それからしばらく経過して、サンドイッチを食べ終わった俺とリンは、そのままベンチで、さっき見た映画や、この先についての話をしていた。
「三年になったら、クラス替えがあるのよね」
 リンは、少し淋しそうな口調でそう言った。違うクラスになったらってことを、考えているんだろう。
「でも同じクラスかもしれないよ。俺もリンも、文系私大コースなんだから」
 クオは、絶対に初音さんと同じクラスにはなれないんだよな。あいつは理系で、初音さんは文系だ。
「それに違うクラスになったって、今までみたいに昼は一緒にいられるだろ?」
 俺はリンの手を握った。リンも俺の手を握り返してくれる。
 そんないい雰囲気をぶち壊してくれたのは、正直、この先一生聞かなくても差し支えないなと思っていた奴の声だった。
「……やあ、レン君じゃないか。奇遇だね、こんなところで」
 なんでこんな奴と、出先で二度もばったり会わなくちゃいけないんだ……。相変わらず青マフラーを巻き、相変わらず脳天気そうな笑顔を浮かべている、始音カイトを眺めながら、俺はそう思わずにいられなかった。今日は、赤マフラーのオプションはいないらしい。
 ……って、まずいぞ。あの赤マフラー、間接的とはいえリンのお姉さんを知っている。非常にまずい。もしリンが俺と一緒にいたなんて、リンのお姉さんになんらかの形で伝わったら、間違いなく厄介なことになる。早くこの場を去らないと。
 俺はリンを見た。リンは状況がわかってないので、きょとんとしている。
「そっちの子は、友達かい?」
 カイトが訊いてきた。
「友達じゃありません。彼女です」
 固い口調になってしまったのは、仕方がない。
「えっ? レン君は高校生なのにもう彼女がいるのか。メイコさんは知ってるの?」
 いらんことを訊いてくるカイト。あーっ、うっとうしいっ!
「姉もこの交際は承知してます」
 あんたは俺のことに首突っ込まなくていいんだよ。姉貴はああだけど、ちゃんとやってんだ。
 俺はリンの手をつかんで立ち上がった。リンがつられて立ち上がる。
「それじゃ、俺たちはもう行きますから」
 リンの手を引っ張って、問答無用で歩き出す。リンが「え?」と言いたげな表情で、こっちを見た。ごめん、こいつが見えなくなったら説明するよ。
「え……レン君?」
「忙しいんです」
「忙しいって、君たちさっきまでベンチで座ってのんびり……」
 いつから見てたんだよっ!
「折角のデートを邪魔しないでくれっ!」
 こう言えば、幾らこいつでもついてこないだろう。あ、なんかショックを受けた表情してる。さすがにちょっと罪悪感がするが、リンの方が大事だ。
「ね、ねえ……」
「リン、今はちょっと黙ってて。あいつ、厄介だから」
 俺はリンの手を引いたまま、さっさとその場を立ち去ることにした。幸いカイトはショックを受けすぎたのか、追いかけてくるようなことはしなかった。


 その場を離れようと歩き出したのはいいんだが、どこかへ行こうという当てなんぞない。闇雲に歩いた俺たちは、気がつくとオフィス街に出ていた。うげ……妙なところに出ちゃったな。今日は日曜なので、辺りに人気はほとんどなく、閑散としている。まるでゴーストタウン……っつーのはさすがに言いすぎか。
 と、その時。リンが足を止めた。そして不安げに俺の腕を引っ張る。
「リン?」
「ここ、どこ?」
「……どこだろ」
 俺にもよくわからない。ま、その辺り探せば住所の表示あるだろうから、完全にどこかわからないってことはないけど。
 けど、俺がそう言うと、リンはものすごく不安そうな表情になった。
「もしかして、わたしたち迷子になったの?」
「あ~、心配しなくても、駅とかに行きたければ携帯で道調べられるから」
 リンは少しほっとしたようだった。筋金入りの箱入りだから仕方がないか。
「ここ……都心なのに、全然人気が無いのね」
「オフィス街だからね。平日は賑やかなんだよ」
 多分。平日に来たことないから、ちょっと自信ないけど。
「なんだか、別の世界に迷い込んだみたい」
 そんなことを、リンは言った。確かに、別世界と言えなくもないな。
「そうかもな」
 リンはその後もしばらく周りを眺めていたが、やがてこう訊いてきた。
「レン君、さっきの人、誰なの?」
「あ、うん。リン、ちょっと座ろうか」
 俺は、ビルの近くに作ってある植え込みの、縁の石の上に座った。リンも隣に座る。
「俺の姉貴がファッションデザイナーのアトリエで働いていることは、前に話したよね?」
 リンが頷く。俺は先を続けた。
「さっきの奴は始音カイトっていって、姉貴を雇ってるデザイナーさんの弟なんだ。それだけならいいんだけど……あいつ、君のお姉さんの婚約者を知ってるんだよね」
 リンは最初はえ? という顔をしていたが、やがて誇張でも何でもなく真っ青になって、震えだしてしまった。よほどショックだったらしい。俺は慌ててリンの肩を抱いた。
「大丈夫、知ってるっていっても間接的にだし、親しいわけじゃないみたいだから」
 肩をぎゅっと抱き寄せて、身体を密着させる。それでも、リンの震えはなかなか止まらなかった。
「で、でも……名字を言っていたら、気づかれたかもしれないのよね……。レン君のお姉さんが、わたしの名字を聞いて、ハク姉さんのことを思い出した時みたいに」
 その可能性は確かにあった。なんというか、何かの弾みでぽろっとあいつがリンのフルネームを、アカイの前で口に出し、さらにそれが神威さんとやらに伝わりでもしたら、厄介なことになる。
「あ……うん。だから、さ。なるべく一緒にいない方がいいと思ったんだよ」
 リンは、自分の額を俺の肩に押し付けてきた。俺は肩を抱いてない方の腕を伸ばして、リンの髪をそっと撫でる。
「……ごめんなさい、わたしのせいで」
「気にしなくていいよ、大したことじゃないから。リンのせいでもないし」
 本当に大したことじゃないから、リンは気にしなくていい。
「でも……お姉さんを雇っている人の、弟さんなんでしょう? レン君のお姉さんが、職場に居辛くなったりしたら……」
 俺は、以前会ったマイコ先生のことを思い出してみた。あの人ならよっぽどのことがない限り、大丈夫そうだが……。
「姉貴には俺から説明しとくよ。……大丈夫だって、姉貴はあれで仕事できるしボスからも信頼されてるし」
 姉貴はリンの抱えてる事情を知っているから、繋がりを説明すれば納得はしてくれるはずだ。事前に知ってれば、姉貴も対処がしやすいだろう。
「信じていいの?」
 不安そうな表情で、リンはこっちを見上げた。
「大丈夫だって。姉貴のボスって俺も会ったことあるけど、いい人だよ。ちゃんとわかってくれるって」
 リンの視線が揺れている。触れることでリンの恐怖や不安を消せるとまでは思ってないけど、多少は何かが伝わるはずだ。俺はリンの頬に触れると、身をかがめてリンの額に口づけた。リンがぴくっと震える。
「リン……俺を信じて」
「う、うん……」
 リンは瞳を閉じている。俺はリンの唇に自分の唇を重ねて、ぎゅっと抱きしめた。こうやって二人でいる間は、俺がリンを守ってあげないと。


