晩御飯の支度をしていると、腰元に衝撃が走った。
何かと思って振り返ると、大きな真っ白なリボンが背中で揺れている。どうやら腰に回っているこの手の主は、双子の姉の方らしい。
「どうしたの、リン」
「……」
ぐす、という鼻声で、リンが泣いていることに気がついて、私は水道を止めてから振り返る。どうしたの、ともう一度顔を見ながら問いかけると、胸元にしがみついて、リンが耐えかねたように泣き出した。 …この泣き方、レンとケンカでもしたかな。
「…めぇ姉…あのね…」
「無理して話そうとしなくていいわよ。ゆっくりでいいから」
「……」
よしよし、と頭を撫でると、リンは火がついたように泣き出した。とりあえずリンが落ち着くのを待とう。
――きっと、カイトのところにもレンが行っているはずだ。


事の発端はマスターから渡された新曲、だったそうだ。
デュエットではないけれど、レンの曲にリンのハモリが入るということを聞いていたリンは、張り切ってマスターのところに出向いた。スタジオにはもうすでにレンがいて、なにやら真剣な顔でマスターと話をしていたという。
『おはようございまーす』
リンがスタジオに入ると、レンがハッとしたような表情で黙り込んだ。マスターも何となく困ったような表情をしていて、リンは首を傾げる。
『ねぇマスター、新曲は?』
『あー…うん、それなんだけど…』
歯切れの悪いマスターがちらりとレンを見た。すると、スタジオのソファに片膝を抱えて座っていたレンが吐き捨てるようにこう呟いたという。
『俺、この歌降りる』
『えっ…?』
『…レン、考え直せって』
『マスターに何て言われても俺は降りる。カイト兄にでも頼んでよ』
『この歌はリンとレンじゃないと意味がないんだよ』
『…悪いけど、歌いたくない。俺帰る』
『レン!』
マスターとレンのやりとりに口を挟めずおろおろしていると、レンが気まずそうに視線を逸らしてスタジオを出て行った。レンがマスターに反抗するなんて初めてだった。
『はぁ…、これじゃレコーディングは中止だな』
『えっ…』
『リンも帰っていいぞ。ちょっと、俺も今日は頭を冷やしたい』
マスターも出て行き、一人スタジオに取り残されたリンは呆然と二つ並んだマイクを見つめた。
(せっかく久しぶりに二人でレコーディングできると思ったのに)

家に帰ると、レンが自分たちの部屋でふて寝をしていた。
リンはベッドに潜り込んで自分に背を向けているレンの体を布団ごと叩き、問い詰める。
『ねぇ、説明してよ。なんで降りるなんて言うの』
『……』
『ねぇ、私楽譜すら見せてもらってないんだよ』
『……』
『ねぇ、レンってば』
『…うるさいな!お前には関係ないだろ!』
ばっと布団から跳ね起きたレンが、大声を上げる。何も語らない不機嫌そうな表情に、リンの怒りが爆発した。
『関係ないわけないでしょ!新曲楽しみだったのに、いきなり中止って言われて納得できない!』
『じゃあお前一人で歌えばいいだろ!俺は絶対歌わない!!』
『だから、ちゃんと説明してよ!何が気に入らないの!?』
『全部だよ!何もかもがイヤなんだ!』
『それじゃ分からないじゃない!ちゃんと分かるように…!』
『…だからっ、お前と歌うのがイヤなんだよ!』

リンの言葉を遮るように飛び出したレンの言葉は、リンにとって最も残酷な言葉だった。
――オマエトウタウノガイヤナンダヨ
生まれてからずっと一緒に過ごしてきた双子の弟からの、初めての言葉。
レンがハッと口を抑えたが、時既に遅く、リンの大きな瞳からはぽろぽろと涙がこぼれる。

