[4:日常の狭間の非日常-sforzando-]

アスカが僕の家に来て2カ月が過ぎただろうか。
彼女がいるのが当たり前になってきて、
いつものように学校から帰ってきて、
夕飯を一緒に食べようとして、
そして、いつもと違ったのは、「いただきます」という前に家のチャイムが鳴った事だ。
いや、そこまではありふれた日常だったかもしれない。
問題があったとすれば、チャイムの回数が異様に多かったことと、
僕が出る前にドアが開いて、数回聞いたことがある女の人の声が慌てた声で僕を呼んだ辺りからか。
僕は今、車の中にいて、さっきまで現状を聞いていた所だ。
彼女――常盤さんの助手によると、常盤さんは病気を持っていたらしい。
それは、いわゆる死に病で、アスカが僕の所に来るよりずっと前から常盤さんは余命を告げられていた。
そして、自分の痛みも構わず、機械を選んだ。
彼は、正真正銘機械好きの大馬鹿だった。
車は数分で病院へ着き、僕とアスカと助手さんの三人は駆け足で病室へと向かった。

真っ白な部屋、微かに揺れるカーテン、独特の匂い、ベットには酸素マスクをした人影。
現実味のないその場所に入って、最初に思ったことは、「デジャブだ」ということ。
しかし次の瞬間には、その感覚はなくなっていた。

ベッドの上で、少し苦しそうな表情をした彼がこちらを見ていた。
少し間を置いて口を開いたその声は、電話越しに何度か聞いた聞き取りずらい声で、
何ヶ月か前の電話で話した内容を思い出して、自分の愚かさに気づく。
どうしておかしいと思わなかったのだろうか。
「逢うのは久しぶりだな。」
必死で笑っている彼が痛々しかったが、彼の心遣いを無駄にするわけにもいかなかった。
「そうですね。常盤さんと会うのは何年ぶりでしょう・・・?」
アスカを家に連れてきたのさえ、彼本人ではなく助手だったのだ。
電話で連絡はとっていたが、考えてみると全然逢っていない。
「2年ぶりくらいか? アスカは2カ月ぶりだな。」
アスカは、彼のことをどのくらい認識しているのだろうか?
常盤さんの名前を言ったときに普通に分かっていたようだから、ある程度は認識していると思う。
でも、具合が悪いことなんて、二か月前の彼女にはきっと分からなかったのだろう。
「あ・・・あの、お父さん、大丈夫…ですか?」
緊張と心配が混ざって言葉に詰まる様子は、人間そのもので、
今の彼女には体調というものが理解できるようになっていた。
「ん、電話で聞いてたとおり、すっかり人間っぽくなったな。
 ていうか、“お父さん”って・・・せめてお兄ちゃんが良かったぁ。
 まぁ良いや、家族だもんな。」
彼は“大丈夫”ではないのだろう。あえて何も言わなかったので、アスカなら気付かないかもしれない。
「そういえば、お前も昔みたいに終兄ぃって呼んでくれよ。」
ずいぶん懐かしい話だった。
小さい頃、お母さんがいない分お父さんは忙しくて遊んでもらえる時間などなく、
そのため僕は常盤さんとよく遊んでいた。
「あの時の“終兄ぃ”は、もっと馬鹿っぽくて元気でしたよ。」
素直にそう呼ぶのは恥ずかしくて、少し皮肉を言ってみる。
「確かに、そうかもな」
笑う表情が辛そうで、自分の言葉に後悔する。
「じゃぁ、キノウはボクのお兄ちゃんだね。」
アスカが嬉しそうに言う。
「“キノウ”?」
もう自分では慣れてしまっていたが、彼には言っていなかったのでおかしいと思ったらしい。
「あの、初めに逢った時に“機能”って言ったら、名前だと思ったみたいで。
 面白いからそれでいいって言ったんですよ。」
「確かに、面白いな。本当は“今日”だもんな?“今井響夜”くん。」
今井響夜(イマイ キョウヤ)。僕の本名だ。終兄ぃにも昔はキョウと呼ばれていた。
「昔に戻ったみたいですね。」
あの時から、変わってしまったことは多すぎるけど。
懐かしい雰囲気が確かにここにはあった。
「三人で暮らしたいな。」
叶わない願いだと、僕等は知っている。
「楽しみです!!ご飯たくさん作らなきゃいけませんね」
それでも、アスカには理解なんて出来なくて。
妙に張り切っている彼女を、少し羨ましく思った。


医師が入ってきて、何やら話すことになったようなので、僕等は出て行った。
家に帰って、冷めてしまった夕飯を温めて。
僕が食べている間、アスカはテレビを見ていた。
いつもと違って、その表情は冷たいもので笑ってはいなかった。
アスカが来たばっかりの頃を思い出させる表情が空しくて、
何かがぽっかりと抜けてしまったその空間には居場所を失った感情がさまよう。


