1.


暑い日が続いていた。

とある事情により、グミは3日間ほど自室に籠っていた。
学校は夏休みなのでその点は問題ないのだが、日に1回の食事と入浴以外は本当に部屋から一歩も出ないという、それはそれは見事な夏休みの無駄遣いっぷりだった。
別に大したことがあったわけではない。世の中を見渡せば毎日のように起こっている事、言わば日常茶飯事だ。実際に確かめたことはないが、たぶんそうなのだ。
3日目の昼に、思い出したように部屋から出た。
久々に目にする真昼の陽光に眩しそうに目を細めながら、居間に向かう。
六畳一間の真ん中にちゃぶ台が置かれているだけの簡素な居間には、兄の姿があった。
兄―――― 神威がくぽは、剣道の雑誌に目を通している所だった。急に入って来た妹の姿に驚くこともなく、「うむ」と犬の寝言みたいな唸り声を上げる。

「麦茶でも飲むか」
「いらない」

グミはちゃぶ台に兄と向き合って座り、そのまま台上に腕を枕にして突っ伏す。
がくぽは何事も無かったかのように、再び雑誌に目を落とした。
蝉の鳴き声が聞こえる。
3日前もすでに蝉は鳴いていた筈なのに、グミは今年初めて聞いたような気がした。なんだか急に夏が来たような錯覚に陥る。

「兄さん」
「何だ」
「暑い」

居間のクーラーは動いていなかった。
兄はなぜかエアコンやクーラーといった文明の利器を嫌っており、グミが口うるさく言わないと使おうとしないのだ。
縁側に通じる窓は全開だが、入ってくるのは真夏の日差しに温められた熱風ばかり。軒下に吊るされた風鈴は涼しげな音色を立てているが、自室のクーラーに慣れ切っていた体には応える暑さだった。
がくぽは雑誌から目を離し、ちゃぶ台に突っ伏す妹のつむじを見やる。

「麦茶でも飲むか」
「いらない」

そうか、と言って再び雑誌に目を落とす。
クーラーをつけろとハッキリ言わない限り、つけないつもりらしい。
自分でつけようかと思ったが、立ち上がるのが億劫なのでやめた。どうせ後でシャワー浴びに行くし、冷房症の体を元に戻すためだと思えば、悪くはない。
玄関のインターホンが鳴った。

「ちわー、宅配便でーす。印鑑お願いしまーす」

若い男の声だった。バイトだろうか? この暑いのに、ご苦労なことだ。
兄が立ち上がり、箪笥から印鑑を取り出して玄関へと向かって行った。
居間が静かになる。
……かと思ったが、案外そうでもなかった。
蝉の鳴き声と風鈴の音。そして玄関から聞こえる、宅急便のお兄さんの無駄に元気な声。夏は色々と騒々しい。
兄が小さな袋を持って戻ってきた。

「折も良く来たものだ」
「何?」
「うむ」

返事になっていない返事をして、がくぽは台所へ入って行った。
袋を破る音、水道の音、何かをかき混ぜる音。どうやら何か調理を始めたらしい。
男子厨房に入らずと言うが、兄はむしろ男子厨房に入り浸り、のクチだ。基本的に考え方が古臭い割に、そういう所は変に今風である。
何をしているのか聞こうと思ったが、どうせまた犬の寝言みたいな生返事をされるのが目に見えていたので、やめる。
コンロに火をつけたらしい。鍋で何かをかき混ぜている音がする。
この暑いのに、よく火など使う気になれるものだ。

「兄さん」
「何だ」
「退屈」

まるで子供のわがままのような事を言ってみる。
少しの沈黙の後、台所から兄の返事が返ってきた。

「麦茶でも―――― 」
「いらない」

兄は黙ってしまった。
さすがに最後まで台詞を言わせてあげなかったのは、あんまりだったかも知れない。反省。少しだけ。
やがて台所の方から、甘ったるい匂いが漂ってきた。
砂糖水か水飴でも煮込んでいるかのような匂いだ。夏の熱気と混ざり合って、ちょっと気持ち悪い。

「せっかくの夏休みなんだから、どっか連れて行ってよ」
「どこかとはどこだ」
「海でも山でもプールでも。知ってる? ミクちゃん家は家族みんなで、長野の高原でコテージ借りてキャンプだってさ。星がすごく綺麗だって、昨日の夜に写メが来た。うちもどっか行こうよぉ」
「よそはよそ、うちはうちだ」

甘い匂いはどんどん強くなってくる。
居間にいてこれだけ気持ち悪いのだ、台所の空気はどれだけすごい事になっているのだろう。
ああ、とグミは嘆息した。
かたや清涼な風吹く高原で、満天の星空を満喫。かたやクーラーもついていない居間で、ねっとりと甘ったるい空気に纏わりつかれている。この違いは一体どこから生まれてくるのだろう? 世の中とは何と不公平なのか。

