ある平日の、深夜。
穏やかな眠りから私を引きずり戻したのは、遠慮のない着信音だった。

「…う~…うるっさいなぁもう…」

枕もとの目覚まし時計を確認すると、午前1時。
光って存在を誇示する液晶画面を確認せず、通話ボタンを押す。こんな時間に電話をかけてくるような非常識な奴は私の知り合いにはどうせ一人しかいない。

「…はい…」
『もしもし…めーちゃん?』
「…なによ…」
『ごめんね、寝てた?』
「…寝てたに決まってんでしょ…今何時だと思ってんのよ…」
ごめんねー、と反省しているのかいないのか分からないような口調で電話の相手が答える。
『実はさ、ちょっと熱が出ちゃって』
「熱…?」
『うん、結構高熱で…一人でいるの不安になっちゃったんだ』
「…何度あるの」
『えーと、38.5度?』
「平熱よそんなの」
『いやいや高熱でしょこれ』
「その割に声元気じゃないの」
『…ごほごほ、ああ、目が回ってきたなぁ』
「…冷えピタ貼って寝なさい。どうせ大学生はもう夏休みなんでしょ」
『それが冷えピタ切らしちゃってさー、ついでに言うと薬も飲み物も食べ物もなくって』
「…買って来いって言いたいの?」
『まさか』

でも、もし来てくれるんなら嬉しいなーなんて。

能天気続けられたコメントに頭を抱える。それは、要するに買って来いということではないのか。
現在時刻は深夜1時。私はパジャマですっぴん。明日も朝から仕事。
どう考えたって行ってやる義理なんてないのに、私は既に頭の中で買い物の算段をしていた。

勢いよく布団を跳ね除け、私はベッドから降りる。
―― ああ、何でこう、いつもコイツに振り回されてしまうんだろう。



私とカイトは家がお隣同士の、いわゆる幼馴染だった。
私が社会人になり実家を出たタイミングで大学3年生になったカイトも何故か一人暮らしを始め、結局はまた近所で暮らしている状態。
歩いて10分も掛からないアパートに暮らしているカイトは、しょっちゅううちのマンションに来てはご飯をたかりに来る。
(『めーちゃんの作ったご飯が一番美味しいんだもん』と全開の笑顔を向けられて、悪い気がしなかったのがすべての敗因だ)

幼い頃からめーちゃんめーちゃんと付きまとい、転んでべそをかいてそれでも私についてきて。
手を繋いで帰り道を歩いた子供の頃から変わらず、カイトはいつまでも手のかかる弟で、面倒を見なくてはいけないような気にさせられてしまう。

…ただ、それだけだと思っていたんだけど。
実は、最近はちょっと様子が違くて戸惑っている。
よく分からないけど、カイトが近くにいると私は不整脈を起こすのだ。
見慣れているはずの青い髪や瞳が私の目の前で揺れるたびに、めーちゃんと呼ばれるたびに、心臓が痛くなる。
制服を脱いでからやたら男っぽくなった【弟】に戸惑っているだけだと自分に言い聞かせ、今は何とか持ちこたえているんだけど。
――この感情を自覚してしまっては、私はきっと【お姉ちゃん】ではいられなくなってしまう。





24時間開いているドラッグストアで薬やら冷えピタ、飲み物食べ物を買い込んで私はカイトの部屋へ向かう。
ずしりと重い感触にうんざりし、いつもより早足になっている自分にもまたうんざりした。
辿り着いた木造2階建てアパートの安っぽいチャイムの音を鳴らすと、はいはーい、とカイトが顔を出した。

「ごめんねめーちゃん、来てもらちゃって」
「…そう思うなら、もう少し申し訳なさそうな顔して言いなさい」
顔色は思ったほど悪くなかった。けれど、やはりいつもよりは顔に生気がない。熱があるというのは本当なんだろう。
「あれ、お化粧したの?」
「…ほんの少しね。一応買い物もあったし」
「しなくても良かったのに、すっぴんのめーちゃんの方が俺好きだよ」
…子犬みたいな笑顔でいちいちそんなこと言わないでよお願いだから。胸が苦しいじゃない。

まとわりつくカイトを無視して1Kの部屋に上がる。
家賃の安さだけで選んだという安普請のアパートは歩くたびにぎしぎしと音を立てるので、歩くのにはコツが必要だ。
食べ物と飲み物を詰め込んだ冷蔵庫は驚くほど空っぽなのに、氷を入れるために開けた冷凍庫には相変わらず様々な種類のアイスが詰まっていた。
「あんたねぇ、ちゃんと自炊しなさいよ」
「だって自分で作るよりめーちゃんのとこ行って食べたほうが美味しいんだもん」
「…食費取るわよ」
「え、払ったら毎日食べに行っていいの?」
だめだ。つける薬がない。
ため息をついて、私はベッドを指差した。
「…いいから寝てなさいよ、おかゆ作ってあげるから」
「やった、今日何にも食べてないんだー。卵のがいいなぁ」
「はいはい」
しっしっ、と追い払う仕草をすると、カイトはスキップして部屋に戻って行った。
なんなの、…元気じゃないの、あのばか。



