第三話「今の私、50年後の私。」



夜7時。
丁度時計の長針がてっぺんをさした頃。私とユキは病院のロビーのソファに座っていた。
ミクオさんとミクさんも一緒だが、病院の受付で何やら書きものをしているようだ。

事態は、3時間ほど前の事。

ミクオさんからユキに電話がかかってきた後、私たちは一度家へと帰った。
まだ事態も何も分からず混乱している私に、ミクオさんが言った。

ミクオさんの言う限りでは、どうやらミクの母(つまり50年後の私)は病院に入院しているらしいのだが、先程その病院で意識を失ったらしい。ミクオさんはその知らせを聞いて、ユキにも一旦家に帰るようにと電話で伝えたのだ。

「すみません、隠していたわけではないのですが」と前置きして、ミクオさんは語りだした。

50年後の私は、どうやら重い心臓病を患っていて、もう先はさほど長くないらしいのだ。
50年経ち、医療のすすんだこの時代でも、治療薬や治療法はないそうだ。
延命装置をつけておいてはいるらしいが、それでも長くは生きられない。
先月、「余命はあと1カ月」だと宣告されたばかりなのだそうだ。ちなみに来週で丁度1か月になる。
予定が、少しばかり早かったみたいだ。

それから私達四人は、ミクオさんの運転する車に乗り込んで、病院へと向かった。
これがまた意外に遠い場所にあって、埼玉あたりの方に位置しているらしいのだ。

ようやく3時間かかって、病院についた頃にはもう7時。そうして今に至る。
4人とも車の中ではあまり喋りはしなかった。
ただユキの泣き声だけが、隣から悲しいほどに聞こえた。
肩に乗っかったクワガタも、ただじっと張り付いたまま動かなかった。

時計の針は刻一刻と、音を立てながら時を進めていく。

「お婆ちゃんが……お婆ちゃんが」
「大丈夫だよ、大丈夫。さっき意識を取り戻したとこらしくて、まだ生きてるから」

病院のロビーに到着しても、いまだ涙を流して泣いているユキをあやしながら、手続きをしている二人を見つめる。
早く帰って来てはくれないだろうか。
ユキの声はもうへとへとに枯れていた。

しばらくすると二人が帰ってくる。

「じゃあ……行くか」

ミクオさんがそう言ったので、私達はそれについていく。
エレベーターに乗って、3階へ。その出口から、左に歩いた所に、病室があった。
そこの札には、しっかりとマジックで「グミ様」と書かれている。
自分の名前が書かれていて、複雑な気分になった。

ミクオさんが、コンコンとドアをノックして言う。

「俺です、お義母さん。入ってもよろしいですか」

……。
返事はない。
でも、部屋の向こうに気配は感じる。この先に、未来の私がいるのだと。

「お義母さん?」
「ユキと、過去の私だけ」
「はい?」

かすれた声が聞こえた。小さくて、あまり聞きとれなかったけれど。

「ユキと、それから、そこにいるのでしょう?50年前の私が。まずは二人。入りなさい」
「そ、それはどうして」
「いいから。早く」

ミクオさんもこれには少し戸惑ったようだ。少し沈黙を置いてから、言った。

「ユキ、それにグミさん、どうぞ」
「え、でも……」
「お義母さんがそう言っているのだから大丈夫ですよ。さ、ミク。俺らはここで待ってようか」
「じゃ、行くよお姉ちゃん」

言うが早いか、私の手を引いて、ユキは静かに病室のドアを開けた。
ミクさんは不安げな表情で、唇をかみしめている。申し訳ないという気になりながらも、私とユキは病室に入った。

中の様子が、目に映ってくる。
その瞬間、息が止まりそうになった。

そこには、ベッドに横たわった"その人"がいた。
針みたいに細い腕に点滴をつけている。髪はもう真っ白になって、目は半分とじている。
全体的に弱っているのが、一瞬見ただけですぐさま分かった。

そしてこの姿が未来の自分であるということも。
老いて弱くなっていっても、やはり分かるのだ。なにしろ自分自身なのだから。
できれば信じたくない。

「お婆ちゃん……」

ユキも、その様子を見て少し拍子を抜かしたようだった。
依然として涙は枯れない。声だけが枯れてしまっている。

「ユキちゃん…、しばらく会わないうちに大きくなったねぇ」

弱々しい手でユキの頬に触れる。
その手も、もう骨と皮しか残っていないような感じだった。
それは大袈裟すぎる表現かもしれないが、私が見る限りでは確かにそんな感じだったのだ。

