第三章 決起 パート4

 リンとセリス、そしてアレクがルワール城に戻った時、城内が上に下にという大騒ぎに包まれていることに三人は気が付いた。一体何事だろう、と瞳をぱちくりとさせたリンの目の前を、ミレアが猛烈な勢いで駆けて行こうとしていた。その勢いで、真っ白なエプロンの端がぱたぱたと揺れている。温水だろうか、たっぷりとした水で満たされたタライを両手に抱えていた。そのミレアはリンとアレクの姿に気が付くと、十分に毒の入った口調でこう言った。
 「もう、あんたたち何していたのよ!」
 その口調にリンは戸惑いながら、こう答える。
 「何って、剣の鍛錬だけど・・。」
 リンのその言葉に、ミレアは呆れたような口調でこう答えた。
 「今日くらい休んでも良いじゃない!アレクさん、あなたも、今日から父親になるのだから、たまにはメイコさんと一緒にいてあげて!」
 その言葉に、リンとアレクは思わず顔を見合わせた。次の瞬間、アレクが叫ぶようにこう言った。
 「生まれるのか!」
 「そうよ!早くして!人手が足りないから、リンも手伝ってよね!」
 ミレアはそう叫ぶと、時間が惜しいという様子で玄関ロビーから二階へと続く階段を駆け上がっていった。衝撃に押されて、水が数滴、階段に毀れる。その後ろを、リンとアレク、そしてセリスが駆け上がった。ミレアが向かう先は二階テラスの手前の部屋だった。確か、今は空き部屋になっていたはず。
 「ここから先は男子禁制。」
 部屋に入る直前、追いかけてきたリンとアレクに向かってからかう様にミレアはそう言った。そして、言葉を続ける。
 「リン、お湯が足りないから沢山持ってきて。厨房で用意してくれているわ。」
 ミレアは今ルワールにいるメンバーの中で、ハクと共に数少ない、リンを呼び捨てにする人間だった。それだけ、リンとミレアの関係が深いとも言えるだろう。そのミレアに対して、リンは素直に頷きながら、こう言った。
 「先に着替えてくるわ。軍服では都合悪いでしょう。」
 「そうね。エプロンは厨房から借りてきて。」
 その言葉にリンは頷くと、二階の反対側に用意されている自身の私室へと向かって全力疾走で駆け出して行った。呆然と残されたのはアレクとセリスである。その二人に対して、ミレアは怖気付く様子も見せずに、こう言った。
 「アレクさんとセリスはここで待っていて頂戴!」
 そのまま、ミレアは扉の向こうへと消えた。ばたん、という勢いのある扉の音が響き渡る。待っていろといわれても、とアレクは珍しく落ち着かない様子で廊下を足踏みした。この部屋の奥でメイコが出産をするのだろうことは理解したが、一体どんな風に待っていればいいのだろうか。それはセリスも同様だった。こんな時、私は何をしたら良いのだろう?
 「アレク、戻っていたのか。」
 落ち着いた、初老の男性の声に反応して振り返ると、緩やかな私服に身を包んだロックバードの姿がそこにあった。アレクはその姿を見て、まるで頼りになる父親を見つけたかのような口調でこう言った。
 「ロックバード卿!」
 ルータオを逃亡して以来、メイコを始めとした赤騎士団のメンバーは今や伯爵ではないロックバードを指して、ロックバード卿と呼ぶことが慣わしとなっていた。未だ深く存在しているロックバードに対する尊敬の念を端的に表している事例だと言えるだろう。そのロックバードは、落ち着け、とばかりにアレクの肩を軽く叩いてから、こう言った。
 「中にはルカとグミ、それからフレアもいる。案ずることはない。」
 ロックバードのその言葉に、アレクは複雑な表情を見せた。ルカはともかく、グミは一体どのような表情でメイコの出産に立ち会っているのだろう?
 そうアレクが考えたとき、再び大急ぎという様子で現れた人物がいた。ハクである。両手に目一杯のタオルを抱えての登場であった。そのハクは、小部屋の前で感情を何処に向けたら良いのか分からないという様子で視線を泳がせているアレクに対して、それでも丁寧に一礼すると、無言のままで先程のミレアと同じように小部屋の奥へと消えていった。そのハクと入れ違いに、ミレアが再び姿を現す。そのまま階下へと駆け下りていったところを見ると、追加の温水でも求めに行ったのだろうか。
 「どいて、どいて!」
 続けて現れたのはリンであった。先程まで身に着けていた軍服は既に着替えており、ミレアとお揃いのエプロンに身を包んでいる。しかも、先刻のミレアと同じように両手でタライを抱えての登場である。その姿には流石のロックバードも驚いた様子で、恐縮とばかりにこう言った。
 「リン様までそのようなことをされなくとも。」
 そのロックバードに対して、リンはしかし思いっきり首を振ると、こう言った。
 「もう私は王族でも何でもないし。」
 そして、言葉を続ける。
 「・・それに、こういう時は何か動いていた方が気楽。」
 その通りだ、と考えながらアレクは元主君が小部屋の向こうへと消えてゆく様を呆然と眺めた。女は強いとは昔から言われているが、確かにそうだ。戦だなんだと力を発揮しても、本当に重要な時に力を出すのはいつも女だとアレクは考えたのである。
 「何か手伝うこと・・なさそうですね。」
 明らかに場違い、という雰囲気でそこに現れたのはウェッジであった。その姿をアレクは恨めしそうな視線で見つめた。お前も早くハクとやらと結ばれて、子供でも作ればいい。そうすれば今の俺みたいにどうしようもない、ただ落ち着かずにそわそわする不安定な感情も共有することが出来るのに!アレクは珍しく不建設にそのようなことを考えると、何もやることが無い、と諦めがふんだんに混じった様子で廊下の壁にどっ、と勢いよくもたれ掛かった。
