数年前に書いた拙作「歌詞を書く上でのポイント」が気が付けば何人もの方にブックマークを頂いた様で、著者としては嬉し恥ずかし朝帰りといった今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。あんな拙い文章に最後までお付き合い頂きあまつでさえブックマークまで下さった皆様は今もまだ詞作に励んでいらっしゃるのだろうかとか少し物思いにふけったりもしています。
 創作に傾けられる時間や情熱というものは決して誰もが無限に持てるものではないと思います。それこそプロや最近ではプロに準じるほどのペイを得られるアマチュアというのも珍しくありませんが、少なくともそういった存在にならない限りは次第に日々の生活に忙殺され創作への意欲も情熱も削がれていくものであるのかもしれません。プロになったからといってその生活がいつまで保障されるかなんてわかったものではありませんしね。二十台も後半に差し掛かるとふとそんな事を考える時があります。
 特にピアプロで歌詞書きをしているとそんな事を考えてしまう事は多いです。特に僕のように曲先歌詞応募を活動の中心としている人間にとってそれは顕著で、近年のボカロブームで活発な動きを見せているピアプロの中で歌詞募集をかけている曲というものは多くありますが、その中で「歌詞を書いてみたい!」という衝動に駆られる曲は(楽師の技量に関係なく)ほんの一握りで、その中でタイミング良く出会う事ができて期限内に歌詞が完成する作品はさらに絞られますし、渾身の一作が出来た!と思ったところで楽師さんの目に止まらない事もあります。なまじ楽師さんに気に入って貰えたとしても他に有力な作品がある時は必ず採用されるものでもありません。そういった状況の中で自分は後何度心を奮わせてくれる楽曲に出会う事が出来てその中の果たしていくつが作品として形に残るのだろうという事を考えると少し寂しい気分になる時があります。皆それぞれ自分の活動があり生活がありますから、コラボをしたからといって楽師さんとの交流がそれきり途絶えてしまうなんていう事も往々にしてあるものです。

 他の歌詞書きの方にとってもそうであるとは思いますが、少なくとも自分にとって歌詞を書くために費やすエネルギーというものは膨大なものです。形にしてしまえばたかが数百文字の文字の羅列であっても、そこに懸ける熱量というものは一万文字の小説の世界を創造していく事となんら変わりありません。だからこそ例え簡単な一括レスポンスであれ、その労力を労ってくださる楽師の方の元には例えその時は採用されなくてもまた挑戦してみたいと思うものですし、逆にそういった心遣いの無い楽師さんの元にはどれだけ完成度の高い曲を作る方であっても二の足を踏んでしまうというのが人情であったりします。楽師さんにとってはそんな不遜な態度を取るつもりではないのだろうと理解はしていても。やはりコラボを謳う以上は互いの作品に対して敬意を払える関係でいたいものです。これはもちろん自戒の念も込めて。

 さて、前置きが必要以上に長くなりましたが今回は作詞講座対話篇という事で少し精神的な話に偏ってみようと思います。基礎的な事は以前の「歌詞を書く上でのポイント」や作詞講座で検索をかければ実に多くのテキストがあるので参考にしてみるのも一興であるかもしれません。
 以前は歌詞を書く上では曲の雰囲気とリズムを尊重する事と語彙の強化が肝要であるという事を重点的に語ってきたつもりですが、その次の段階に進むと「ではその上で何を描いていくか」というものが最も重要になってきます。つまり自分がその作品を書き上げる上での必要性が肝になってくるのです。これは歌詞だけでなく全ての創作に言える事かもしれませんが、物書きにとってはこれは特に重要になってくるのではないかと思います。

 作品というのは創作者にとっては我が子も同じですし、自分の分身のようですらあります。喝采を浴びれば嬉しいものですし、誰の目にも止まらず埋もれていけば悲しい気分にもなります。それはたぶん創作者それぞれが当たり前に持つ感情です。だからこそ自分の作品を客観的に磨き上げる目というものが必要になってくると思うのです。