「もーう。貴重な青春時代のひと夏を、こんな無駄に浪費してるなんて。せめて1つでいいから、思い出に残るような体験がしたいー」

台所に聞こえるように、わざと嫌みったらしく言ってみる。
この3日間、自分でその無駄な浪費をしていたのだが、そのことは棚に上げておく。
別に何かを期待しての言葉ではなかった。
ところが。

「ふむ」

がくぽが火を止めて、居間に戻ってきた。

「では今夜、居酒屋にでも行ってみるか。兄につきあえ」
「……へ?」

思いがけない言葉に、グミは目を瞬かせた。
居酒屋。
居酒屋って、あの居酒屋? お酒を飲む所? 私が?

「え、ええ? 何で!?」
「行ったことがなかろう」
「あの、私、未成年……」
「化粧を工夫しろ。思い出に残る経験がしたいのだろう?」

耳を疑った。
くそ真面目な兄さんが、まさかそんなことを言うなんて。
泡を食って呆けているグミに、がくぽは首を傾げる。

「嫌か? もっと刺激がほしいなら、それなりの店にも心当たりがあるが」

それなりの店って何!?

「いいい居酒屋で充分ですっ!」
「そうか、では決まりだ」
「あの……もちろん私は烏龍茶とか、そういうオチだよね?」
「何を言っている? 居酒屋に行って酒を飲まずしてどうするのだ。日が落ちてから……そうだな、6時に家を出ることにしよう。それまで歳をごまかせる化粧でも研究しておるがいい」

がくぽはスーパーへ買い出しに行く段取りでもつけるかのようにアッサリ言い、また台所へ引っ込んで行く。
残されたグミは、しばし呆けていた。
なんだかとんでもない事になった。
居酒屋に行ってお酒を飲む。兄さん公認で。とうとう私、お酒デビュー? まだ未成年なのに。

「え、ええと、どうしようコレ。まずミクちゃんに相談を……いやダメダメ、証拠が残っちゃう」

まるで今夜、犯罪でも犯すかのような奇妙な高揚感が胸に湧き起こる。(いや、じっさい犯罪なのだが)
どうしよう、すごくドキドキする。思い出に残るどころじゃないよコレ。
そうだお化粧! お化粧しなきゃ。ルパン3世も真っ青なくらい、完璧に変装しなきゃ!
グミは慌ただしく自室へ戻って行く。頭に思い描く化粧の完成形は、なぜか銭形警部の顔だった。
台所から、再びねっとりと甘い匂いが漂ってきていた。


ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

夏とお酒と私の兄さん


↑ 前のバージョンで続きますよー。

閲覧数:1,958

投稿日:2010/08/11 23:53:34

文字数:2,845文字

カテゴリ:小説

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  • 秋徒

    秋徒

    ご意見・ご感想

    お久しぶりです、復活おめでとうございます!更新に気付かず遅れてしまいました、秋徒です。

     今回はがくぽ&めぐぽ兄妹の短編なのですね。やはり妹はアホの子がよく似合うww がくぽもしっかりしていそうで恋愛にはヘタレ(w な兄さんキャラで素敵でした!
     がくぽめぐぽ兄妹の距離感も、かのネギアイス兄妹のような甘々ではなく、普段はちょっとドライに見えるけれど、互いに心配したり励ましたりする、リアリティー溢れる距離感でした。 上手く文を纏められなくてすみません(・ω・`;) 少々スランプ気味でしてww

     これからもぼちぼち更新していただけると言うことで、夏休みの楽しみがまた増えました。私も負けていられません!(← 
     これ以上書くとヘマを踏みそうなのでこの辺で。次回も楽しみに待ってます!

    2010/08/23 17:16:25

    • 時給310円

      時給310円

      お久しぶりです秋徒さん、お待ちしておりましたw
      これからまたユルユルとやっていくつもりなので、よろしくお願いします。

      この兄妹の話も、書こう書こうと思いつつ伸び伸びになっていたので、今回書けて満足です。さあ次はAHS組か? ……って、自ら宿題を増やして自分の首を絞めるのも難なのでノーコメントですけどね (^^;
      こちらの兄妹はネギアイス兄妹と違って、僕の中ではホントに兄妹ってイメージですねー。僕には弟も妹もいないもので、あくまで想像で書いたものだったんですが、2人の距離感など割と好評な様なので良かったです。ここにリリィが加わるとどうなるんだろ? 誰かインタネ兄妹完全版のお話とか書いてないですかね。参考に読んでみたいもんです。

      最近スランプ気味だとか。
      まあ創作活動というものは、むしろ好調な時の方が少ないもんですw 映画見たり本読んだりしてアイディアを蓄えて、お話が浮かぶのを気長に待つのが一番かと。
      こちらこそ次回を楽しみにしております。それでは改めまして、これからまた宜しくお願いします!