*


ボクは時計を見た。
時計は同じ所を回り続ける。
でも、それはいつも違う「時」で。
同じなんかじゃなかった。
何かがおかしかった。
ボクが持っているのは時計じゃなくて、
カレンダーだから。
それを忘れたら歯車が合わなくなる。
分かっている。
やっぱり、分からない。
何かが変わっている。


*

その数日後、助手の彼女から電話で連絡が入った。
さらに数日後、僕とアスカは白黒で身を固めて彼の元へ向かった。
アスカにはなんだか分からないらしく、
不思議そうな顔をしてワンピースのシンプルな飾りをいじっていた。
人のいる所に行くと、雰囲気を感じ取ったのか、暗い表情になる。
数人の親戚に声をかけられたが、僕はあまり誰なのか分からない。
箱の中にいる彼は、数日前と変わらないようで、でも苦しそうではなかった。
「お父さんどうして燃やしちゃうの!!熱いよ!!ねぇ!!」
火葬場まで行って、僕等は帰った。
その間ずっと、アスカは僕に訴えかけていたけれど、
僕は何も答えることができず、ただ彼女を抱きしめた。
彼女に、彼の死を伝えるすべなんてなかったから。
彼女に“イノチ”はないから。


車を運転していた助手さんは、僕たちを下ろすと涙ぐんだ声で言う。
「両親も伯父さんも亡くなって大変なのは響夜君の方よね。
 私も泣いてられないわよね…」
常盤さんは、僕にとっての伯父さんで、母にとっての弟だった。
「僕には、アスカがいますから。」
大丈夫だと、自分に言い聞かせる。
まだ、繋いでいたい手が、ここにあった。
「そうね・・・何かあったら研究所に電話でもしてちょうだい。」

家に入ると、アスカは一言もしゃべらなかった。
僕は脳内で色々な言葉を思い浮かべては打ち消していく。
何か言わなくてはいけない気がした。
だが、そこに当てはまる言葉がどうしても見つからなくて、
考えるのをやめた。
静かなリビングは、数か月前と似ている。
日常だ。そう、日常だったのに。
物事が変わるには、必ず何かが起きる。
些細なことだったり、大きな変化だったり、
哀しいことだったり、嬉しいことだったり。
そして、「変わらない」なんてことはありえないんだ。
それが「生きる」ということだから。


*


僕は、どこかに立っていた。
そこがどこなのか、僕は分からない。
そこには扉があった。
鍵が付いていたけれど、触ると消えて、
僕はゆっくりと扉を開いて行く。
その時に分かった。これは夢だ。
だって、彼はもういないのだから。
真っ白な部屋のベットの上、一つの人影。
ここ数日のことを、脳が整理しているだけだ。
僕の視界は、僕の意識に関係なく人影に向かう。
数歩近づいたところで、脳が整理しているだけではないことに気がつく。
そこにいたのは、彼ではなく女の人だった。
その顔はとても見慣れたもので、でもガラスを通してみるより暖かさを感じた。
「ほら、未来(ミク)。響夜連れて来たぞ。」
その声は、僕の上から聞こえてきた。
懐かしくて、力強い声だ。
「おいで、響夜」
優しい笑みを浮かべる彼女は、さらに懐かしさを感じさせる。
僕の思考はゆったりと流れていき、やっぱり常盤さんに似てると思った。
酸素マスクも、笑い方も、喋り方も、病気も、同じだ。
僕は彼女に抱えあげられ、さっきまで僕がいた方にむくと、
覚えているより少し若いその顔を見ることが出来た。
彼女の腕のぬくもりに包まれて、僕は深い眠りに落ちていく。


ねぇ、母さん。
どうして僕は、今まで鍵を開けようと思わなかったのだろう。
今までも何度も見た扉の向こうで、真実は待っていたのに。
手を伸ばすことさえしない僕は、臆病すぎた。
「分からないこと」に恐怖して、腕に爪を立てているだけで。
過去さえ見えない人に、未来は見えない。
でも、迷ったままその扉を開けてしまったら、僕はそこから出れなくなってしまう。
きっと、常盤さんは知っていたんだ。
その扉を開けるのは、数か月前の自分には早いことを。
もう、大丈夫だから。

道がある。先はまだない。
僕は立ち止まる。横を見渡す。
何もない。音もしない。
道は僕自身。先は見えない。
僕は立ち止る。後ろを振り返る。
歩いてきた。ここまで来れた。
道は一本。先はある。
僕は歩きだす。



*


ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【メモリー忘却ループ。】4:日常の狭間の非日常-sforzando-【オリジナル小説】

閲覧数:124

投稿日:2012/02/16 20:29:45

文字数:3,698文字

カテゴリ:小説

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