9 2ヵ月前

「あれ。愛先輩って旅行とか好きでしたっけ?」
 深夜、会社のデスクで息抜きに広げていた雑誌に写っている、旅館の若女将に目を奪われていたら、後輩に声をかけられた。
「んー。たまには……いいかなって」
「ウチ、かなりブラックですしねー。休める時にそういう息抜きするって大事ですよね」
「そーね。君のおかげであたしも休日が取れるようになったわけだし」
 本当は、そういう理由で視線が釘付けになったわけではなかったのだけれど……まあいいか。
 彼は二つ下の後輩だ。
 言うことは聞いてくれるし、物覚えは早いし、仕事もそつなくこなす。実際のところ、いなくなってしまったら仕事がたちゆかなくなってしまうくらいには優秀な後輩だ。
 大学を卒業し、ここに就職して二年。あたしもうかうかしてればあっさりと追い越されてしまいそうだ。
 とはいえ……マジでブラック。ここ。
 高校を卒業後、あたしは未来の行く大学の……経済学部よりもレベルが低い学部へと進学しようとした。けれど……当然ながらと言うかなんと言うか、そんな甘い考えでいたあたしは見事に玉砕した。
 結局、定員割れしそうな私立大学へと進学し、将来なんの役にもたたなそうな学部を卒業。そして就職活動もまた……大学受験と同じように、ものの見事に失敗した。
 おそらく、何をしたいのか、どんな仕事をしたいのかわからなくて、なんのビジョンも持っていなかったのが原因なんだろう。
 在学中のあたしの就職活動は……はっきり言って、全く気のないものだった。
 大学生になってからも、結局都内の大学に進んだ未来とはちょくちょく会っていた。就職活動中は、それがこれで終わってしまうのだと、ただ絶望にうちひしがれていた。未来と離ればなれになってしまうことしか頭になかった状態で面接なんて受けてたら、やる気がなさそうに見えて仕方なかっただろう。
 中学からそれまで色々と散財してきてたせいで、両親の蓄えは心許ないものになっていた。けれど「就職して自分で稼げるようになればなんとかなるだろう」なんて、あたしは楽観視していた。
 卒業はできる。
 でも、就職はできていない。
 お金は……それほど残っていない。
 そんな状況に直面して、あたしはようやく事の重大性に気づいたのだ。
 就職について、未来からの追求をあたしはのらりくらりと交わし続けたけれど、未来はその結果を察していただろう。
 そうして、とうとう未来が大分へと引っ越してしまってから、あたしの本当の就職活動は始まったのだった。
 ……当然ながら、それは遅かった。
 本腰を入れたところで、一人微妙なタイミングで始めた就職活動もまたうまく行くはずがなく、半年を過ぎても成果はゼロだった。
 “彼女”は『大分で就職すればいいのに。こっちに未練なんてないんだからさ』なんて言ってた。
 ……それができれば苦労はしない。
 それに……。
 ……あたしは、未来と海斗さんが仲睦まじくしている姿をすぐ近くで見せつけられたら、きっと耐えきれないような気がした。
 結局あたしは、卒業から九ヶ月後、年末も迫る師走の終わりに就職が決まった。
 すでに両親の蓄えは使い果たし、就職活動の合間にバイトをしてなんとか生活している頃のことだった。
 仕事を始める前に、不安を煽られるくらいに、ものすごく念を押された。
「本当にハードだけど大丈夫?」
「来てくれるのはうれしいけど……正直オススメできる仕事量じゃないんだよね」
「他があるなら無理しない方がいいよ」
 などなど、二十人に満たない会社のほぼ全員が、そうやって自社の仕事を全否定してきた。
 そこまで言われると断りたくもなったけれど、こっちはこっちでやっと手に入りそうなアテを手離せるほどの余裕などなかった。
「それでもいいです。なにもわからないですけど」と言う私と、それでもと念を押してくる皆さんとのやりとりで、正直嫌われてるんじゃないかと思い始めた頃、あたしはようやくここに就職が決まった。
 念のため補足しておくけれど、皆は心配してくれただけで、嫌われているわけじゃなかった。
 ……皆に細かい指摘をするようになった今では、どうかわからないけれど。
 ともかく、あたしの就職したこの会社は、五つの飲食店を経営していた。
 あたしの仕事は、その五店舗に関わる事務処理だった。
 どうやら仕事量がすさまじく、前任者は仕事量に耐えかねてやめてしまったようだった。
 ……事実、ここの仕事量はかなりのものだった。
 その会社が経営する五つの飲食店は、イタリアン、焼鳥、海鮮居酒屋、定食屋、ラーメン屋と、なにをどうしたらそんなことになるのか、その全てが違うジャンルの店舗だった。当然、そのせいで仕入れる食材は店により異なる。
 発注漏れが無いかチェックしたり、店舗ごとの売上や日報の集計、流動的に動く従業員の出欠の把握、場合によってはクレーム対応のフォローもある。何もかも初めてのことばかりで手際が悪かったのもあるだろうけれど、やるべきことはいくらやっても終わらなかった。
