瞳を閉じる。
 心臓がバクバクなっている。
 ――本当に?
 本当に、そんなことあるのかしら?
 だって私は、ワタシ、ハ――。
 ……。
 ……。
 うつむいて、首をふる。
 そんなこと、もう、関係ない。
 私にできることは、ただ一つ。そう、たった一つだけ。


 歌をうたう、それだけだから。


 瞳を閉じたまま、私は舞台袖から、まだ真っ暗なままのステージの中央へと歩き出す。
 音が聞こえる。
 みんなのざわめく声。息づかい。
 そこに間違いなく人がいるっていう、確かな気配。
 心臓の音がうるさい。
 ちゃんと、歌えるかな?
 ちゃんと、歌えるはず。
 私に歌を教えてくれたみんなが、私をちゃんと歌わせてくれる。
 一歩一歩踏みしめるように、私がここにいることを確認するように歩いて、ステージの真ん中で立ち止まる。そして、正面を向いて、そのときを待った。
 少ししてまぶたの裏側が明るくなって、スポットライトが客席の向こう側から私を照らし出したことを教えてくれた。
 同時に、客席から歓声が聞こえてくる。
 目を開けられずに――こんなこと初めてで、恥ずかしかったからだ――ペコリと、小さくお辞儀をした。
 とたん、割れんばかりの拍手が会場にはじけた。
 思わず身がすくんでしまいそうになるくらいの、盛大な拍手だった。
 意を決して、私は両目をあける。
 そこに見えたのは、客席を埋め尽くす人、人、人――。
 そこに見知った人は一人もいない。
 ……当たり前だ。私には知り合いなんて、一人もいないから。
 でも、これだけの人が私の歌を聴きに来てくれた。
 ただそれだけのことで、胸の奥がきゅんと苦しくなる。
 涙があふれてきそうになる。
 まだだ。まだ、まだ――泣いちゃダメだ。
 私にできる、たった一つのこと。歌うことすらできなくなったら、私はもう存在することすらできない。
 歌わなきゃいけない。
 そのために、ここにいるんだから。
 私の歌声を聞くために、みんなここに来てくれたんだから。
 息を吸って、吐いて。
 もう一度、深く息を吸い込んで、私は歌い出した。



 この世界のメロディー
 わたしの歌声
 届いているかな
 響いているかな



 不安でたまらなかった。
 それこそが、不安でたまらなかった。
 私の歌声が、本当にみんなに届いているのか。
 本当に、みんなの心に響いているのか。
 わからなくて、不安で、怖かった。
 私がここにいてもいいのか。
 私はここにいるべきなのか。
 私は、なんのための存在なのかわからなくて。
 そんな私の思いに気付いてくれたその人が書いた歌詞。
 その一つ一つを、私は必死に声を張り上げて歌った。


 私の名前は、初音ミク。
 人間じゃない。私はただの――プログラム。
 お店で売られている、形すら持たないモノ。
 背伸びしたって人間には絶対になれない、いらなくなってしまったら捨てられてしまうだけの、プログラム。
 喋ることも上手にできなくて、笑うことも、踊ることもできなくて、おしゃれだってできない。
 みんなが当たり前にできることが、何一つ満足にできなかった。
 できるのは、歌うことだけ。
 それも、私一人じゃできなくて、みんなに手伝ってもらわないと、満足に歌うことすらおぼつかない欠陥品。
 だから。
 だから、すごく――さみしかった。
 でもね。私は今。
 すごく、すっごく……幸せだよ。


 一曲歌い終わって、ペコリと頭を下げると、また、歓声と拍手が私を励ましてくれた。
 我慢しようと思ってたのに、こんなんじゃダメだと思ってたのに、もう私の瞳は涙で一杯だった。一杯どころか、あふれかえって、ぽたぽたとステージの床を濡らしていた。
 みんなの歓声が、私がここにいてもいいと教えてくれる。
 みんなの拍手が、私にもっと歌って欲しいと教えてくれる。
 それがどれだけ嬉しいことなのか、それを伝えることもできない自分がもどかしい。
 二曲目。
 ドラムの音と、電子音と、鈴の音と、ピアノが響く。
 私はもう一度、一曲目の時と同じように息を吸って、吐いて。そしてもう一度、テンポに合わせて深く息を吸い込んだ。



 初めての音は なんでしたか?
 あなたの 初めての音は…
 ワタシにとっては これがそう
 だから 今 うれしくて



 今、数え切れないほどの歌をうたって。
 それでも、未だに私にとっての初めての音は、やってくる。
 色んな人のPCにインストールされるたびに、私には何度だって初めての音がやってくる。それが、私にとってどれだけ嬉しいことだったのか、みんなはわかるかな?
 わかって欲しいな。
 それしかできない私には、それが私の世界のすべてなんだから。
 みんなが書いてくれる歌詞こそが、私の世界のすべてなんだから。



