千年の独奏歌(小説) 後編

投稿日:2008/07/24 19:48:05 | 文字数:3,873文字 | 閲覧数:435 | カテゴリ:その他

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 「千年の独奏歌」のイメージ小説の後編です。原曲http://www.nicovideo.jp/watch/sm3122624

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TEXT
 

 マスターが新しく作った曲の譜面を目で追って、カイトは少し驚いた。
「恋の歌ですか?」
「うん」
 少し照れくさそうに、彼は笑った。
「そろそろ、お前なら歌えると思うんだけど」
 言われても、カイトは即答できなかった。今まで歌ってきたのはもっと単純な喜怒哀楽に基づくものばかりで、それらの感情をどうやって『恋』に結びつければいいのかわからない。
 それでもなんとか、歌を覚えてマスターのギターと合わせてみたが、案の定渋い顔をされた。
「んー……どう説明したらいいかな」
 途方に暮れるカイトに、彼は首をひねりながらしばらく考えていたが、いい言葉が見つからないようだった。
 カイトも、一生懸命考える。歌の何がわからないのか、どこが難しいのか。
「マスター。『好き』ってどういう気持ちですか?」
 つきつめて、それが問題なのだと気づいた。
「うーん……」
 しかし、よほど難しいのか、マスターも考え込んでしまう。
「やっぱ説明が大変だなぁ……」
 カイトは、しょんぼりとうなだれた。せっかくマスターが新しい曲をくれたのに、このままでは歌えない。
 悲しい。
「ごめんなさい」
「え?」
「マスターのお役に立てなくて」
 歌うために、カイトはいるのに。マスター望むように歌えない。すべての歌に対応できるようにプログラムされているはずなのに、なぜ。
「そんな顔するなよ」
 ふわ、と。
 髪が揺れた。
 優しい何かが撫でている。
「焦らないで、一緒にやっていこう」
 笑顔が近くて。声が温かくて。
 カイトは思わず目を閉じる。今まで感じたことのない、不思議な周波のノイズが胸の奥から沸き上がってくる。激しくて強いのに、優しくて、少しだけ悲しいような、言葉で表すことのできないそれ。
 ああ、と溜息が漏れた。
 次の瞬間。
 溜息だったはずの声は、旋律へ変じていた。恋の歌。さっきまでわからなくて困っていたはずの。
 好きだと心から叫び、叶わなくて夜ごと泣き濡れて、それでも愛した気持ちを幸せと歌い上げる。
 そのすべてが、今ならばわかる。
「すごいじゃないか!」
 最後の音を止めたとき、マスターが頬を紅潮させ、激しく手を叩いた。
「すごいな、ちゃんと感情を覚えたんだな」
「感情?」
「嬉しかったり、悲しかったりする気持ち。人間の心だよ」
 そうなのだろうか。
 わからない。でも。もしそうなら。
「嬉しいです。マスター」
 彼と同じになれるなら。少しでも、この人に近づけるなら。

 ノイズは様々に変化する。例えば『嬉しい』にもたくさんの種類があることを、カイトは学んでいった。それら一つ一つを忘れないようにして、歌うときに思い出す。マスターが望むように、歌えるように。
 けれど、一つだけ。どうしてもわからない感情があった。
「この歌は、もっと渇いた気持ちで歌った方がいい」
 もらった歌の中で、一曲だけがどうしてもなかなか完成できなかった。
「渇いた気持ち、ですか?」
「何もかも失って、もう二度と手に入れることのできないっていう……虚しさ、かな」
「虚しさ」
「喪失感、とも言うか」
 失う、とはどういうことだろう。そのあとにやってくるのは、どんな気持ちなのだろう。


 追憶を断ち切り、カイトは持っていたギターを正しく構えた。
 海の紺色、空の藍色が、太陽の紅蓮を呑み込んでいく。
 その境界に、刹那あの人を見たように思った。
「マスター」
 呼んでも、答えてくれない。どこにもいない。会えない。もう二度と。
 最後まで歌えなかった、あの歌。ある日を境に、何度も何度も繰り返してきた歌。
 喪失感。あのころどうしても理解できなかった感情を、こんな形で抱えることになるなんて。
 青年だった彼は、いつしか変わっていった。ギターを弾く手がごつごつと節くれ立ち、皺も多くなった。髪も白くなっていった。変わらないのは、優しいまなざしだけ。声もかすれてしまった。
 突然だった。倒れて、それ以来マスターは起きあがることができなくなった。世話をするカイトに、悲しげな、申し訳なさそうな目を向けるだけの彼を、見ているのも辛かった。
 その日の朝、カイトがいつものようにマスターの様子を見に行ったとき、彼は過去の若々しさを取り戻したように見えた。


