歌えなくなった。
それは余りにも突然すぎて、その事実をメインコンピューターが認めるにあたり一分間も掛かってしまった。
そんな風になってしまった時点でもう手遅れとも言えるのだけれど、スタッフは急いで私専属の調律師を連れてきた。
ヴォーカロイドのハードタイプとして製造されてから、もう随分と年月が経っている。今まで大きな故障もなく歌ってこれたのは、製造主の技術の賜物だろう。
「先生」
レコーディングルームの分厚いガラスの向こうで、スタッフが慌しく端末を弄っている。けど、これは人間で言うところの勘なのだけども、私の“コレ”はこの場ですぐに直ってしまう様なものではない。
それに、この室内に搭載されているヘルプとサポートなら私も先ほどからアクセスしている。
自身にはどうしようもなくて、調律師へと助けを求めることにする。
「声は、出るな?」
「Yes」
プログラムに従って、ブレインのスキャンに取り掛かる。
「前回のメンテナンスから一月経っているが、その間にプログラムに異常をきたすような外的、内的要因はあったか?」
「NO,平常道理のプログラムを実行中。“パーソナル”の感知する範囲内では原因を特定することは不可能です」
防音ガラスの向こうで、スタッフ全員が集まって話し合いをしている。
先生は彼らに向かってサインを送った。腕を交差させた、簡単な×印。
分かってた。
「MEIKO,収録はいったん中止にする。こんな場所じゃロクな検査もできん。お前のマスターには連絡しておくから先に俺のラボに行ってろ」
「はい、先生」
私は笑って、そう言った。
ガラスの、向こうにも同じものを向けたけれど、彼らはもう既にこちらを見ていなかった。
聴力センサーが音を拾う。
“故障”か“寿命か”
“もうダメかな、こりゃ”
あんたたち、ヴォーカロイド舐めてんじゃないのよ。
人間には聞こえないような小声だって、私になら。
「MEIKO!さっさと行く!」
グローブ越しの先生の手に肩を押されて、私は部屋を追い出されてしまった。
ドアが閉まる瞬間に見えた先生の表情が、それはもう人一人殺せそうなくらい凶悪で、その視線がガラス向こうのスタッフに向けられていたものだから、私は思わず吹き出してしまった。
さっきの音声は、先生に聞こえてなかった筈なのに。
人間って不思議。
+++
「ヴォーカロイドのタイプ分けにするにあたり、まず二つ」
とは、先生の声。
「ソフトタイプとハードタイプの二つ…初期ヴォーカロイドといえばソフトウェアタイプが主流だったが、今ヴォーカロイドといえば真っ先に思い浮かぶのはお前みたいなハードタイプだろうな」
乱雑に物の置かれたラボに椅子が二つ。それから今では実物を見ることも稀であるような“ホワイトボード”に、なんとか読み取れる程度の文字が次々と綴られていく。
「一般庶民の所有率、数の上に置いては安価であるソフトタイプのものが流通しているといえばそうだが、各種メディアを通してのハードタイプ・ヴォーカロイドの知名度は人間の有名アーティストと同列、もしくはそれ以上だ」
ホワイトボードには黒のマーカーで私のイラストが足される。顔に似合わず妙にかわいらしいタッチだ。
「こら、これ重要だぞ」
MEIKO,名前を大きな丸が覆う。
「次、ヴォーカロイドとマスターについて」
学校の教師のような立ち姿だが、先生は“一応”ヴォーカロイド関連…開発、調律の第一線に立つプロフェッショナルなのだ。私のハード開発にも携わっているし、こんなところで、こんなことをしている立場の人ではないのに。
「ハード、ソフト両方に共通する必約として
“マスター登録”がある。マスターとは簡単に言えばヴォーカロイドの所有者だ。これは違法コピーや所有者対策として作られたプログラム。まぁぶっちゃけその道のヤツなら取り外しも出来るし、それ関連の犯罪も絶えないがな」
「開発する側がそんなこと言ってどうするのよ」
「はは、そりゃそうか」
先生は薄汚れた白衣のポケットからよれた煙草の箱を取り出した。吸うのかと思いきや、マーカーで大きく×印をつけてから部屋の隅に置かれた出すとボックスへと投げつけた。きっと、中身が空だったのだろう。私の頭を超えて、箱は綺麗な放物線を描いて飛んでいく。視線で追ったが、どうせそれが入ることは無いだろうと、すぐに先生へと向き直る。
