思わず「いたっ」と声が出た。ドアを閉めるタイミングが悪く指を挟んでしまったのだ。
 挟んでしまった指を確認してみると、爪の先のマニキュアが禿げてしまっていた。
 次第に熱を持っていく指先に息を吹きかけて冷ましながら考える。
 今日はとにかく何をするにもタイミングが悪い。

 夕飯の買い物に向かう途中、音楽を聞こうと思ったら昨夜プレイヤーの電源を落としそびれていたらしく充電が切れていた。お陰で折角昨夜遅くまでインポートしていた音源は聞けず仕舞いである。
 ピアスは買い物の途中でいつの間にか片方なくなってしまった。
 それから、メールを送信したつもりが保存されていたり、サプリメントを飲もうとしたら手が滑って瓶が割れてしまったりもした。
 所謂何もかもが上手く行かない日なのである。
 一つひとつは運が悪いと片付けられる些細な不幸だ。しかし、こうも束になって来襲されれば、気が滅入らない筈はなかった。
 誰が悪いと言われれば悪いの自分なのだが、ハプニングに鬱憤がどんどん累積されていって発散出来ずにいるのである。
 しかし、グチグチ言っていられない。
 もうそろそろ可愛い妹弟たちの為に夕飯を作る時間だ。
 挟んだ指の事は忘れて、支度をしなければ。私は気持ちを切り替え夕飯の支度に取り掛かった。

 私はささくれだった心 を出さないようにしている。
 妹弟たちの前では余計な心配をさせたくない。
 自分が甘え慣れていないという自覚はある。
 だけど、それとこれとは別次元の話だと思う。それに、こんな気持ちを表に出して喚き散らすなんて、只の八つ当たりだ。大切な可愛い愛する家族にすることではない。
 これに関しては譲れない。
 心を許していない訳ではない。一人で居た私にたくさんのものをくれた家族たちにそんなことをするなんて考えられない。
 今日はみんなの好物を作ろう。
 みんなの笑顔が少しはこの気持ちを抑えるだろうから。


「お前っ!それオレんだろ!」
「しらないもーん!」
「しらないってなんだよ!ちょ、カイ兄!」
「ん?ひゃに?」
「オレのバナナパフェ!」
「リンちゃん!私も七輪でネギ焼きたい!みかんばっかり乗っけないで!」
「えー!まだだめ!」
「網一面みかんとかうぜぇ!」
「ぐぇ、ちょ、レン離して!」
「うっせー!バナナ返せ!」
「だってまだレンはご飯中じゃないか、俺もう食べ終わったからデザートたべt」
「さっきガリガリくん食い終わったばっかだろ!!!」
 果たして目論みは見事成功した。
 ネギ焼とミカンとバナナパフェとガリガリくんよありがとう。
 好きなものを奪い合ったり、彼らの騒々しさに突き指の痛みも和らいだ。
 私の可愛い妹弟たち。
 ともすると一人ではぐるぐると負の螺旋に嵌ってしまうのをいとも簡単に掬いあげてくれるのだ。
 家族が増えるとこんなところがいいなぁ、と感じて知らず口角が上がった。
「めーちゃんどうしたの?」
「ううん、なんでもない」
「えーー?」
「みんなが大好きだと思ったのよ」
 すかさず「わたしもーー!!!」「リンだって!」と勢い良く突撃してきた妹たちを受け止める。
 かわいいなぁもう!
 ぎゅーってしてやるこの!ぎゅーー!!!
「レンはいいの!?」
「バッ…バカ!」
「いいのよ、レン!メイコお姉様がどーんと受け止めてあげる!」
 リンのからかいに顔を赤くした思春期の末弟は、私がそう言うとおずおずと来て抱きついた。
 ふふふ。タマラン。
 数年前のように一人だったら、只悶々としていただけだったろう。
 こういう所が家族を持って良かったと感じる最たるところだ。
 今日はいつもの晩酌も控え目にして早く眠ってしまおう。
 何なら晩酌をすっきりやめにして、お風呂に入ってすぐ眠ってしまうのもいいかもしれない。
 きっとすっきりした気持ちで起きれるだろう。
 ふと顔を上げるとカイトと目があった。
 途端、へにゃっと笑った。
 綺麗な顔なのに眉毛が下がってるわよ?
「みんな、めーちゃんの愛情を確認したい気持ちは分かるけど、ごはんがそのまま」
「あっ!」
「残り食べて片付けるよー」
「はーい」
 私の腕の中からすり抜けていった妹弟たちを見送ってカイトに微笑んだ。
「どういたしまして」
 あら。「ありがとう」って微笑んだの分かったのね。