50年で、ここまで衰えるものなのだろうか。50年後と言ったらまだ私は66歳。
でも今のこの現状を見る限りじゃ、この人は80代後半にしか見えない。
やはり病気のせいか。病気が、彼女をここまで弱らせてしまったのか。
そう思うと、胸が痛くなった。

「この間あげたカブトムシは、元気かい?」
「うん。ブルータスってね、名前つけたの。元気だよ」
「そうかそうか、ならよかったよ。夏が終わるまで、飼ってあげておくれ」
「うん……」

彼女は、にっこりとほほ笑む。それも少し弱々しかったけれど。

「それから君」
「は、はい。何でしょう」

彼女がこっちを向いた。いきなり呼びかけられたので、こちらも少しかしこまってしまう。

「別に敬語なんて使わなくて良いんだよ。それにそんな、礼儀正しくならなくても。相手は自分自身だ」
「は、はぁ」
「ふふ。見る限り君はまだ幼いね。まだ16歳あたりだったか?懐かしいね。そのクワガタはジョージだろう?」

彼女は、かつて自分が飼っていたクワガタの名前も覚えていた。
彼女は静かに、「そのクワガタ、ちょっと触らせてくれないか」と言った。
それを聞いて私は、手の届く所までになんとか肩を近づけていく。自然にしゃがみこむ態勢になった。

よしよし、と言って彼女は優しく羽根を撫でると満足そうにうなずく。
クワガタも、それを黙って受け止めた。

「クワガタ自体、もう何年も見ていないからねぇ……、ホント懐かしい。あぁ、もう離れていいよ」

私が離れると、彼女はゴホンと咳払いをする。
妙に大きい咳払いだった。痰が絡んだのだろうかと思うほど。

「さて、君が私に聞きたいことはいっぱいあるんじゃないか?私がこんな病気にかかってしまった原因とか、君のこれから先の未来だとか」

深呼吸をしてから、彼女は続ける。

「全てを教えれば、君はきっと今の私より長生きできるだろうさ。死ぬ運命を自由に変えられるだろうさ。私がこうなった経緯は、自分自身、全て知っている。でも、私はあえて何も教えない。それにもう全てを語る余力なんて残っていないんだ。でも、いいかい。これだけは言いたいんだ。黙って聞いてくれ」

私は思わず生唾をごくりと飲み込む。
老人はゆっくりと語りだす。

「これから君が生きていくにつれて、君は何度も何度も傷ついて、後悔し、何度だって数え切れないくらい泣いて、涙を流す事もあるだろう。私の人生を大まかに言うならば、幸せよりも不幸の方が多いかもしれない。……でもね、それは悪いことじゃないよ。その経験一つ一つが、時間がたつにつれて熱を帯び、きっと手放しがたくなる。失敗や不幸は決して、悪い経験じゃない。むしろ人を成長させる糧(かて)、宝物なんだ。少なくとも、私はそう思ってるよ。……だから私は何も教えない。君も、何も知らないままで、自分の世界に帰りなさいな。まだ、空の青かった頃に」

彼女はそこまで時間をかけて、一言一言噛みしめるように、言った。最後まで言い終わると、ふぅと溜息をつく。
しばし沈黙が流れた。

彼女の言葉を十分に聞き取り、脳内に入れてから私は、

「あの」

と口を開いた。

「一つだけ……聞いてもいいですか」
「うん?なんだい」
「幸せよりも不幸が多いだなんて、そんな人生で私は幸せですか?仮に成長ができるとしても……そんな人生――」
「バカだね。そんな事を聞くようなら、君はまだまだ幼いよ。幸せかどうかなんて?そんなの決まってるじゃないか、私は大いに幸せだ。この世に魂を授けてくれた母と、神様に感謝しなくちゃねぇ」

彼女は笑って言った。

私は息をのむ。
理解できなかった。不幸せで理不尽な事が多いこの世の中で生きていて、何故幸せだと言えるのか。
50年後の私曰く、私がまだまだ幼いから、分からないだけだろうか。

「人は皆、幸せになれるようにできているんだよ」
「でも……」
「気休めのまじないだと思うかい?」
「い、いえ別にそういうわけじゃ……でもやっぱり、不幸の方が多いのに幸せだって……分からないです」
「いつか分かる日が来るよ。そう言う思い出を、絶対に手放したくなくなる日がね」

