんだ。

そんな夢みたいな世界が、私の机の上の、薄いノートパソコンの中に広がっている。


部屋に入ると、鞄を投げ捨て、私はすぐノートパソコンを開いて電源を入れた。
立ち上がる数秒がもどかしい。

やがて、小さな機械音の唸りをあげ、ネットに繋がった。矢印型のアイコンを操作し、キーボードをかたかたならして、あるサイトに繋ぐ。

「ピアプロ」というサイトだ。
ピアプロを簡単に説明すると、ボーカロイドという音楽ソフトの二次創作、イラストや小説、歌詞、曲をのせ、観覧した作品のコメントを書いたりするという交流サイトだ。

私は今、「春風凪」というハンドルネームで、たくさんの小説を投稿している。
現実世界だと恥ずかしくて誰にも見せられないようなものでも、ここに投稿すると、見ず知らずの人からコメントなどがもらえて、すごく嬉しい。

今日もアクセスすると、「コメントが1件あります」の表示があり、思わず口元が綻んだ。

すぐにかちりとクリックする。コメント表示欄に飛び、今までにもらったコメント、自分が返したコメントの一番上の場所に、新たなコメントが表示されていた。
最近仲の良い「流星」さんからのコメントで、

『とても素敵な作品でした!』

たった一言で、さっきまで不機嫌だった私は、ふわふわと陽気な気分になってきた。
過去のコメントを見る。

『初めて拝見させていただきましたが、一瞬で引き込まれました!』

『文章力がすごいです!』

『ラストに感動しました!』

きっとどれも大げさに、お世辞を書いてくれているんだろうけど、褒めてもらえて嬉しくない人なんているはずがない。
自分の小説を読んでくれる人がいることが嬉しくて、そしてそれを面白いといってくれることが嬉しくて嬉しくて、私はこのサイトに半年ほど前から入り浸るようになっていた。

心の中で思っていることを、素直に言葉にして、そして期待通りの返事が返ってくる。

現実みたいに、本音を言って否定されることなんてありえない。

なんて、優しい世界なんだろう。





「なんで、顔も何も知らないのに、優しくできるんだろ。信じらんない」

「…え」

学校からの帰り道。
クラスメイト達と一緒に歩いていると、ふとインターネットの話になったのだ。
そして、友達の中でリーダー格の瀬菜が、そう言った。
――――なんで、顔も知らないのに、優しくできるんだろ。信じらんない。
思わず瀬菜の顔を見ると、瀬菜は私の視線には全く気づかないように、ばっさりと言った。

「だってさー、顔、わかんないんだよ?顔だけじゃなくさ、名前とか、どこ住んでんのかも。そんな仮想空間に入り浸る人って、よっぽどサミシイ人だよねー。所詮嘘なのにさ」

くすくすと嘲笑うように言う瀬菜。
瀬菜の放った言葉は、きっと本人の思っている何十倍もの強さと鋭さで私の胸につきささった。
――サミシイ?
――仮想、空間?
――嘘…?
黒い文字がぐるぐると頭の中で渦巻き、溶け合い、パニックに陥る。
それでも、瀬菜の甲高い声は、意識が遠くなるのさえ許してくれない。

「チャット?っていうの?あーいうのもさ、『同じです』とか『分かります』とかテキトーに書いてるだけで、ホントはパソコンの前で相手のこと嘲笑ってんじゃないの?」

違う…。違う…っ!

「……違う」

心の中で叫んでいるだけのつもりだったのに、いつの間にか口に出していた。

「…なに言ってんの凪?」

瀬菜の声を無視し、私は叫んだ。

「……そんなことっ…ない!」

「…は?何の話…」

「…バカにしないでっ!仮想だなんて、サミシイだなんて……嘘だなんて、言わないでっ!嘘じゃない!あたし達の世界は嘘じゃないっっ!!」

「ちょっと、凪っ」

友達は、私が何を言っているのか意味が分からなかっただろう。けどそんなことどうでもいい。困惑の表情で私を呆然と見つめる友達にきびすを返し、私は走り出した。

硬いコンクリートの道を蹴り、息が切れても心臓が破裂しそうになっても、後ろを見ることなく走り続ける。

走って、走って、倒れてしまいそうなくらいの時、ようやく家にたどり着いた。
玄関に鞄を投げ捨て、

「ちょっと、凪?ただいまくらいいなさい…」

お母さんの声を無視して、
自室の扉を勢いよく開けて、そのままベッドに倒れこんだ。

はあはあと荒い息で酸素を取り入れ、ようやく落ち着く。

停止していた思考がまた動き始めたとき、一番最初に浮かんだのは、さっきの瀬菜の言葉だった。

【嘘】

【サミシイ】

【嘘】【嘘】【嘘】

「……っ、わかってるよ、そんなことっ!!」

頭の中で響く声をかき消すように、天井に向かって叫んだ。

わかってる。
わかってるよそんなこと。

この世界が…――嘘ばっかりなんて。
そんなの、最初っから気づいてた。

だって、ありえないから。

綺麗な、期待通りの言葉ばかりが並ぶ世界なんて。
自分の意見に、みんなが同意してくれる世界なんて。

どうせ全部嘘っぱちだ。


だって、君は――パソコンの前に座る君は、知らないでしょう。

私が、泣きながらキーボードを打っていたなんて。
私が、とても醜い、嘘にまみれた人間だなんて。
私が、悪い人だなんて。


知っていたら、こんなに優しい言葉をかけられるはずがない。


――考えれば考えるほど、今まで考えないようにしていたことがわっと頭に浮かんで、その日はあんなに毎日使っていたパソコンを開くことも、ピアプロにログインすることもしなかった。