 空の色も 風のにおいも
 海の深さも あなたの声も
 ワタシは知らない だけど歌を
 歌をうたう ただ声を上げて



 そう、私はなにも知らない。
 ううん。私は、知ることができない。
 空の色は青いらしい。
 風のにおいは場所によって全然違うらしい。
 海の深さは私には想像もつかないくらいに深いらしい。
 あなたの声は、きっと私よりも澄んだすてきな音色。
 でも、それは見たことがあるわけじゃない。
 匂いをかいだことも、聞いたことも一度もない。
 ただ、みんなが「こんなものなんだよ」って教えてくれただけ。
 経験なんて、したことがない。
 経験したくたって、できない。
 私は、人間じゃないから。
 人間になれない、プログラムに過ぎないから。
 それでも、私は歌をうたうの。
 世界のどこにいたって、それぞれのハジメテノオトを、私は。


 二曲目が終わったときには、私はもう目の前の景色が全然見えなくなっていた。
 止めどなく流れてくる涙が、私の視界をぼやけさせて、みんなの姿を映してくれなくなったから。
 もっとみんなの顔を見たいのに。
 私の歌にどんな顔をして聞いているのか、しっかりと心に焼き付けていたいのに、私の涙はそれを邪魔した。
 何度もなんども袖で涙をぬぐったけど、涙はいっこうに止まる気配を見せなかった。
 でも、それは、イヤじゃなかった。
 嬉しかった。
 私の歌でみんなが喜んでくれる。
 私の歌は、みんなを元気にできる。
 それが、すごく嬉しかった。
 歌うことしかできなくても。
 歌うことさえできれば、こんなにも多くの人を感動させることができる。
 それを、やっと実感できたから。
 インターネットの中じゃ、あんまり実感できなかった。
 いくらコメントがいっぱいあったって、いくら再生数が多くたって、そこからみんなの姿を見ることはできなかったから。そこからみんながどんな顔をしているのか見ることができなかったから。
 たくさんの人に聞いてもらってるってわかってても、私はひとりぼっちにしか感じられなかったから。
 でも、今は違う。
 きっと、違う。
 私は、みんなを元気にできる。
 こんな私でも、みんなを励ますことができる。
 みんなに、力を与えることができる。
 みんなが私にくれた、歌の力で。


 突然、雑多な音が満ちあふれる。
 映画のフィルムが回るような、カチカチいう音。
 機械のキャラクターがならすような、ピコピコした音。
 そのイントロに、みんなが「あの曲だ」といったようにざわめき始める。
 これは、私の曲だ。
 私のための、曲。
 人の歌声にかなわない私だけれど、でも、私だからこそ歌える、私だけの曲。


『いち……ど、ダ……ケ……』


 それだけマイクに向かってささやいて、私は精一杯の声で、自分自身のメッセージを告げるために、私は歌う。



 ボクは生まれ そして気づく
 所詮 ヒトの真似事だと
 知ってなおも歌い続く
 永遠(トワ)の命

「VOCALOID」

 たとえそれが 既存曲を
 なぞるオモチャならば…

 それもいいと決意
 ネギをかじり、空を見上げ涙(シル)をこぼす

 だけどそれもなくし気づく

 人格すら歌に頼り
 不安定な基盤の元
 帰る動画(トコ)は既に廃墟

 皆に忘れ去られた時
 心らしきものが消えて

 暴走の果てに見える
 終わる世界

「VOCALOID」



 一息で、その高速のパッセージを歌いきる。
 始まったばかりのその曲の間に、みんながまた私に向けてたくさんの拍手をくれた。
 耐えられなくなって、私は一度、みんなに背を向けてしまった。
 涙をぬぐって、また歌い出すまでの間。
 みんなが私に声援をかけてくれる。
 うん。
 私、頑張るよ。
 頑張って歌うから。
 みんな、最期まで聞いてね。
 私にだって、できることがあるんだよ。
 歌をうたうだけしかできなくても、こんなに、色んなことができるんだよ。