 その直後、痛みに泣き叫ぶような悲鳴が響き渡った。メイコの悲鳴である。メイコの悲鳴を人生で始めて耳にしたアレクは思わずびくり、と身体を硬直させた。直後に、顔面が蒼白になったことを自覚する。もしや、難航しているのか、と焦り、浮き足立ったアレクに対して、ロックバードは務めて冷静に、こう言った。
 「メイコを信じろ。ルカも付いている。大丈夫だ。」
 そのロックバード自身も、正直に言うとアレクに近い感情を味わっていたのである。だが、そこは年長者としての務め。若者のように取り乱しては立つ瀬がないと考えたのである。
 「お義父さま・・。」
 不安がるように、セリスもそう言った。そして、不安を隠しきれないと言う様子でロックバードの服の裾をつ、と小さく摘んだ。そのセリスの小麦色の髪をロックバードは優しい手つきで撫でてやる。そうすると、セリスは安堵したように、一つ溜息をついた。直後に、小部屋から再び姿を現したのはリンとハクであった。その背後から、ルカの怒声にも近い言葉が漏れる。
 「とにかく、ありったけのお湯を持って来て!」
 それと同時に、メイコの悲鳴も大きくなる。アレクはまるで生きた心地がしなかった。足元が浮遊するような感覚を覚えたが、そこは何とか止まる。リンとハクは、その声に押し出されるように廊下へと飛び出し、先程のミレアと同じように階下へと駆け下りてゆく。それと入れ違いに、再びタライにお湯を満たしたミレアが階段を登ってきた。そのまま、無言で小部屋へと駆け込んでゆく。
 「本当に、男とは無力な存在だな。」
 溜息を漏らすように、ウェッジがそう言った。
 「・・ああ。」
 それには十二分に同意できる、とアレクは考えながらそう答えた。全く以ってそうだ。こういう時、一体何をしたらいいのかすらも分からない!
 暫くすると、リンとハクがそれぞれタライを抱えて再び戻ってきた。先程のミレアと同じように無言で小部屋へと消えたリンとハクの背中を情けなく見つめ、アレクは響き続けるメイコの悲鳴にいちいち心胆を冷やしながら、永遠とも思えるような時間を過ごすことになった。それはその場にいた全ての男性陣と、幼いセリスも同様だった。その時間は三十分程度だっただろうか。突然、メイコの悲鳴が収まった。
 どうなった、とアレクは不安を隠さないままでウェッジと顔を見合わせた。とりあえず、こいつがいてくれて良かったのかも知れない。どうもこの男は気の強い女性陣に弄られている印象しかないが、なんだかんだと言ってウェッジはアレクにとって、気の合う男でもあるのだ。だが、その不安は直後に大きな喜びと共に掻き消されることになった。
 おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ・・!
 響き渡る、赤子の声。アレクが目と口を驚きと喜びに満ちた表情で見開いた時、疲れきった様子でその小部屋から一人の女性が顔を出した。
 「安産でした。ほら、ぼんやり突っ立っていないで、入ってください。」
 グミであった。その表情に複雑な色を見つけたアレクは、申し訳なさそうにグミに向かってこう言った。
 「ありがとう。」
 そのアレクに対して、グミはまだ心の整理が付いていない、と言う様子で顔をそむけた。そして、アレクに向かってこう答える。
 「私は疲れたので、休みます。それじゃ。」
 そのまま、自身の私室が用意されてゆく二階の反対側へと歩いて行った。その背中を見ながら、アレクはもう一度、心の中で感謝の言葉を述べた。
 「早く入れば?」
 続いて、アレクにそう声をかけたのはミレアであった。ミレアもまた、安堵した様子で僅かに微笑みを見せている。そのミレアに僅かの緊張を持ちながら頷いたアレクは、まるでこれから戦に赴くかのように慎重な足取りで小部屋へと入室した。皆同じような、優しげな笑顔を見せていた。フレアも、ハクも、そしてリンも。一人、ルカだけは心底疲れた、という様子で丸椅子に座り込んでいたけれど。
 「メイコ。」
 出産で酷い疲労を覚えたのだろう。メイコは少し、疲れた表情でアレクを見た。ベッドに横たわったままで、少し眠たいような表情で、メイコはアレクに向かってこう言った。
 「ちゃんと生まれたよ・・。」
 「ああ。良く頑張った。」
 アレクはそう言いながら、メイコの髪を撫でた。そうすると、普段は気丈なメイコがまるで幼い子供のような甘い表情を見せた。嬉しそうに、そして幸せに満ちた笑顔を見せながら。
 「元気な男の子ですわ。」
 丁寧に身体を現れたアレクの息子が、ハクに優しく抱きかかえられながらアレクの前に示された。触れればすぐに壊れてしまいそうな、弱々しい、だが酷く愛らしい子供だった。
 「抱いても、いいのか?」
 少しの不安を見せながら、アレクはそう訊ねた。そのアレクに対して、ハクは優しい笑顔を見せると、とても貴重なものを扱うようにアレクに赤子を差し出した。いや、事実宝物だ、とアレクは考えた。両腕に、生まれたばかりの赤子が乗せられる。軽い、とアレクは思った。だけれども、とても、温かい。
 「大分大きな声で鳴いていたから、疲れたのでしょう。」
 大きな吐息を漏らしながら、ルカはそう言った。そのまま、言葉を続ける。
 「今はゆっくり休んでいるわ。」
 そのルカの言葉を耳にしながら、アレクは力強い眼差しで生まれたばかりの赤子の姿を見つめ続けていた。ずっと、ずっと。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ハーツストーリー 44