彼女はまたせき込む。さっきの咳払いより酷かった。

「もう私はダメだね……ユキと、それから君、最後に握手だ」

私もユキも、黙って彼女の手を握る。私は彼女の左手を、ユキは右手を。
二人握りあった所で、彼女が言った。


「人生は、後悔してなんぼさ。覚えときな二人とも。」


その言葉が、彼女の発した最後の言葉だった。





***




私はすぐに病室から出た。耐えられなかった。
人が死ぬ瞬間の場に立ち合った事もなかったし、それに亡くなったのは自分なのだ。
あの場所にいるのは、私自身辛かった。

病室からでるとミクオさんが心配そうに尋ねてきた。というのも、もう涙が目じりに滲んでいたからなのだろう。
耐えきれなかった。

「ちょっと一人にさせてください」といって、私はほぼ早足で、その場を逃げ出した。


今は病院の外。入り口近くに私は立っている。
そこに辿り着いた途端、涙はもう滝みたいにこぼれ出て止まらない。
時々、しゃくり声、嗚咽も混ざる。
入り口近くに立っている事もあり、病院に入る人、出る人は不思議な形相で私を見る。
でもそんなのは気にしていられなかった。気にしたって、涙が止まるわけでもなかった。

10分くらいして、ようやく少し落ち着いてきたところで、私は空を見上げる。

相変わらず視界は滲んでいたが、何とか夜空が見えた。
昼と同じように霞んで、星もあまり見えない。

今にして思えば、これは曇っているんじゃない。
年々時代が進むにつれて、空が霞んでしまったんだ。
遠い田舎の方に行ったってもう星は見えないだろう、こんな夜空じゃ。

その時、真っ暗闇の夜空の中に、きらりと何かが光った。
流れ星だろうか。普通なら一瞬で光って消えるはずなのに、それは消えない。
もしやユキが昼間に言っていた、ハレー彗星というやつか。
光が消えないから、多分そうなのだろう。

アレに願い事をすれば叶うのかな。流れ星じゃなくて、彗星だけど。
死者の命を戻してくれなんて、さすがにそんなの荒唐無稽な願いだって分かってる。
もう今年で17歳なんだ。願ったって何したって、絶対に叶わない事も分かってる。
でも、私は願った。そうせずにはいられなかった。
もしかしたら、自分を安心させるために気休めがしたかったのかもしれない。

また一筋、涙が頬を伝って流れた。
それがクワガタに触れた、次の瞬間。

まばゆい光が私を包む。この世界にやってくる前の、あの奇妙な感覚。
それに包まれたと思ったら、目の前には、いつもの見慣れた風景が広がっていた。

高くそびえる高層ビルの山。まだ建設中のスカイツリー。
じりじりと、立っているだけで汗が噴き出してくるような真夏の気温。まだ真昼時らしく、ミンミンと蝉が鳴き、太陽はこれ以上高くならないんじゃないかと思えるほど、頭上高く昇っている。
全てが、50年後にタイムスリップする前と同じだった。


見上げると、どこまでも続いていくような、広い空がそこにある。


――まだ青い、夏の空が。



ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

クワガタにチョップしたらタイムスリップした 6/6 終 【二次創作】

矛盾点などがありましたら、ご指摘お願いします。自分でもヤバいほど気付かないときがあります……。



※ここまでお読みいただいた方、ありがとうございました。
私自身、なんか長い物語になったと思います。いつもメモ帳のアプリで物語を書くのですが、容量は全部合わせると 53.8KB 
長すぎ。ここまで長くなるとは思いませんでした。スミマセン。

※あとハレー彗星は実際には、肉眼では見えないかと思います……。
観測する際には、ちゃんと望遠鏡を用意しましょう!
まぁ、観測できるのは2061年ですからね 今からそんなこと言っても……意味ないですね^^;

※「人は皆幸せになれるようにできているんだよ」というセリフは、某小説から引用させていただいてます。
つい最近読んだ本で「西の魔女が死んだ」から。パクったみたいになってスミマセン。問題があれば修正させていただきます。

閲覧数:178

投稿日:2011/08/28 19:16:51

文字数:4,840文字

カテゴリ:小説

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    ご意見・ご感想

    こんばんは。たいへん遅れましてすみません、時給でございます。
    いやはや! 今回はまた一際の力作ですね。
    グミのキャラ付けが明朗なおかげか、地の文も会話も非常にテンポが良くてサクサク読めました。ギャグも軽快で面白かったですよ。
    ハレー彗星を絡めたのにはビックリです! これは良いアイディア。原曲だけに頼らない、でも必要以上に私物化しない、程良い加減のアレンジが二次創作として好感度大ですw
    全体的に原曲から付かず離れず、非常にバランスのいい作品に仕上がっていると思います!