      2010/08/24 01:07:07

  • スコっち

    スコっち

    ご意見・ご感想

    こんにちは、時給さん。
    少々出遅れましたがコメントさせていただきます。

    仲良しインタネ兄妹、堪能させていただきました。

    居酒屋に連れていったのは、酔えば弱音を吐きやすくなるだろうという算段もあったんでしょうかね。
    がくぽの遠回しでちょっと不器用な優しさがいいなぁと思いました。
    自分もあんな兄が欲しいです。

    あと、前半のやり取りの、ちょっと距離感があるあの感じがリアルな兄妹っぽいと思いました。

    カルアミルクは本当、甘い割に強いですよね。
    そう考えると、実は飲酒初心者は手を出してはいけないお酒なのかもしれませんが…まぁ、ウーロンハイと梅サワーを交互に呑んだりする自分にはあまり関係ない話です(笑)

    時給さんも二日酔いと夏バテには気をつけて下さいね!

    2010/08/15 17:43:35

    • 時給310円

      時給310円

      おー! こんにちはですスコっちさん!
      アイコン変えられたんですね。これは良いミクだw

      インタネ兄妹って、あんがい誰も書かないですよね。なんでだろ? 味のある兄妹だと思うのに。
      割と評判の良いクールながくぽですが、多分これっきりになると思います。彼の最初で最後の勇姿を、どうぞ覚えておいてあげて下さいw

      お酒に関して言えば、僕は最初にモスコミュールですねー。それからカクテル・酎ハイを数杯、そして日本酒という流れが普通です。仕事の付き合いだと、最初はビールですが、正直ビールは好きじゃありません。苦いの嫌い。ママの作ったお菓子ばかり食べたせいで ←

      スコっちさんも、二日酔いと夏バテにご注意です。コメありがとうございました、またよろしくお願いします!

      2010/08/15 22:50:32

  • sunny_m

    sunny_m

    ご意見・ご感想

    こんにちは、sunny_mです。
    夏バテから復活したら、こんな素敵小説が来てて一気にテンションあがりました!!!
    がっくんとぐみちゃんが可愛いっ、、、!!!
    てか、お酒の失敗は若い人の特権だから(笑)がっくん、許してあげて☆
    とか言いたい気分になりました。

    久しぶりとはいえ変わらずのクオリティは流石だなぁ、と思いました。
    テンポの良さとか見習いたいです。
    ではでは。

    2010/08/14 11:16:36

    • 時給310円

      時給310円

      こんにちは、お久しぶりです!
      ……って言うほど久しぶりでもないですね、実はw 夏バテ気味だったそうで、その後の体調はいかがでしょうか? そんな時こそ梅酒です! あれ、梅酒は予防だったかな……? とにかく梅酒です!(ォィ
      sunny_mさんの書かれたがっくんぐみちゃん小説を読んで以来、なんだか僕脳内でインタネ兄妹がやたらとブームです。どうしてくれるかw

      こちらこそ、sunny_mさんの書かれる宮沢賢治の様な透明感のある表現を見習いたいです。
      お読み頂きありがとうございました! またこちらからも、コメ付けに伺わせて頂きます!

      2010/08/15 01:50:27

  • 藍流

    藍流

    ご意見・ご感想

    こんにちは、お邪魔します。

    インタネ兄妹は見た目からして真逆っぽくて、どんな会話を……?と日頃から思っていたのですが、これは!
    素敵な仲良し兄妹ですね~。距離感が、ちょっと離れてる?と思わせつつも 兄はちゃんと見てますよ、な感じでいいです! GUMIちゃんも、口には出さないけど理解してて。

    今後の作品でも、またこんなふたりが見られるのですね。楽しみにお待ちしています!

    2010/08/12 15:34:22

    • 時給310円

      時給310円

      こんにちは、お久しぶり……と言うほどお久しぶりでもありませんが、ともかくようこそようこそ!

      そうなんです、離れてるように見えて心は通じてる、この距離感が(俺脳内の)インタネ兄妹なんです! 僕程度の表現力では分かりにくい話だったでしょうに、読み取って頂けて嬉しいです。

      遅筆さに定評のある(泣)僕ですが、ボチボチ書いて行きたいと思います。
      どうぞ気長?にお付き合い頂ければ幸いです。コメありがとうございました!

      2010/08/13 01:02:31

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