「あ、飛行機!」
「ほんとだ」

 繋いだ左手に力を込めて、空いた右手で空を指差す。
 白く尾を引きながら、悠然と空をゆく白の機体。
 みるみるうちに小さくなっていく姿を目で追いながら、レンはぽつりと声を漏らした。

「しらとりは、かなしからずや、うみのあお、―――そらのあおにも、そまずただよふ…だっけ?」

 聞き覚えのある言葉に、私は少し首をかしげた。

「それ、今日やった句?」
「そう。なんか合う気がして」
「ほんとだね。飛行機だけど」

 苦笑しながら繋いだ手を揺らす。授業で聞いたばかりの事を使いたがるのはレンの癖みたいなものだって、私はちゃんと知ってる。そのくせ覚えた端から忘れちゃうんだから、今一つ「頭良い」とは思えないんだよね。
 でも、今はとても綺麗だからいいや。

 言葉も、景色も、全部綺麗だから。



<バイバイ、― R>



 最近、レンが妙によそよそしい。
 机に頬杖をつきながら、私は小さくため息をついた。
 幼なじみだから、今までも結構喧嘩することがあった。でも、何て言うか…今回は喧嘩って言うほどには激しくない。一方的にレンが暗いというか、やけに落ち込んでるだけのような気がする。
 でも、「どうしたの」って聞くと必ず「なんでもない」って返されるのはどういう事なのかな。中学でクラスは別れたとは言え登下校は一緒だし、何かあるなら話してくれる仲だって自負はあるんだけど…

「なんかなあ…」

 昔のように遠慮なく踏み込める範囲はこの数年で一気に狭まった。彼を引っ張ってどこまでも行くだけの勢いもなくなったし、ああ、成長するってこういう所が不便だな。相手の気持ちとか都合とか、なんやかやいって躊躇っちゃう。
 くるん、指先でシャーペンを回す。
 なんか変なの。それこそ私とレンは長いこと一緒にいて、気心の知れた仲の筈なのに。
 何年になるのかな、とカレンダーを見て、そこでつい苦笑いをしてしまう。昨日の日付…めくり忘れてたみたい。日めくりカレンダーって好きなんだけど、たまにめくるのを忘れちゃうのが困りもの。
 ぺりり、と一枚紙を破って剥がし、ゴミ箱に向かったところで―――

 ピルルルル。

 ―――電子音が私の足を止めた。

 携帯電話の音。特にデフォルトから変えてない、味もそっけもない音。単なる効果音に過ぎないのに、電話の音ってどうしてこう焦りを感じさせるんだろう。

「…えと、携帯携帯…」

 机の隅でぴかぴか光りながら自己主張する小型の機械を手に取り、通話ボタンを押す。ウインドウには「レン」の文字。
 彼らしくない行動にまたもや疑問の雲が心を覆う。
 珍しいというか、何事なの?もしかして最近の悩み関係の話なのかな。もしもそうならちゃんと聞いてあげなくちゃ。

「もしもし、レン?」
『…あ、リン、いきなりごめん』

 かなり歯切れが悪いレンの言葉に、私はますます眉を寄せた。
 なに、この噛み切れない感じは。ラーメンに入ってるホウレンソウ並みに噛み切れない。やっぱり、何かが違う。でも何が?どうして?
 そこでふと、おかしなことに気がついた。

「あれ、レン、どこから掛けてるの?」

 妙にざわつく背景音声。家の中や普通の道ではあり得ない、人口密度を感じさせるざわめき。こんな音が入るとしたら、教室か繁華街か、あるいは…

『今、駅』
「駅?どこの?」
『…北上泉』

 きたかみいずみ―――その駅名を口の中で数回繰り返す。私の家から近い、かなり大きな駅だ。駅の回りもそれなりに賑わっているし、ホームの数も10を超す。
 でも何故そんな所に?ううん、それ自体はおかしくないけど、何故そんな所から電話を?
 幾つかの疑問が同時に口から出ようとしてせめぎあい、結局私は口を噤む。
 電話のこちらでも向こうでも、静寂。
 話の穂をつぐことができなくて黙る私と、話があって掛けてきたのだろうに口を開かないレン。
 …おかしい。
 その違和感に眉をひそめ、そこで―――気付いた。

 レンは、言いにくいことを言おうとしている。
 きっと、とても言いたくないこと。だけど、私に言わなければならないこと。

 …それは、なに?