 ――小説というのはね、たったひとりの読者に向けて書くものなんです。

 これは作家太宰治の生涯を描いたドラマ太宰治物語という短編ドラマに出てきた台詞で、数年前の作品であるのですがこの言葉だけは今も鮮烈に覚えていたりします。たぶんこれは曲にも歌詞にも当てはめる事ができるものだと思います。皆さんにとってこの「たった一人の読者」というのはどんな人なのでしょうか。恋人・友人・かつての自分自身。色々あると思いますし、時にそれは空想された誰かであるかもしれません。その人はどんな人生を営み、どんな絆を育み、どんな服を着ていて、どんな事に苦悩し、どんな事に幸福を感じるのでしょうか。自分がその人に伝えたい事というのは一体どんな事で、自分の作品は果たしてそれを伝えるに足り得る作品であるのでしょうか。何を書けば良いのか迷った時は是非ともそんな自問自答に陥る時間を作ってみてください。地獄です。

 創作者というのは結局自分の中に閉じ込められた世界を形にして誰かに伝えるためのパイプのようなものであると思います。作品という何かを降臨させるための巫女であるのかもしれません。技術や理論や発想というものはその役割を滞りなく十二分に達成するための道具であると思います。自分の世界を伝えられる存在は自分しかいないのだという事を意識して覚悟さえ持てば技術や発想なんてものは後からついてくるものです。理論は勉強しないと身につきませんが。

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ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

【作詞講座】たった一人の読者へ宛てて【対話篇】

     ∧_∧       ∧_∧
    ( 現実)      (; ' A` )
  三 (  つ つ     (つ   ,ノつ
  三 人 ヽノ      / ゝ 〉
   (__(__)     (_(__)




                ∧_∧     ∧_∧
               (;Д⊂彡  三現実  )
              ⊂    ノ  三G(   こつ
                人  Y    三(_,\ \
               し (_)        三___)





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       ( フ現実)フ   ::∧_∧: ⊂(現実 ,)
      (    )ノ    :( ∩∩ ).   \    )
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      (_)_)     ::( ̄__)__)::     し(_)

閲覧数:1,183

投稿日:2013/01/13 00:59:43

文字数:2,368文字

カテゴリ:その他

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  • 双葉

    双葉

    ご意見・ご感想

    まだ寒い二月の週末午前三時過ぎに何だかよくわからないテンションで一体何やってんだかと自分にツッコミいれつつも楽しく拝読させて頂きました。
    はじめまして、双葉といいます。
    私も最近ピアプロの曲先歌詞募集作品に詞の応募などをしていますが、通りがりたまたま目に入った鶏さんのこのテキストに共感を覚え、メンタル面ですごく勇気付けられました。
    作詞者としてはまだまだ若輩の身で僭越ではありますが、一言感想を残したくなった次第であります。
    これからもこの奇跡のような時間の中でお互い素敵な作詞ライフを過せたらいいですね。

    2013/02/16 03:51:40

    • 鶏 

      鶏 

      はじめまして鶏です!嬉しくて返信しようと思ってたら遅くなりました><
      わざわざメッセージ残して頂いてありがとうございました!
      やっぱり歌詞書きってなかなか作品が形に残らないですし目立たないのでモチベーションの維持って結構大変だと思うのですよ。僕も何度かやめようかなと思った事もありますし、実際離れた事もありますが結局なんだかんだで戻ってきてしまいましたしw
      なので同じテキスト書きの皆さんにテキスト書きとして何か残せたらいいなぁと思ってなんかつらつらと書いてしまいました。メンタル面で少しでも勇気づけられたならこれはもう物書き冥利に尽きるというものです!これからもお互い一つでも良い作品が残せるように頑張っていきましょう(=人=)双葉さんに素敵な作詞ライフが訪れん事を。

      2013/02/26 09:50:41

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