    矛盾点は、そうですね。
    1ページ目のセリフ「あ、あはは、やだなぁ。ただクワガタにチョップしてるだけじゃないですか」って所、この時点でクワガタって言っちゃってるけど警官スル―だな、ってトコと。
    2ページ目の地の文『まさか未来人にも同じ事言われるなんて。ホント痛いとこ突くのなぁ』って所、まだこの時点では未来の世界だって分かってない筈じゃ? ってトコ。
    読んでて引っかかったのは、この2点くらいですかね。後は問題なかったと思います。
    今回は良作ですので注文をつけるのは難しいですが、あえて注文するとしたら、「これから君が生きていくにつれて、君は何度も何度も傷ついて―――― 」で始まる老人の最後のセリフですね。
    原曲でも大サビにあたるこの部分、せっかくの名場面ですので、一息に言ってしまうのではなく区切った方がもっと良かったかも知れません。例えば一言ずつ区切って、間に老人の表情とか仕草とか、そういった描写を挟んでゆっくり進行させると効果的なんじゃないかと。
    まあ僕個人がそう思っただけなんで、参考程度にしてもらえると有り難いです。

    ともかく! これは良いクワガタチョップだったと思いますよ。
    これを読んで、僕はまた原曲を聴きに行きましたもんww
    お疲れ様でした。今回も長文失礼しました!

    2011/09/04 23:05:21

    • †B†

      †B†

      うわぁぁホントだ2ページ目矛盾してたぁぁ。ご指摘ありがとうございます。直しました(´-ω-`)
      何度も何度も注意深く目を通したのに……。
      1ページ目は……後々修正してみるかもです。この時点でスル―してても、あまり問題はないかなぁ……と個人的には思ってます(´・ω・`)

      最初はホントヤバかったです。
      弟がいるという設定で始まってるのですが、後々兄弟がいない設定に変わってる、とかw
      あれw 一人っ子になっちゃってるよw とか、慌てて自分も気づいて直して。
      見直し力が足りないなぁ、まだ……

      ハレー彗星の件は、はい。ウィキペディアにてちょっと調べてみたら、次に通り過ぎるのが丁度今から50年後なんだそうで。あ、じゃあこれも入れてみるか。と思って、ほぼ気まぐれで入れたんですけど、意外に好評価!!ありがとうございます!!

      あとは、老人のセリフですね……。確かにそうしてみてもよかったと思います。
      セリフだけじゃ、どうも短すぎたかもしれない><

      これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました!

      2011/09/05 02:17:30

  • ゆるりー

    ゆるりー

    ご意見・ご感想

    どうも、はじめまして。ユルカラインと申します。

    私の小説にメッセくださってありがとうございます!
    自分の小説にメッセもらうなんて初めてです!しかもブクマまで…!
    感激で泣いて喜びまs(←

    †B†さんからメッセ頂いたのについさっき気づいて、「んのお!?」という謎の言葉を発しました←
    そして†B†さんの「クワガタチョップ」を読んで、プロローグからこの話までブクマ頂きました!
    最初、爆笑しまくったけど最後は感動…。私は文才が無いからいろいろとダメです…orz

    私の小説で「警官=がくぽ」なのは、最初に曲だけ聴いた時に警官=がくぽのイメージができたからです。
    でもいざ動画を観ると全然がくぽじゃないというorz
    「でもせっかく思いついたんだからどこかで入れよう」と思ったら、ああなりました。
    面白かったですかw自分、「これ面白くないかも…」と思っていたのですが、良かったです。

    ブクマ&メッセありがとうございます。長文失礼いたしました。

    2011/08/28 12:35:12

    • †B†

      †B†

      コメントありがとうございます。 なんと、メッセージを貰ったのは初めてですか!
      俺が最初のメッセンジャー! スミマセン。

      ブクマありがとうございます。全部ブクマしてくれたとか!こちらこそ感謝です。
      文才は俺もありませんよー……。


      大事なのは語彙力より、ストーリーを構成する力かなと俺は考えています。
      二次創作の場合でも、それは同じかと。
      すでに出来上がっている物語などをどういうふうに自分なりに創り上げるか。
      こういう話をここに配置して…次はこうして……とか。

      うわ、なんかお堅い話になってるΣ(・ω・)

      ユルカラインさんのお話また読ませてください。読んでて楽しいです。
      将来、俺より文章力上がるんじゃないかと思いますΣΣ(・ω・)

      2011/08/28 19:10:28

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