 勤務時間は、店舗が食材の仕込みを始める朝から始まり、夜の営業が終わってその日の売上金額の連絡が来る遅くまでかかった。
 他のことなんて考えてられないくらいに忙しい毎日を過ごした。
 ……けれど、ある意味でそれはありがたかった。
 忙しくて忙しくて、あまりにも忙しすぎたお陰で、未来のことを考えてうじうじする暇なんてなかったからだ。
 一年と少し過ぎ、四月に新しい事務要員として、彼が入ってきた。
 なんだかんだ仕事をこなせるようになってからも、まだ三十代の社長はあたしの激務を心配してくれたらしく、あたしの負担軽減として雇ってくれたのだ。
「今だから言えますけど、愛先輩、よくこの仕事量を一人でこなしてましたよね……」
「……確かに。もうあの頃には戻りたくないわね」
 二人で手分けして作業ができるようになった今から思い返してみると、よくもまあ一人でなんとかしていたものだ。
「そうだ、愛先輩。今度ご飯食べに行きません?」
「え、なに。そんな改まって」
 そんなこと言われると思ってなくて、虚を突かれた。
「いや……そ、その。ほら、向かいのビルで工事してたじゃないですか。一階にイタリアンできるらしくて、市場調査もかねて……とか」
 明らかにうろたえて、しどろもどろになる彼の真意が、言葉通りである訳がなかった。
「うーん……」
「……だ、ダメですか? 愛先輩、彼氏いるとか……?」
 そんなことを聞いてくる彼が、あたしにどんな気持ちを抱いているかは明白と言える。
「いや、ずっとここにカンヅメ状態なんだから、いるわけないでしょ」
「なら!」
 その返答に、彼の表情は明るくなる。
「でも――」
 しかし――。
 正直、彼は有能で頼りになるのは確かだ。しかし同時に、あたしが彼を恋愛対象として見ることはない。
 とはいえ、露骨に拒否して意気消沈でもされてしまえば、一緒に仕事をするのがつらいからと辞めてしまうかもしれない。
 そんな打算が頭を巡った。
「ご飯だけですから! 本当にそれだけ! 迷惑はおかけしません!」
 両手を合わせて懇願する彼に、あたしは苦笑するしかなかった。
 まあ……それくらいならいいか。
「夜は二人とも抜けるわけにはいかないし、ランチならいいわよ。別会計でね」
「俺、おごりますよ」
「おごりなら行かない」
「えぇー……っていやいや、十分です。文句ありません。大歓迎です。最高です」
「なにそれ」
 ガッツポーズしかねない彼の浮かれっぷりに、あたしはミスったかな、なんて考えてしまう。
 もしかしたら、下手に希望を持たせたみたいになってしまったのかもしれない。ちゃんと断って、興味がないときっぱり告げておくべきだったのだろうか。
『……いいんじゃないの? 都合よく使えるオトコがいると、なにかと便利だと思うけど』
 ……最低ね。
 “彼女”の言葉に、あたしは自身の腹黒さを思い知らされてうんざりしてしまう。
 ……いつからだろう。
 いったいいつから、あたしは男性を恋愛対象として見られないと自覚したんだろう。
 少なくとも、未来のことが好きなのだと自覚した頃の前後なのは間違いない。
 あれは……。
 ……。
 ……。
 ……そうだ。
 海斗さんからケータイを預かって、未来の家に押しかける直前だ。
 急に未来が来なくなって心配してたところで、不安そうな海斗さんに会った時。
 あの時、海斗さんを未来の家に連れていって……そこで本当に、あたしは自分の性的指向を自認した。それがあったからこそ、翌日に未来の家であたしは未来に対する自分の気持ちを自覚したんだと思う。
 ……冗談じゃなく、もっと早く気づいていたら、色々と変わっていたんじゃないか、なんて思う。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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私とジュリエット  9  ※二次創作

第9話

こういう話って、扱いがすごく難しいな、と思います。
やっぱりもともとがデリケートな話題ですし、実際のところ、自分が同性に対してそういう気持ちを抱けないので、想像に依るその思考が現実に則しているかどうか確信が持てないので。

まぁ……後輩君は都合のいい男ポジションでも大歓迎そうな雰囲気がありますけどね……

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投稿日:2017/08/31 21:28:27

文字数:3,640文字

カテゴリ:小説

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