 その日、デートを終えて俺が家に帰ると、姉貴は自分の部屋で誰かと電話をしていた。
「さっきからずっと言ってるでしょっ! 私の言うこと、わからないほどあんたも子供じゃないでしょ!? わかったらキリキリ動きなさいっ!」
 誰と、何の話してんだ……。ていうかさあ……姉貴、家中に声、響き渡ってんだけど。今ちょっかいを出すのはやめておこう。俺は、自分の部屋に戻った。今日は姉貴の方が晩飯当番だし。
 俺が自分の部屋でネットをやっていると、しばらくして、姉貴が俺の部屋のドアを叩いた。
「レン、帰ってるの?」
「帰ってるよ。ただいま言おうかと思ったんだけど、姉貴、なんかすごい勢いで電話してたから、声かけられなくて」
 ドアが開いて、姉貴が中に入ってきた。少々バツの悪そうな表情をしている。
「あ~ごめんね。ちょっと、厄介な相手と話をしていて」
「仕事関係?」
「ううん、プライベート」
 どっちにせよ、俺が口を挟むことじゃないな。と……そうだ、カイトの話をしておかないと。
「姉貴、俺、今日はリンとデートをしてたわけだけど」
 デートに行く時は、姉貴にあらかじめそう言って、行き先も告げておく。後になってから、あれこれ言われたくないからだ。
「映画館に行ったんでしょ? 楽しかった?」
「映画は面白かったよ。ファミリー向けの大作だったから、ちょっと大味だったけど。で、その後、映画館の外の広場で昼飯を食べたんだけど、その時、厄介な奴に会ってしまって」
「誰?」
 当然ながら、姉貴は訊いてきた。さーて、どう説明したもんか……。
「マイコ先生の弟の、始音カイト」
「カイト君? 確かにちょっと挙動不審な時があるけど、基本的にはいい人よ。厄介てのは言いすぎじゃない?」
 ……まあ、それは俺もそう思うよ。最初見た時は危険人物かと思ったが、単にちょっとズレてるだけのようだ。でも。
「厄介ってのはあいつの性格の話じゃなくて、人間関係の話なんだよ。あいつ、間接的にだけど、リンのお姉さんの婚約者を知ってるんだ」
「え? そんな話一度も聞いたことがなかったけど、そうなの?」
 俺は、前に電車の中でカイトと、その従兄のアカイに会った時のことを、全部姉貴に話した。アカイの大学の先輩が、リンのお姉さんの婚約者で、婚約した相手の名前も知ってるってことを。
「あの時は、俺はまだリンとつきあってなかったし、話も聞き流してしまったけど……もしリンの名字を言って、カイトが気がついたらまずいだろ? 姉貴だって、リンの名字からハクさんを思い出したんだし」
 リンの名字ってよくある名字じゃないから、気づかれる可能性は高い。
「それは……確かにそうねえ……」
「だもんだから、俺『デートの邪魔をするな』って言って、リンの手握って、即効で逃げた」
 姉貴は、難しい表情で考え込んだ。まあ確かに、俺のやったことは礼儀には反する。けど、リンを危険にさらすわけにはいかないんだ。
「……確かに、リンちゃんのことを考えると、あんたの取った行動は仕方がないわねえ」
「俺はやったことは後悔はしてない。……でも、リンが心配してるんだ。姉貴の仕事に影響出るんじゃないかって」
「それなら大丈夫。マイコ先生には今日のこと、私から上手に言っておくわ。だから、心配しなくていいってリンちゃんに言っておいて」
 姉貴はあっさりそう言った。……マイコ先生のことは、任せても大丈夫そうだな。リンには明日、学校でよく言っておこう。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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アナザー:ロミオとシンデレラ 第五十四話【落ち込んだ時はささえてあげよう】

 カイトがこの後どうなったのかは、外伝にて。

閲覧数:657

投稿日:2012/03/11 19:46:19

文字数:4,408文字

カテゴリ:小説

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