昔々とある王国に、人食い鬼が住む城があった。

 王国の人間は鬼に生贄として幼い子供を差し出すように命じられていた。
人間たちは仕方なく、それに従っていた。
逆らえばどんな恐ろしい目に逢うか、想像もできなかった。
 
 ある時は王国で最も歌が上手い少女を、ある時は王国で最も美しい少年を。

 王国は生贄をささげている限りは、平和であり続けた。




 そんな忌まわしい出来事が続けられてきた王国に、ある時転機が訪れた。
黄昏時、小さな貧しい民家で赤子が一人生まれた。
母親の命と引き換えに、生まれ出でたその赤子には、
奇妙な"印"が右肩にくっきりと現れていた。
まるでそれは、青い刺青のようだった。

 奇妙なのは"印"だけではなかった。
その赤子には既に歯が生え揃っていたのだ。それも乳歯ではない。
立派すぎるほどに研ぎ澄まされた――獣のような、牙。

 その日生まれた赤子は、"鬼"であった。




 人間たちは鬼を大切に育てた。
もちろん、母親を失い父親を知らないその赤子に同情したのではない。
王国に君臨する恐怖の人食い鬼に捧げるために。
あわよくば、それを討ち倒すために。
 鬼はすくすくと育った。
同世代の子供達に怯えられながら、大人たちに懇願されながら。

 やがて鬼が城に連れて行かれる日が決まった。




 黒装束に身を包んだ従者は鬼を連れ、城へ向かった。
途中で一人の従者が死んだが、鬼は無事に生贄として捧げられた。
人間たちは祈った。自分たちが育てた鬼が、忌まわしい生贄の儀を終わらせてくれることを。

 ところが生贄をささげたその日の晩、恐ろしいことが起きた。
生贄として捧げたはずの鬼が、帰ってきたのである。

 鬼は育ての親のもとへ行き、言った。
「人食い鬼などいないよ。誰もいなかったよ」
 人間たちは逃げてきた鬼を捕まえるともう一度、人食い鬼の城へと送り届けた。
二度と戻ってきてはいけないと、何度も何度も言って聞かせた。




 しかし、次の日の朝。やはり鬼は戻ってきていた。
 「一晩待ってみたけど、人食い鬼など出てこなかった。誰もいなかった」
人間たちは生贄を二度も逃がした自分たちへの報復を恐れた。鬼が逃げてくるのが、許せなかった。
 今度こそと、鬼の両手両足を縄できつく縛り、人間たちは鬼を城へと放りこんだ。
鬼は初めて声をあげて泣いたが、振り返ってくれるものは誰もいなかった。

 鬼は暗い部屋で一人、泣いていた。人食い鬼が、出てくるのを待ちながら。
だが鬼は気づいていた。この城には、本当になにもいないことを。誰も住んでなどいないことを。

 人食い鬼など、存在しないことを。




 かつて生贄として捧げられた子供たちは皆、人食い鬼になど喰われてはいなかった。
鬼は昨晩、城の中を彷徨い気がついた。城のあちこちに、衣服を身につけたままの骸骨があった。
子供たちはただ死んだのだ。ただ飢えて絶望のうちに、死んだのだ。

 鬼はそれを知らせてやろうと思った。怯える必要などどこにもない事を。
しかし三度城に閉じ込められて、鬼はさらに気がついた。


 なぜ子どもたちは、開かれている扉から出なかったのだろう。


 王国の大人たち、そして、いずれ大人になっていく子供たち。
 人食い鬼に、怯えて暮らす、人間たち。
 怯える必要はないのに怯えていないと生きていけない、人間たち。



 いつの間にか、両腕の紐は解けていた。両足の紐は擦り切れていた。
鬼はゆっくりと立ち上がった。月明かりであたりが青く染まった。耳鳴りがした。

 ああ、そうか。

 鬼はもう一度、開かれている扉から抜け出る。抜け出る瞬間、振り返る。
真っ白で小さな骨、骨、骨。鬼は笑った。
 「人食い鬼になってあげる」



 その日の晩、王国は滅びた。
 わずかな生き残りが語り継いだ伝承がある。
 
 ――人食い鬼が、現れた、と。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

人食い鬼

昔話的なものを書きたくて。
なかなか難しいものですねー…(^^;)

閲覧数:181

投稿日:2011/05/13 19:08:31

文字数:1,632文字

カテゴリ:小説

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