 聞いてみたくて、でも問うてみるのが怖くて、私は電話を握る手に力を込める。
 世界の音が遠くなる。
 緊張に血の気の引くような感覚がして、指先が冷えていく。
 痛い程の静けさの中―――電話の向こうの声が、ふと、静かに告げた。

『リン。実は俺、今日引っ越すんだ』



 …え?



 頭の中の辞書が高速でめくられる。
 引っ越し。引っ越し。それって。

『あと三十分くらいで出発なんだ』
「…それ、初めて聞いた」
『うん、リンには隠してた…。多分もう、会わないと思う。凄く遠いから』
「…そう、なんだ」
『…隠しててごめん。言わなくて、ごめん』

 静かに、そして悲しく響くレンの声も、私の意識をただただ上滑りしていくばかり。
 突然とか、そんな生易しいものじゃない。
 完全に意識の外からの不意打ちに、私の頭は真っ白になっていた。
 レンは何を言っているの?日本語ムズカシイから良く分からない。というか、レンが喋っているのは意味のある言葉なの?
 耳元で響くレンの声を意識の端のほうで理解しながら、私は魂が抜けたような状態で答えを返していた。今人気の人形ロボット、考えることはできませんが言われた言葉にはそつなく答えを返します。台詞は全35種類。…そんな感じ。
 私の意識を置き去りにして話が進む。
 ぽつりぽつりと滴るような早さでも、確実に。なんだっけ、雨垂れも石を穿つんだったよね。
 今穿たれているのは、私の心だけど。

『だから…最後に挨拶くらいはしておこう、って。バイバイ、リン』

 私の指はいつの間にか通話ボタンを押していた。
 画面に表示される、三分四十九秒の文字。
 あれが、たった三分の会話だったんだ。
 長い会話だったのか短い会話だったのか、判断できない。頭が考える事を拒否しているみたい。

 だって、レンはずっと隣にいてくれたような気がしてた。それこそ、物心ついたときからずっと。
 だから、これからもそれが続くんだと思っていた。ずっと、ずっと。
 だけどレンは行くって言う。
 私の隣からいなくなるんだって言う。
 私は、レンがどこに行くのか知らなくて。
 電話番号さえ知らなくて。

 ―――それは、つまり。

「…やだ!」

 それに思い至ったとき、私は拳をにぎりしめ、猛然と玄関に向けて駆け出した。
 鍵を閉めるのもそこそこに、門の横に着けてあった自転車に飛び乗る。
 着いてからどうしようとか、どうやって探すのかとか、全然考えてなかった。とりあえず、後から考える!

 遠くの空に、ヘリコプターが見えた。
 それにだぶって見える、あの日の飛行機。

「―――待ってろぉ!」

 ペダルを力いっぱい踏めば、ぐん、と体が前に飛び出す。
 肌に当たる風を感じながら、私は駅を目指した。
 全力で。








 はあ、はあ、と息を荒げながら、私は駅のホームに飛び込んだ。新幹線のホームには券がなければ入れないから、適当に自由席券を買って。結構高かった。

 ―――どこ!

 焦りながら電光掲示板を見上げる。
 次の電車が出発するまであと三分。多分これだろう。
 見つかるかわからないけど、賭けてみるしかない。とにかく、表示されているホームまで走って行く。
 ああもうレンの馬鹿、私の馬鹿!何で早く相談してくれなかったの、何で無理矢理聞き出さなかったの!予兆はあった。今から考えれば、確かにあった。でも、その時には気付かなかった。今さら悩んでみたところで意味もないけど、気分が落ち込んで足さえ重くなるような気がする。
 使いすぎて足が痛い。呼吸をしすぎて胸も痛い。疲れで頭もろくに回らないけど、それでも行かなきゃ。だって今を逃したら、もう二度と会えないかもしれない。

「三番ホーム、三番ホーム…」

 ぶつぶつ呟きながら、駅の構内を走り抜ける。擦れ違う人達は、迷惑そうに顔をしかめるか驚いて目を見開くかのどっちか。ごめんなさい、マナー違反だというのは重々承知しているけど、どうか今だけは見逃してください。
 刻一刻と迫ってくる時間。階段を二段ずつ駆け上がると、目の前には広いホームが姿を現した。

 ―――これだ!