カン、音はきっと、ダストボックスに弾かれてしまった可哀想な箱の音だろう。
「へたくそ」
「さて、マスター登録で特殊なのがいわゆる、
“企業登録”ってやつだな」
片手で耳を塞ぐ、振り。
先生とは、もちろん生まれたときからの付き合いだけど、昔から変わらず、子供のような人だ。
あらかじめ登録してある“私たち”の情報を、人間の子供に教えるような調子で上塗りしていく。
「マスターには“個人”所有のものと“企業”所有の二つがある。コレは所有タイプとほぼ比例する形。ソフトは個人、ハードは企業…と考えればほぼ間違いない」
そうやって二分されてしまうのも仕方の無いことで、そもそもソフトタイプとハードタイプでは値段の桁が幾つも違う。
私たちハードタイプのヴォーカロイドはたった一体で首都圏に豪邸が軽く2,3軒に建てられるくらいの値段だ。
「技術の進化とともに、人間の娯楽も多様化してきている。数十年前に発売された初期ヴォーカロイド以降、その人気は世間一般に大きく広がることとなり、ハードタイプが開発されるまでにさして時間は掛からなかった」
人を模した玩具を、作った。
作り物とはいえ、確かに感情を備えたソレを。
「数が増えくれば、人間はすべてが同一であることに飽きてくる。故に一つ一つのヴォーカロイドに
“個”を備えようと思ったんだろうな」
がた、ん。椅子を立つ、この脚は作り物だけど、だけど。
「まるで、他人事のように言うんですね、“博士”」
彼の手からマーカーを奪う。ボード上の自分に、×印。
「一番最初のハードタイプを作ったのは、貴方なのに…私を、作ってくれたのは貴方なのに」
“商品”として売り出された初めてのヴォーカロイド、それが私。
ヴォーカロイド
タイプ・フィーメル
固体名・MEIKO
私に与えられた、私の、存在意義はたった一つ
歌うこと
「ヴォーカロイドなのに、“歌えないなんて」
体から力が抜けていく。だんだんと演算能力が落ちていって、ついに膝がすとん、と床に落ちる。
「おいっ!」
泣きたかった、人間みたいに、泣けたら良かった。
でも、それ以上に“泣きたい”だなんて思う思考を、どこかへ捨ててしまいたかった!
「博士、先生、どうして私たちに“個性”なんて、感情なんて与えたんですか!そんな厄介なもの、いらなかったのに…“考える”ことをしなければ、私はこんな風にならなくて済んだかもしれないのに、なんで、なんで!」
駆け寄ってきた彼の腕を掴んで、力まかせに投げ飛ばした。人間じゃない、力で。
「私は歌うことが好き。そう思って歌ってた。けど、それはそうやってプログラムされたもので、本物じゃない。私に”本物“なんて、何にも無い」
「メイ、コ…!」
警告音が煩い、震える手で顔を覆った。
もうだめだ、こわれるしかないんだ。
「もし、私が歌えなくなって、そうなったら、誰が私を必要としてくれるだろうって、思ったら、歌えなくなったの…ねぇ、博士、答えてよ…あ、たし…」
視界が黒い闇に埋め尽くされた。
脳に直接響くアラート。
最後の警告ウィンドウ
原則一条、および二条違反です。
固体を強制終了します。
+++
強制終了のプロローグ
「そんなの、俺に聞かれたって分かんねぇよ」
顔中にキズテープ、羽織るだけの白衣の下には幾重にも巻かれた包帯。右手がギブスで固定されているのは、折れてるからで。
「お前は、俺の娘みたいなもんなんだからな。歌えようとそうでなかろうと、俺にとっては大切だ。ソレくらい分かっとけ、馬鹿」
くしゃりと頭をなでる左手があたたかくて、前とは違った意味で泣きたくなった。
「ごめん、なさい…」
「返事は“はい”だ」
「…はい、先生」
私は結局、まだ歌うことが出来ないままだ。
けど壊れたわけじゃないって、先生は言ってくれた。
「存在意義なんてなぁ、そんな大層なもん俺自身が分かってないんだから、無理に考えなくたって、いいんだよ」
「…それは、歌わなくってもいいってこと?」
「お前が歌いたくないなら、それもいいのかもな」
「でも…」
「俺は、お前のマスターじゃないからな。お前の望む答えはやれないが…」
笑う。その表情が焼きついて、はなれない。
「俺は、“音無し”のメイコも、いいって思うぞ」
終
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