選んだことは悔やまない。
<王国の薔薇.10>
「美味しい!」
フォークでお菓子を口に運んで笑うリン。
僕はそれに黙って笑顔を返した。
「これ、レンが作ったんですって?多芸ね、あなた」
「いえ、褒めて頂く程では」
「謙遜なんてしなくていいのに」
無邪気に笑うリン。
その笑顔が―――今は痛い。
つい今朝、僕はこの城に戻って来た。
この手で「彼女」を殺したのはつい昨日。
昨日なんて遠い昔のことにも思える。
でもリン、消えないんだ。
昨日のことなのに、何をしてもあの感触が消えないんだ。
彼女を突き刺したあの感触が。
なにかをする度、ふと蘇る笑顔。
それは時にメイド達の笑顔に重なり、リンの笑顔に重なり、素朴な花に重なる。
その度に僕は罪におののく。
確かに命令したのはリンだ。
でも他の逃げ道がないか考えもせず彼女を血染めにしたのは―――紛れも無く僕。
命令だから仕方なかった?
でもそれだと、それだと・・・全ての罪はリンのものになってしまう。
どうすれば一番良かったのか。
僕は本当に、それを考えてみたのか?
何度も何度も、繰り返し自問する。
でもいくら自分に問い質したって答えは出ない。
自分の中で答えの出る問いならどれだけ良かったことか。
「レン!」
鋭い声にびくりと体が震える。
いつの間にか俯いていた顔を慌てて上げると、リンが険しい顔でこちらを見つめていた。
「ぼんやりしているなら下がりなさい。暗い顔を見ているのは好きじゃないの」
「・・・失礼致しました」
やっぱり、自分が思っていたより傷は深いらしい。
部屋を辞して廊下を歩みながら、僕は自嘲に顔を歪めた。
「辛いだなんて・・・おこがましいな」
本当に辛いのは殺された彼女の親類であり、友人であり、―――恋人だろう。
加害者が手を下したことで苦しんでいては世話はない。とんだ自己憐憫だ。
それに、わかっていた。
―――あの時僕は確かに二つのものを天秤にかけた。
リンの命令とミクさんの命。
極論すればただの言葉と一人の命だ。
僕は軍人じゃない。
確かに王女の付き人である以上彼女の命令に従うのは当然だ。
でも、僕にはそれこそ王宮を辞するという選択肢だってあった。
でも僕が選んだのは命令の遵守だった。
はは。
とんだ盲信者というか・・・笑い事ではないけれど。
―――カイトさんにはもう会えないな。
彼はもしかしたら僕が犯人だとは知らないかもしれない。
でも、今の僕なら隠し通すどころか黙っていることさえ出来ないだろう。
もしも彼にいつも通りに話し掛けられたりしたら、それこそ拷問だ。ひざまずいて赦しを乞うてしまうかもしれない。
わかっている。許しを乞うても何が変わるわけでもない。何が戻るわけでもない。
失われたものは、永遠に失われたままなのだ。
「リン・・・」
自分を許せないのはそれだけじゃない。
僕の中には確かに、これでリンが悲しまなくて済む、これでリンが悔しがらなくて済む、そんな感情もあったからだ。
なんだか、自分が酷く汚いイキモノに思える。
「リンのため」。
綺麗に聞こえるけど、僕はそんな言葉に頼って血を流す気なんてなかった。
だって結局は自分の為だ。
リンが嫌がるのを見たくない、自分のためだ。
彼女の名に則って善行をするなら別に良い。
でも、彼女の名を持ち出して人殺しなんて、そんなの体よく責任転嫁しているようにしか聞こえない。
結局、選んだのは他の誰でもない。僕だ。
この傾きかけた王国の非道な王女に、それでもつくと決めたのは僕だ。
磨かれた扉に映る自分の姿を眺める。
ここに来てから、何度こうして自分の姿を使って過去の面影を探したことか。
・・・いや、自分でも大概後ろ向きだって分かってはいるんだけど・・・
でもそう簡単に諦められない。
どこかに「暴君王女」以外の姿を見つけられないか―――我ながら必死だ。
見つけてどうするのか。
それだって分かってる。自分がそれに縋りたがっているだけだ。
「・・・・馬鹿じゃないか、僕」
彼女が悪く言われているのを聞いて、いても立ってもいられなくなったから直ぐさま王宮に来たのだというのに、この数年間でろくなことなんて殆どしていない。
リンを守りたい。
そう思っていたし、今だってそう思っている。
でも彼女を守るために何をしただろう。
僕が王宮にいる意味はあるのかな・・・?
ため息を一つつく。
と、後ろから声が掛けられた。
「レン」
「はい」
ウィリアムさんだ。
上司の前で気を抜いた姿は見せられない。慌てて立ち方を整える。
「リン王女から伝令です。午後は休暇を与える、辛気臭い顔を見せるな、と」
「・・・わかりました」
言い放つ様子が目に浮かんだ。
もしかしたら気遣ってくれたのかも、なんて虫が良すぎるかな。
立ち去るタイミングを逃してしばらくその場に立ち尽くしていると、彼は思い出したように口を開いた。
「そういえば、レン。以前王女から命令を下されていましたね―――緑の件で」
「はい」
「遂行できたのですか」
「昨日、御命令は完遂致しました」
「成る程」
ふむ、と彼は白くなった顎髭に手をやる。
「言いたくなければ構いませんが・・・知り合いの方、だったというのは本当ですか?」
「知り合い・・・という程ではないです」
また笑顔が頭を過ぎる。
天使みたいな優しい笑顔。
「ただ」
「ただ?」
「少し惹かれていた方ではありました」
「ほう。もしや恋などしていたのですか」
恋。
初めて彼女を見たときの胸の高鳴りを思い出す。
一人の人で頭が一杯になるような感覚。
やっぱりあれは、恋だっただろう。
「・・・多分そうかと」
「そうですか。―――酷な事を聞きました。今日はもうゆっくり休みなさい」
「ありがとうございます」
一礼してから絨毯敷きの廊下を進む。
今日はもう休もう。
何も考えていないのに勝手にため息が零れ落ちる。
休んで、明日はちゃんと笑えるようになっていないと。
眠ったところで、きっと見るのは悪夢だろうけれど。
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