  *  *  *


夜もろくに眠れなくて、私はいつもより1時間も早く起き、学校に行った。
誰もいないがらんとした教室で、机に突っ伏し、考える。

――どうしようかな…。

――やめようかな…。

今ピアプロを退会したら、『流星』さんが怒るだろうか。
いや、なんとも思わないかもしれない。
だって、嘘なんだから…。

もうなんでもいい、今日、退会してしまおう。

そんな投げやりな気持ちでいると、ガラリと教室の扉が開き、瀬菜が入ってきた。

「…あ、おはよう…」

いつものように、声をかける。

『どうしたの、昨日』

そんな言葉が返ってくると思ったのに、瀬菜が私に返したのは、無言の怒りだった。
鋭い瞳で睨みつけられ、わずかにたじろく。

「せ…瀬菜?」

「ウザいんだけど」

間髪いれずはっきりと告げられた嫌悪に、「…え?」と聞き返す。

瀬菜は明らかに怒気を含んだ口調で、言った。

「なに昨日のアレ。わけわかんないんだけど。何で突然ヒスったわけ?ああいうの、超ムカつく」

ああ…。

すぐに思い当たる。

「…でも、それは…」

取り繕うとしても無駄だった。
それ以上瀬菜は私と対話する気がないらしく、不機嫌そうに自分の席に着く。
次に来たクラスメイトたちも、同じだった。
私を見て、気まずそうに通り過ぎる子、ざまあみろとくすくす笑いながら通り過ぎる子。

「……ほらね?」

小さく呟いた。

ほらね。

どこの世界も、同じなんだよ。仮想空間も現実も。


どこの世界にも、絶対壊れない絆なんて存在しない。




誰とも話をしないまま一日が終わる。
今日も、パソコンなんて開かないつもりだった。開きたくもないと思っていた。

なのに――。

手が勝手に伸び、慣れた手つきで起動させ、ピアプロにログインしていた。
いいことなんて…何もないのに。

頭では分かっているのに、それでもログアウトしようとは思わなかった。

いつもどおり、「流星」さんのページをのぞいて――。



コメントがきていた。



「…え」

個人宛のメッセージだった。「流星」さんから。
クリックする。

『凪さんへ。
 昨日、来てませんでしたね。
 詮索するのはよくないとわかってるんですが…何かあったんですか?
 最近小説も更新されてないようですが…。
 凪さんの小説、とても好きです!楽しみに待ってますね!』

涙があふれてきた。
それは、感動ではなく、喜びでもなく――その言葉が、優しすぎたから。

『ありがとうございます』

短いメッセージを返信する。

やっぱりまだ、ここから離れることなんてできない。

現実が不安定になると――やっぱり、信じたくなるよ。


嘘でも、優しい言葉を。


  *  *  *

ここはインターネットシティ。

僕は君がどんな顔をして画面を見ているかなんて知らなくて、

君は僕がどんな顔をして画面を見ているかなんて知らなくて、

僕は君が泣いていたとしても気づかなくて、

君は僕が泣いていたとしても気づかないけど、

――それでも。

ああ、君は知らないでしょう?

君の優しい言葉に、僕が救われたなんて。


ここは、インターネットシティ。


絶望にも似た孤独な気持ちはひとまずはぐらかして、


今日も部屋にキーボードの音が、虚しく響くよ。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

嘘と、優しさと。―インターネットシティ―

まずはじめに。
この作品は、「インターネットシティ」の小説版です。
私の尊敬する菜流さんのように(勝手に名前出してごめんなさいっ)自分のハンドルネームで書いてますが、実際の私とは考えというか、ちがうのでっ!(若干かぶるところもありますが…汗)なのでその辺はおねがいします。

で!では説明を小説のほうにもどします!
えっとですね、原曲がものすごく素晴らしくて、一言では表せないくらいとても良い曲なので、私が書いてもいいのかな…これ大丈夫なのかな…?と思いつつ書いたのですが、文章力が足りてない分、いままでのテキストのなかで一番時間をかけて、一番力を入れて書いたものです。

もしも感想がいただけたら…とても嬉しいですっ!

閲覧数:255

投稿日:2011/04/12 18:42:36

文字数:4,329文字

カテゴリ:小説

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