リンが自分の「力」を自覚し始めたのは、施設に入って間もなくだった。
 まだ5歳だったリンは、施設の、ある先生の周りに、白い鳩の羽のようなものがいつでも舞っているのを見て、なんて綺麗なんだろうと思っていた。
 同時に、同じ施設に入れられていた弟のレンには、全く別のものが見えているらしい。リンが鳩の羽の先生と戯れていると、レンはいつも二人から目を伏せ、逃げ出してしまうのだ。
 そんなレンを見て、その先生は残念そうな顔をしていた。
 リンは、階段に座り込んでいた弟に声をかけた。「レン。そんな風じゃ、誰も仲良くなってくれないよ?」
 レンは、「仲良くなりたくない。此処にいるの、みんな、化け物ばかりだ」と言って、ふくれっ面をしている。
「化物って何?」と、リンが聞くと、レンは「あの先生、真っ黒な犬を連れてる。僕が近づくと、そいつが噛みつこうとしてくるんだ」と言った。
「そんなはずないよ。あの先生、とっても綺麗な羽に守られてるよ?」
リンがそう言うと、
「あなたには、あれが綺麗に見えるんだね」
と、別の声がした。7歳くらいの緑色の瞳のお姉さんが、いつの間にか二人の横に居る。
「でも、よく考えてみて? 羽は翼についてる? バラバラに散らばってる? どっち?」
「散らばってる…」と、リンは答えた。
「自然な状態だったら、羽が散らばってるってどう言うことだろ?」と、緑の目の少女は言う。
「羽をむしり取って…るの?」と、リンは聞き返した。
「そう言うこと。あの先生、子供の希望を潰すのが趣味なの。そして、その事を『正しい事』だと思ってる。あの先生と、あんまり仲良くしないほうが良いよ」
「お姉ちゃん、なんでそんなこと分かるの?」と、リンは聞いた。
「それが、私達がこの施設に入れられた理由だよ」と、少女は答える。「私達が『観える』力を持ってることを、否定したい人達がいるって事」
「じゃぁ、お姉ちゃんには、あの羽が別のものに見えるの?」と、リン。
「私が『観える』のは、頭の中の事だけ。あの先生の頭の中の『悪魔』は、羽毛のドレスを着飾ってる。どれだけの数の子供達を否定してきたんだろうね」と、緑の目の少女は言う。
「僕に噛みついて来ようとする犬は、何?」と、レンも聞いた。
「あなたに自分の悪意を気付かれたくないのよ。あなたが『悪魔』の存在に気づけるって分かってるから。無理にあの先生に近づかなければ大丈夫」
 年上の少女は、双子にそう教えると、二人の間に顔を近づけ、そっと囁いた。「もし、どうしても自分達で切り抜けられないことがあったら、メイコ先生に相談して」
 施設に入れられたばかりの二人は、まだその名前の先生には会ったことが無かった。
 少女が立ち去ろうとした時、リンは「あなたの名前は?」と聞いた。「ミク」とだけ答えて、少女は廊下を歩いて行った。

 ミクは施設の合唱部に入っていた。朝礼の後の合唱の時間に、ステージに立った子供達の中にミクがいるのを見つけて、リンは「あの時のお姉ちゃんだ」と気づいた。
 ピアノの伴奏に合わせて子供達が歌い始めると、不思議な現象が起こった。白い光の殻のようなものが、歌を歌う子供達を包んでいる。
 そのオーラのようなものから、旋律に合わせて、暖かなエネルギーが発せられている。リンは、そのエネルギーを、「白い波」として見ていた。
 だが、歌が始まると、いつもリンの隣に座って居たレンが、姉の手をぎゅっと握ってくるのだ。
 いつもの事だったが、その日は特にレンの手が震えていたので、リンはこっそり弟に声をかけた。
「どうしたの? レン」と聞くと、「真っ暗な影が…近づいてくる」と言って、レンは寒さを我慢するように震えている。
 リンは、「何処から?」と聞いた。「先生達の居るほう」と、レンは答える。
 リンとレンが、こそこそと話していたのを見て、一人の教諭が近づいてきた。明るい茶色のショートカットと、琥珀色の目をした女性。
「どうしたの? 気分が悪い?」と、子供にかけるには少し棘のある声で聞いてくる。
 リンは、その人物の目の中に、「セピアの海」があることに気づいた。とても悲しい色をしている。
「弟が…寒いって…」と、リンは当り障りのない返答をした。琥珀の目の女性教諭は、「熱があるのかも知れないわね」と言って、レンを抱え上げ、保健室のほうに連れて行った。
 レンは、震えこそ治まらないものの、不思議そうにその教諭を見ている。
 きっと、あの人がメイコ先生だ。と、リンは思った。