くだらない深夜番組をぼんやり眺めながら、おかゆを食べるカイトをちらりと盗み見る。
単なるおかゆなのに。最上級に美味しそうな顔に、うっかり笑いそうになってしまった。
「ぷはぁ、食った食った。ありがとうめーちゃん、美味しかったー」
「そりゃ良かったわ。…じゃあ薬飲んで、とっとと寝なさい」
「えー、せっかく来てくれたんだからもう少し話そうよー」
「却下。私明日も仕事だからもう帰る」

えー、と不満そうな声を上げるカイトをベッドへと追い立てる。
毛布をめくると、カイトの香りがした。
…もしかして、このベッドで女の子といちゃついたりとか、してるんだろうか。
頭をよぎった卑猥な想像に慌てて首を振った。

「めーちゃん?どうしたの?」
「…なんでもないわよ。ほら、冷えピタ貼るから、おでこ」
ベッドに腰掛け、カイトと向き合う。
片手でカイトの前髪を押さえると、掌には直に体温が伝わってくる。やっぱり熱い。


――小さい頃、カイトはよく熱を出す子だった。
カイトのご両親は忙しい人だったから、そのたびに面倒を見ていたのは私だった。
私達の部屋は向かい合っていたので、屋根伝いにカイトのとこに行っては額のタオルを濡らしてあげたり、おかゆを食べさせてあげたり。
なんだ。今も昔も、変わらないじゃない。

くす、と笑みがこぼれた。
大丈夫。私はずっと、カイトの【お姉ちゃん】としてやっていける。





「はい、でき――」

冷えピタをカイトのおでこに貼り終えた、次の瞬間だった。



私の唇に、何か熱いものが当たっている。
睫毛に何かが触れている。
焦点が合わないくらい近くに何かがある。
これは、これはいったい何?

ゆっくりと離れていく唇の温度と、カイトの顔。
ぺろ、と舌で自分の唇を舐めたカイトを見て、ようやく私は気がついた。

間違いない。
今、私。カイトに。
―― キス、された。


「…な…何すっ…!」
「ん、お礼?」
「お礼って…あんた今っ…!」
両手で口元を押さえる。掌に感じる自分の唇。
さっき、これがカイトの唇と重なっていたのかと実感すると、そこから広がるように顔が火照りだした。
「ベッドの上で男と向き合うなら、もう少し警戒してくれないと。…そんな可愛い顔してたらダメじゃん」
「なっ…」
「大丈夫だよ、伝染ってたら今度は俺が看病しに行ってあげるから」


…その時は覚悟しててね?


首を傾げて、やけに色気のある顔でカイトは笑う。

ばか、と叫んで、私は音を立てるのも気にせず部屋を飛び出した。
後ろから聞こえてくるカイトの声。

気をつけてね、なんて、あんたが一番危ないじゃないの。





夜の街を、私は一目散に駆け抜けていく。
唇に残ったカイトの熱を冷ますように。

年下のくせに、弟のくせに。
なんでこんな、私が動揺しなくちゃいけないの。

絶対に、伝染った。
経口感染で、余計なものまで伝染された。
…看病されるのに何で覚悟が必要なのよ。



――もし熱が出たら、…ほんとに責任取ってもらうんだからね!

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【カイメイ】恋色病棟

言わずと知れた、OSTER projectさんの【恋色病棟】カイメイバージョン小話。

改めて聞いてこの歌のあまりの可愛さにカッとなりました。
現代パロですが、前作とは設定が違います。


【伝わりきらない設定集】
・幼馴染
・めーちゃん23歳社会人1年目、兄さん21歳大学3年生
・兄さんは幼い頃からめーちゃんが好き
・一時期めーちゃんに彼氏がいた時、カイトもやけくそで女遊びしてた経験アリ


前作に比べると何だか兄さんがまた変態よりに…
ピュアな兄さんドコー?(´・ω・`)


言わずと知れた名曲はこちらから→http://piapro.jp/content/v05ztwtbfytkdgjg


ほんとは看病したのに捨てられちゃう切ない曲だとのことですが、カイメイはいつだっていちゃいちゃしてほしいので勝手に恋の始まりにしてしまいました。
すみません…。


※前のバージョンで台詞だけの後日談があります。

閲覧数:2,890

投稿日:2010/08/07 02:27:20

文字数:3,399文字

カテゴリ:小説

ブクマつながり

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