 まだあったか。
 お風呂に入ったら、シャンプーとリンスを大いに間違えて使ってしまった。シャンプーすべきところをリンスボトルをプッシュした私の目は節穴か!
 そして、リンスが切れた。
 あぁ、まったくもう!!
 寄せ集めの家族なりに我が家にはルールがあって、その一つがお風呂は歳が若い順に入るというものだった。なので、私はいつも一番最後だ。
 確か先週リンスの詰め替え用を買ってきたので、ストックはあるわね、と立ち上がる。
 まさかストックまでなくなってるなんてないだろう。
「まっさかねぇ」
 でもこんな一日だ、何があるかわからない。
 今日は普段大丈夫な事だってひっくり返ってしまいそうな日だ。
 部屋に帰ったら電気が切れかかってて、ドライヤーはなぜか冷風しか出なくなってたり、ドレッサーに足をぶつけて化粧品を落っことしたりするのか。
 よぉーし、次々来い、不幸よ。
 今日はとことんあんた達と楽しんでやるわ!

「めーちゃん?」
「…!?」
 磨りガラスごしに現れたひょろりとした人影。
「カイト!?」
 まさか独り言を聞かれてしまった?
 恥ずかしいなぁ、もう。
「………なに?」
 恥ずかしさでちょっとぶっきらぼうな言い方になってしまった。ごめん、カイト。
「あ、リンス切れかかってたでしょ?」
 にへら、と笑った…んだろう。
 顔は直接見えないが、私は残念ながらカイトの表情が手にとるように分かってしまうのだ。付き合い長いからなぁ、とこんな事で感じる。
 お風呂の扉を少し開いて見ると、左手には確かに詰め替え用リンス。
 なんてタイミングがいい男なんだろう。
 こういう些細なことに気付いてさらりと親切をすることって他の誰にも出来ない彼だけの優しさだと思うのだ。
 うーん、我が後輩ながら素敵だわ。見習わなくちゃ。
「ナイスタイミング。今切れちゃったところだったの」
 隙間から手だけを出して受け取る。
「そうだと思って」
 そう応えてリンスを渡してくれたカイトはとても幸せそうに笑ってるんだろうな。
「はい、めーちゃん」
 落とさないようにしっかり両手で包んで渡す心遣いも見事だわ。
 私のささくれ立った気持ちを高級な生クリームみたいに優しく甘く蕩けさせてくれるカイトの言動には、何度も助けられている。自覚がないから表立ってお礼を言ったりはしないけれど。
「カイト、」
 彼は私が今日一日ささくれだった気持ちを押し込めて過ごしていた事に気付いているのだろう。
 でも余程の事がないと詳しくは聞かない。
 私の家族に対するスタンスを尊重してくれているから。
 本当に良く出来た後輩だ。
「…ありがと」
 さっきは言わなかった言葉を今度は言ってみた。
 こんな可愛くない感謝の言葉しか返せないけれど。
 そして、こっ恥ずかしいから、僅かな隙間しか開いていない扉を勢いよく閉めながらだけど。
 カイトに聞こえても聞こえなくもいいのだ。
 私には言葉を発する事が重要なのよ!
「…どういたしまして」
 どうやら、私の自己満な感謝の言葉はカイトに届いたようだった。
 私はいつも、カイトのこの言葉の響きに負けてしまうのだ。
 張り詰めた気持ちを和らげる不思議な効能を持っているこの響きに。
 うむむ、これは天然だわ。
 こいつってば、タラシの素質が備わってる。
 なのに未だにイイ人が出来たって聞かないのよね。
 そこは先輩としてちょっと心配なんだけどなぁ。
 そんな事を思いながらまだ洗いさしだった髪にシャワーを流すといつの間にか扉の外から彼の気配は消えていた。
(やっぱり今日はよく眠れそうだわ)
 そう言えば、風呂に入る前にカイトがシーツを換えてくれると言っていたことを思い出した。
 もう何も不幸な事が怖くない私は、とたんにお日様のにおいがする洗いざらしのシーツの感触が楽しみでベットにダイブしたくて堪らなくなった。







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ボカロ初UP作。
本作でのカイトですが、
めーちゃんと目があったのは妹弟達を恨めしく 羨ましく思ってガン見していたからだし、
わざわざリンスを届けに行ったのは「もしかしたらめーちゃんの裸が見れるかも」な
ラッキー☆エロ的なハプニングを期待していたからだし、
手渡すときに両手を添えたのはただめーちゃんに触りたかっただけだし、
勿論シーツを換える役目をゲットしたのはめーちゃんの部屋に入りたかっただけという、
そんな噂です。




ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

メイコの不幸な一日

どこまでいっても「おねえちゃん」なメイコ。
ボカロ初作品です。
自HPから。

閲覧数:1,252

投稿日:2012/03/02 06:58:23

文字数:3,676文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

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