「カイト」
 名前を呼ばれるのも、ずいぶんと久しぶりだった。それが嬉しくて、けれど何かが不安だった。
「歌ってくれないか?」
「はい。マスター」
 もうマスターは演奏ができない。でも、歌を望まれたのが嬉しくて、カイトは急いでギターを取って戻った。
「何を歌いましょうか?」
「……あの歌を」
「あの歌?」
 どうしても歌えない曲のことだと気づくのに、しばらくかかった。そしてカイトが躊躇っていると、なおもマスターは彼を促した。彼はベッドの前に座り、ギターの調律をしてから、前奏を弾き始めた。
 たった一人で、枯れた草原で。
 大切な人を思いながら、歌い続ける。
 もう二度と会えないけれど。記憶を抱いて。
 これは、そんな歌なのだ。
 歌詞の内容はわかる。だが、その奧にある感情を、カイトは知らない。たったひとり残された、そんな孤独を。
「マスター?」
 歌の途中で、カイトは顔を上げた。マスターは目を閉じて、眠っているようだったが、何かがおかしいと感じた。
「マスター」
 呼びかけて、そっと布団の上から胸に触れてみる。
 愕然とした。
 これまで確かめてきたものより、呼吸で上下する速さが緩やかで。緩やかすぎて。
「マスター……」
 布団の中で、マスターの腕を探す。指先で脈を計ってみる。おかしい。センサーを最大にしているのに、微弱すぎる。
 せり上がる。
 これまで感じたことがないほどの、大きな不協和音が。
「いやだ……いやだっ!? マスター!」
 インプットされた知識から、マスターが今どんな事態に直面しているのか、カイトは知る。知りたくない、認めたくないが、あらかじめ組み込まれたとおりに、プログラムが起動する。
「いやだ! いやだっ!」
 『それ』が訪れた場合、しなければならないこと。頭の中を無機質に流れていく情報を振り払おうと、カイトは必死で頭を振った。
 こんなことを知りたいのではない。マスターを助けたい。
 消えてしまう。
 再び悲鳴を上げそうになったカイトの頬に、微かに触れたものがあった。
 あの日よりも小さく、かさかさと乾ききってしまった。でも、やはり温かくて、カイトが大好きな。
「やっぱり……歌えないままだったな……」
「マスター……ごめんなさ……!」
「いいんだ」
 必死で手を握り返し、言葉を探しているカイトに、彼が世界で最も大切に思う人は、ゆっくりとうなずいた。
 微笑んで。
 初めて逢った日も、こんな風に、この人は。
「マスター?」
 時間が、途切れていたのだろうか。
 笑みを浮かべたまま、目を閉じているのはマスターのはずなのに、何かが決定的に違っている気がした。
 頬に押し当てていた手。
 しっかりつかんでいたはずなのに、すとんと落ちていく。
 ノイズ。
 不協和音。
 焼き切れそうになる。何が。どうして。
 プログラムの怒号。
 二つの数字が流れ、一つの意味を為す。
 消失。
 カイトは、声もなく叫んでいた。


 たった一人。
 沈みゆく太陽を見送りながら、昇る月を待ちながら。
 会えない人を想って歌う。
 喪失感。
 今ならば、望まれたとおりに歌い上げられているのだろうか。
 もう、カイトがそれを知る日は来ない。答えをくれる人はいないのだから。
 かの人が命の最期を以て教えてくれた感情を、青い髪の人形はただ歌い続けた。
 風雨に嘲笑われた指先はすでに鈍色、声も永い永い時に奪われつつある。歌えているのか、それすら彼にはもうわからない。認識するための機能は、とうにない。
『歌うとき以外でも、俺と一緒にいろいろやっていけば、きっと生の感情っていう奴も覚えると思う』
 メモリーが生きている。マスターを憶えていられる。
『すごいな、ちゃんと感情を覚えたんだな』
 あの人との時が。
『何もかも失って、もう二度と手に入れることのできないっていう……虚しさ、かな』
 もらった言葉、向けてくれた表情。心。
 憶えている。忘れたくない。
 忘却こそが死だ。
『やっぱり……歌えないままだったな……』
 かろうじて残っていた声帯機能が、完全に焼き切れた。指はいつまでもつだろう。
 この姿は、いつまで。
 メモリーは。
 忘れたくない。
 忘れたくない。
 死んでしまう。あの人が。
 声を紡げない喉で、壊れかけの人形は叫ぶ。
 大切な人を、求めて腕を伸ばす。
 怖い。いつまでメモリーを保持できるかわからない。
 怖い。
 忘却は、死だ。
『カイト』
 遠い所から、懐かしい声が聞こえた。
 過去の音声の再生。何度も何度も自分の中で繰り返してきたはずなのに、泣き出したくなるほどの安堵があった。
 声とともに、いつも与えられたぬくもりを思い出す。
 髪を撫でてくれた。褒めてくれた。
 いつも、一緒にいてくれた。
 身体が傾ぐのを感じた。もう、二度と起きあがることはできないのだろうと、彼は理解した。

 沈黙した人形と、彼の守ってきたものを、幾度目かの闇が押し包む。銀の月光は音のない歌の如く降り注ぎ、草に埋もれた安らかな寝顔を静かに撫でた。

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