みのり「ということで第四十四弾です!」
満「出産シーンで全部終わったけれど。」
みのり「当然レイジさんは男だから一生出産することないし、今のところ出産に立ち会う予定はないけれど。」
満「将来自分がアレクの立場になったらこうなるだろうな・・。と妄想しながら書いた。合ってるのかどうかは分からない。」
みのり「満もあんな風になるのかな?」
満「・・さぁ?」
みのり「ふ~ん?」
満「そうだな、とりあえず藤田呼んで、徹底的に弄って気を紛らわせるかな。」
みのり「あたしやだ。藤田に会いたくない。」
満「・・そうか。」
みのり「ということで、重要なシーンだったので気合入れて書きました!この表現で合っているのか、そこは自信がないけれど・・温かい目で見ていただければ幸いです!それでは次回も宜しく!」

閲覧数:243

投稿日:2011/04/17 21:13:20

文字数:4,591文字

カテゴリ:小説

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  • ソウハ

    ソウハ

    ご意見・ご感想

    お久しぶりです、レイジさん。
    ソウハです。
    なんとか、進級して落ち着いたので久しぶりに閲覧しに来たら、すごい進んでいて驚きでした。
    今回の話もすごかったですし(笑)
    私も小説頑張らないとなぁ、と思います。
    ところで、震災から一カ月経ちましたね。
    そちらは大丈夫でしょうか?
    私の住んでいる地域は少し揺れました。
    前に私の高校でも義援金の募金があったんですよ。少しでもしましたけど。
    まぁ、兎に角……頑張って行きましょ~う。
    レイジさんも体調を崩さない程度に頑張ってくださいね。
    それでは、長文失礼しました。
    次の作品も楽しみにしてまーす♪

    2011/04/20 20:14:32

    • レイジ

      レイジ

      お久しぶりです♪
      お元気でしたか?

      丁度時間が空いていたので随分書き進められましたよ^^
      まあまとまった時間がないとなかなか書きにくいとは思いますが・・頑張ってください!

      震災の影響は一通り落ち着いた、という感じですかね。
      (大分揺れましたけどw)
      ただ未だに、省エネ対策の為にエレベーターが運休とか、お店の照明が暗いとかありますけど・・。
      夏場の方が大変そうです。。
      電気大丈夫かな・・。

      義援金は僕も僅かながら募金してますw
      それこそニコ動経由とかでw

      それでは、ソウハさんも体調に気をつけて頑張ってください!
      次回も宜しくお願いします☆

      2011/04/20 23:19:30

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