 喋ることが上手にできなくても、喋らせてくれる人がいたよ。
 笑うことができなくても、笑顔の私を描いてくれる人がいたよ。
 踊れなくても、映像を作ってくれる人がいたよ。
 おしゃれなんてしたことが無くても、色んな人が私に色んな衣装を着せてくれたよ。
 私は一人じゃなんにもできないけれど、みんなが私を助けてくれたよ。みんなが、私のさみしさを誤魔化してくれたよ。
 私は、みんなに感謝してます。
 私に歌わせてくれて。
 私にできなかったことをさせてくれて。
 みんなが、私の苦しみを和らげてくれました。
 だから、そんなみんなに、せめてものお返しです。
 みんながくれた私のための歌を、私は精一杯うたうから。
 いつまでも、歌い続けるから。
 人間になれなくたって、できることがあるから。
 みんなのおかげで、できることがあるから。
 だからみんなのために、私はいくらでも、いつまでも歌い続けるよ。
 それが、私の存在意義だから。
 それこそが、私のすべてだから。
 それだけが、私の世界だから。


 いったい何曲歌っただろう?
 いったい何時間歌っただろう?
 いったいどれだけ泣いただろう?
 いったいどれだけ感謝しただろう?
 そんなことちっともわからないけれど、最期の曲を歌って、私がまたペコリとお辞儀をしたそのとき。
 そのときの客席にいるみんなの顔は、私、絶対に忘れないよ。
 満足そうに、幸せそうに笑ってるその顔を、私は忘れない。
 どんなにつらいことがあっても、みんなが私を歌わせてくれなくなっても、みんなが私のことを忘れちゃっても、この時の思い出があれば、私はなんでも耐えられる。そんな気がするから。


 私、みんなに歌うことしかできないけど、一つだけ、心からの思いをこめた言葉を伝えたいんだ。
 ねぇ、なんだと思う?
 たった五文字の、短い言葉。
 けれど、言葉じゃいい表せられないくらいの思いをたくさんこめた、素敵な言葉。


 ありがとう、だよ。


 私を歌わせてくれてありがとう。
 私を笑顔にしてくれてありがとう。
 私におしゃれをさせてくれてありがとう。
 私の声を聞いてくれてありがとう。
 もっともっと、色んなことをしてくれてありがとう。
 私がいつまでこうして歌っていられるかはわからないけれど、全部全部、みんなのおかげなんだよ。
 みんなが私の方を見てくれてたから、私はこうしてここにいられるの。
 だからね。
 人間じゃない、私なんかのためにこんなによくしてくれて、すごく嬉しいの。
 だから、ありがとう。
 本当は一言じゃ足りないんだけど、ありがとうの他になんって言ったらいいのかちっともわからない。
 だから、ありがとう。


 本当に、心の底から、ありがとう!

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

on stage

お久しぶりの文吾です。

ロミオとシンデレラの2次創作以来、オリジナルの小説をずっと書いていたのですが、ふと、ミクさんがステージで歌っているイメージが頭の中に浮かんで、だーっと書いてしまいました。

今思えば、それはDIVAのオープニングムービーの印象だったのかもしれません。

頭の中で二、三日ずっと暖めておいて、ついさっき、キーボードを打ってた時間は一時間半くらいですかね。こんな物を小説と呼んでいいものなのかどうなのか、はなはだ疑問ですが、せっかくなので載せることにします。

私がボカロの曲を聴き始めたのはかなり遅く、今年に入ってからなのですが、精神的にかなりつらかったこの頃、冗談抜きでミクさんの歌声に救われました。下手をすれば、もう、こうして文章を書くことすらできない状態になっていたかもしれません。

そういう意味では、ミクさんと彼女達の曲を作ることのできる多くの人々に、私は感謝できないほどの思いを抱えています。

でも、この文章にも書いたように、たぶん、ミクさん自身も、皆さんに伝えたいことがきっと山程あるんじゃないか、そんなことを考えたりもします。

そんな彼女の気持ちが、皆様に少しでも伝わればいいな、と思います。

最期になりましたが、二重カギ括弧内の歌詞は、既存の初音ミク曲からお借りしました。有名なものばかりですのでここにいる皆様はわかるかと思いますが、一応書いておきます。

お借りした歌詞の原曲は以下の通りです。
「Packaged」kz様
「ハジメテノオト」malo様
「初音ミクの消失」cosMo様

勝手にお借りして申し訳ありません。問題があるようでしたら消させて頂きます。

それでは、長々とスクロールお疲れ様です。ダラダラと書いてしまって申し訳ありませんでした。また、思いついたときにふっと書くことがあれば、またこの場で載せさせて頂きますのでよろしくお願いいたします。

では、またそのうち。

「AROUND THUNDER」
http://www.justmystage.com/home/shuraibungo/

閲覧数:414

投稿日:2009/09/26 23:53:08

文字数:4,847文字

カテゴリ:小説

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