 朝礼が終わった後、リンは保健室に行ってみた。白いベッドに、レンが寝かされている。
「レン。大丈夫?」と聞くと、傍らに居た「メイコ先生」が、「37.8℃。微熱よ」と事務的に短く答えた。
 リンは、「メイコ先生」が、あえて冷たい声を出しているのに気付いた。なるべく、施設の子供に感情移入しないようにしているのだ。
 そっと琥珀の瞳の中を覗くと、悲しい色をした海に、泣き叫んでいるような「波」が押し寄せている。
「先生。名前は?」と聞くと、「メイコで通ってるわ」と、答える。
「メイコ先生。私達、これからどうなるの?」と、まだベッドの中で震えているレンを見ながら、リンは聞く。
「育てられるか、失うか、どちらかよ」と、メイコ。それ以上は、何も言わなかった。

 ある朝礼の時、合唱部の子供達の中にミクの姿を探して居たリンは、ミクが居ないことに気づいた。自分の担任である教諭に聞いてみたところ、「ミク君は、目の手術をしてるんだ」とだけ答えてくれた。
 ミクの参加しない合唱からは、白いオーラが発せられないのにも、リンは気づいた。周りの子供達は、ミクの声に呼応していただけなのだ。

 4年後、初めてレンが発作を起こした。胸を押さえ、ゲホゲホとせき込み、息を吸えない。
 保健室に運ばれたレンに、メイコは呼びかけた。「安心して。此処には、何もいない。息を吸っても大丈夫よ。ゆっくり、少しずつ息をして」
 リンはその呼びかけを聞いて、確かに保健室には「なにか」が居ないことに改めて気づいた。
 パニック状態だったレンも、メイコの言葉を聞いて、喉をヒューヒュー言わせながら、なんとか気管に空気を取り入れた。
「黒い影が…胸の中に入ってこようとしたんだ」と、リンとメイコ以外誰もいないことを確認しながら、呼吸の落ち着いたレンは言った。「鼻や口に影がまとわりついて…」
 リンは、自分達はこのままじゃいけない、と悟った。
 施設の子供達は、なんでもひとつだけ、習い事を受けさせてもらえる。10歳になる前に、リンとレンは格闘技を習い始めた。
 そして、リンはメイコに自分達の「能力」を打ち明けた。メイコは、「強くなりなさい」とだけ言った。
 それから4年の月日が流れた。
 体を鍛えると言う事は、精神を鍛える効果もあるようだ。リンとレンは、夫々の「視界」に映る者達に対しても、用心深く、恐れないようになって行った。
 レンは発作を起こすことも少なくなり、むしろ自分に近づいて来ようとした「影」を、拳ではじき返すくらいに「力」をコントロールできるようになった。

 何度目かの目の手術を終えて、包帯のとれたミクが施設に帰ってきた時だ。
 本当の姉を迎えるように、リンとレンはミクを出迎えた。その時、ミクが言った。
「私、もうこれ以上『能力』をのばせないの。次の手術で、眼球の摘出が決まった」
 リンは、幼い頃の自分にメイコが打ち明けた言葉の意味が分かった。「育てられるか、失うか」の意味が。
 周りに誰もいないことを確認してから、「ミク姉。逃げよう」と、リンは切り出した。
 ある日の晩、非常口の鍵を盗み出してきたメイコが、3人を施設から逃がした。

 それから、3人は世に身をひそめるように生きることとなった。ミクは、夜のバーで歌を歌う仕事に就いた。髪をアッシュグリーンに染めたのは、身元を分かりにくくするためだ。
 メイコに保証人になってもらって、小さな家を借りた。
 まだ金銭の稼げる職に就ける年齢ではない双子は、ミクの「能力」で見つけた災厄から、誰かを守る事を「仕事」とした。
「世の中の理不尽から、少しでも誰かを救うために、私達は、この『力』を使うんだ」
 リンは、度々レンにそう話していた。
 年相応に生意気になって居たレンも、姉のこの言葉だけは否定しなかった。そして言うのだ。「俺が守らなくてもいい女は、リンくらいだよ」と。
「どう言う意味よ?」とリンがふてくされ気味に聞くと、レンは「これだけ長い付き合いでも、何かに憑りつかれてるところを一回も観たことないもんな」と答える。
「あんたが守られてるところも、一回も見たことないわ」と、リンは言い返す。「神様に見放されてるんじゃない?」
「それなら大丈夫。俺達には女神様がついてるだろ?」と、レン。
「ミク姉のこと?」と、リン。
「もちろん」
「あんたの頭の中に『悪魔』が住むようになったら、一番に分かる人を選んだわね」
「そしたら、俺は自分の『悪魔』をぶっ飛ばしてやるよ」
「言う言うー。何? ガチ恋?」
「恋とか言うな。この心はもっと純粋なものだ」
「患ってるねー。少年」
 イアの家を見守りながら、リンとレンはたわいないおしゃべりをしていた。

ライセンス

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  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

天使の果実 第二話/小説

連日投稿。

ボカロキャラの名前で小説を書くって、最初恥ずかしかったんですけど、

続けてみると意外と面白いですね。

今回はリンちゃん視点のお話です。

リンレンの会話を弾ませるのが楽しかったりする。

閲覧数:1,171

投稿日:2020/04/03 20:44:06

文字数:3,812文字

カテゴリ:小説

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