 時間がない。私は意を決して、また小走りで駆け出した。
 走りながら窓を見る。あの金髪が見えないか、それだけに意識を集中して。
 いない。
 いない。
 でも―――どこかにいるはず―――…!

「!」

 その時、ちらりと視界の中に金色がちらついた。
 ホームと比べると少しだけ暗い車内で、それでも見慣れた姿が私の目を引く。

 何も、考えられなかった。

「レンっ!」

 駆け寄るのももどかしくて、叫ぶ。
 でも、その声に被さるように響く電子音。



 ――発車の合図。



「レン!レンっ!」

 遂に走れなくなって、はあ、はあ、と肩で息をする。
 馬鹿みたいだ。新幹線の窓は防音性で、こんな遠くからのこんな掠れた叫びなんて通すはずがないのに。
 がたん。
 動けない私の前で、電車が動き出す。
 レンは、私に気付いていない。
 気付いていない。
 気付いていない。

 気付いて…



 …気付いてよっ!




「…レン――――っ!!」




 叫ぶ。
 ありったけの力を込めて。
 ありったけの思いを込めて。

 もしもこれきりになってしまうのなら、ありがとうも、さよならも、ごめんねも伝えられないままになってしまう。
 レンといると世界がどれだけ綺麗に見えるのかも、何も言えないままになってしまう。
 そんなのは嫌だった。
 例え、この場にいる人全員に迷惑だと思われたとしても構わない。

 ―――気付いて!

 速度を上げていく電車の窓、レンの姿がぐんぐん近付いてくる。

 不意に、その顔が窓の外に向けられた。
 …私の方に、向けられた。

「レン!!」

 もう一度だけ叫ぶ。
 その声がざわめきに掻き消される前に、レンの姿は私の視界からいなくなった。
 ぺたん、と、その場に座り込む。
 地面に座り込むなんて綺麗じゃないとは分かっていたけど、力が全部抜けてしまったような気がして。
 …というか、端的に言うなら凄く疲れた。
 馬鹿みたいに自転車を漕いで、馬鹿みたいに駅の中を走って。意味があるのかさえ分からない事を、どうしてこんなに懸命にやったんだろう。
 嵐みたいな激しい感情の後には、少し荒れた更地が残るだけ。久しぶりにそれを感じた。

 呆然と電車の消えたホームを眺める私を、行き交う人がちらちらと見てくる。
 彼らの目に私はどう映っているのかな―――ふとそんな事を考えた。
 結局持ってきてしまった携帯電話を、掌で強く握りしめる。

 …左手が寂しい。

 でも、間に合えた。
 伝わってなくてもいいや。自己満足でもいいや。

「…あー」

 私はその場で立ち上がって、大きく伸びをした。

「明日、筋肉痛かな…」

 なんだか妙に爽やかな気分だった。
 あれだ、考えてみればいざとなったら行き先だのなんだのも調べられそうな気がするし、とりあえず今は帰って寝ようっと。




 帰りは下り坂。
 ゆっくり漕いで、帰って行こう。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

バイバイ、― R

実生活忙しすぎ(;ω;)
フェイPさんの曲です。CDにはレン君サイドの「StandBy-Bye」が収録されているので、そちらのレンくん視点も書いてみたいと思っています。
フェイPさんの曲ってとても爽やかで、聞いていてスッキリします。

閲覧数:720

投稿日:2011/05/26 20:41:45

文字数:4,702文字

カテゴリ:小説

  • コメント1

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  • 秋来

    秋来

    ご意見・ご感想

    悲しすぎる・・・;△;

    でもきっと引越しと化するとこんな感じなんだろうね

    またいつか二人が会えればいいな^^

    2011/05/27 22:06:46

    • 翔破

      翔破

      おおっ、コメントありがとうございます!
      切ないけど爽やかな曲だと思います。レンサイドも上げたいと思っているので、そちらも見ていただければ幸いです。

      最近時間がないので、書きたいものがろくに書けなくて辛いものがあります。
      文もしばらく掛かりそうだし、絵とかは来週末かな…という…ううう
      まあ学生なのでやっぱり学校第一になっちゃいますね。

      2011/05/29 01:08:33

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