『リ…』
『…い』
『…え?』
『もういいっ!!レンのバカ!!大っ嫌い!!!』


そして、今に至るというわけだ。
散々大泣きして疲れたのか、リンは今ソファの私の膝の上で眠っている。頭を撫でると、さら、と柔らかな金の髪が指先をすり抜けた。頬には涙のあとが残っている。
「ただいまー」
がちゃん、と扉の開く音がして振り返ると、そこにはもう一人の妹が立っていた。頼んでいたお使いから帰ってきたミクは膝の上にいるリンに気がついて、小声で私に話しかける。
「リンちゃん、どうかしたの?」
「レンとケンカしちゃったみたい」
「ケンカ…?」
うる、とミクの瞳に一気に涙が溜まる。
家族が大好きな上の妹は、誰かが喧嘩したり険悪な雰囲気になったりするとすぐ泣いてしまう。リンだけでなくミクまで泣き始めると、さすがに手に負えないので、私は慌てて手を伸ばし、ミクの頬に触れる。
「こらミク。お姉ちゃんでしょ。一緒になって泣いちゃだめ」
「…うん。頑張る」
ぐっと涙をこらえ、ミクは天井を見上げて鼻をつまむ。泣き虫なミクが考案した、『涙を止める方法』だ。何度見ても愛らしいその姿に、私はつい笑ってしまう。
「ん…」
膝の上のリンが目を覚ました。泣きはらした目は赤く、まだ痛々しさが残っている。
「あ、ミク姉…おかえり」
「リンちゃん…レンくんとケンカしちゃったの…?」
「…け、ケンカじゃないもん…あいつが一方的に…」
…ああ、二人とも泣き始めちゃった。
私は右にミク、左にリンを座らせる。わんわんと泣く二人の涙で私の肩やら胸やらがどんどん濡れていくが、まぁ仕方がない。諦めて、よしよしと二人の頭に手を回した。

コツン、と控えめにリビングのドアを叩く音がする。
そっと首を巡らせると、ガラス越しにカイトの姿が見えた。
「…ほら二人とも。もう泣かないの。ミク、あんたの部屋にリン連れてってあげて」
うん、と目をこすりながらミクが頷く。手を握り合ってリビングを出て行く妹たちの後姿を見送ると、入れ替わりでカイトが入ってきた。
「レンは?」
「俺の部屋で寝てる。泣き疲れたみたい」
「双子ねぇ」
苦笑すると、カイトも困ったように笑った。何だかんだ言っても、あの子達はまだ14歳なのだ。
「で、原因は?」
「コレ」
カイトに差し出された紙の束を覗き込むと、それは楽譜だった。おそらく、今日マスターから渡されたばかりの新曲の楽譜。タイトルはまだついていないけど、マスターは曲がすべて仕上がってからタイトルをつける人なので間違いないだろう。 受け取り、音符を頭の中で追う。それは、とても綺麗なメロディだった。
「…綺麗な曲」
「ね、レンにぴったり」
「…コレが原因なの?」
とてもじゃないけど、このメロディを嫌がるボーカロイドなんていないだろう。ちらりと読んだ私ですら、歌ってみたいと思うほどだ。
「んー、原因は歌詞の方」
カイトが身を乗り出し、その長い指で楽譜の下の歌詞を示す。
「……」
すべて平仮名で書かれたそれを意味にするのには少し時間がかかったが、読み終えた時、レンが「歌いたくない」と言った気持ちがわかった。

――それは、別れの歌だった。
大切な、ずっと一緒に生きてきた人との、『死別の歌』。

『いかないでよ どこへもおいていかないで ぼくらずっと ふたりでひとつだろう』

なんて切ない歌詞だろう。胸がきゅぅ、と締め付けられるようだった。
「……」
「…マスターも、人が悪いよね。これをリンとレンに歌わせようとするなんてさ」
「…そうね」
そっと歌詞をなぞると、カイトの手が重なる。
温かいその手から、気持ちごと伝わってくるような気がした。
「…俺、マスターのところ行ってくるよ」
「…うん、行ってらっしゃい」

何しに、とは問わなかった。こういう時のカイトは誰よりも頼りになるから。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【カイメイ】マイリトルブラザー 前編

とりあえずリンレンに大喧嘩がさせてみたかった。
途中で出てくる歌詞は、言わずと知れた超名曲、さもさんの『soundless voice』を引用させていただきました。

閲覧数:2,357

投稿日:2010/01/22 05:15:34

文字数:3,175文字

カテゴリ:小説

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