涙でぐしゃぐしゃの顔で、「引っ越すの」とだけ君は言った。
学校帰りで、僕たちは自転車を押しながら、車一台分の幅しか無い田んぼと田んぼの間の道を、並んで歩いていた。
引っ越すことくらい、本人から聞かなくてもわかっていた。なぜか君は、僕にはこのことをまだ言わずに、最後に言おうとしてたみたいだけど、そんな意味なんて無いくらい早く、僕の耳には入っていた。
「うん、そうなんだ。寂しいな……なんて、もうみんなから言われてるんだろうけど」
「……ごめんね」
「なんで謝るの」
「最初に言おうかなって、思ってたんだけど」
君はそう言ったきり、黙ってしまった。
なら、最初に言ってくれたらいいじゃないか。教室で、噂みたいに聞いた僕の気持ちを、君はわからないだろうね。「お前知ってたんだろ?」って友達に聞かれて、頭のなか真っ白で、何も言えなくなって、僕はどんな気持ちでここに来たと思う?
「まあ、別に付き合ってるわけじゃないし。親の仕事の都合だったら、仕方ないし。ただ、もうちょっと早くても……」
ああ、なんでこんな刺々しい言い方しか出来ないんだろう。そう思いながら隣の君を見ると、もうぼたぼたと涙を落としていて、体が急に冷えた。
「そうだよね、うん、ごめん、ほんともう、今日もずっと泣きっぱなしで」
ハンドタオルを口元に当てて、肩を震わせながら、自転車を押すのもいっぱいいっぱいのようだった。とんでもないことをしたのかもしれない、と思った。
「いつ、引っ越すの」
とにかく、なにか言わなくちゃと思った。このまま無言で帰るのは気まずすぎる。
「二週間後。夏休みに引っ越すから、終業式でもう……」
このままだと君は崩れてしまいそうだったから、とにかく話を途切れさせないようにした。
「そうなんだ。受験もあるし、遅いと大変なんだろうな。厳しい学校じゃないといいな。うちはまだそんなに厳しくないけど、髪とか制服とか、厳しいとめんどくさいし」
何も言わず、下を向く君を見て、もうどうしようもなかった。
「終業式が終わったら、塾の屋上に来て」
「え?」
「それまで、泣くのは我慢してよ」
* * *
約束の五分前に着いたつもりだったのに、君はもう居た。君は背の高い金網を掴みながら、赤く染まる町並みを見下ろしていた。
「早いね」
僕の声に気付いて、君は振り返った。君はいつもみたいに片耳にだけイヤホンをはめていた。
「うん。なんか、ここに来るのも久しぶりだったから」
「久しぶりって、一ヶ月も経ってないだろ」
「そうだっけ。……もうここに来ることも無いんだろうなぁって」
そういえば、初めて君と話したのもここだった。同じ校章が付いてるって、僕も気付いてたけど、先に声をかけてくれたのは君だった。数学の公式を何度もここで教えたのを思い出して、少し笑ってしまった。
「やだなあ、引っ越すの」
その声がもう涙声で、焦って僕は駆け寄った。
「やだよぉ、離れたくない、みんなと、もっと一緒に居たいよ……」
「わかってるよ、そんなこと。でもしょうがないだろ、一人だけ残れるわけじゃないんだし」
「そうだけど、でも、新しいところは怖いし、不安だし、もう頑張れる気がしないし」
ぐずぐずと言い続ける君に対して、僕はなんだかどんどん冷静になっていく気がした。
柔らかな赤に染まる僕らの横には、長い影が伸びていた。僕の影が、君の影に近付いた。
「僕は将来、ギターを持って、全国を歌って回るから。君のところにも、歌いに行く」
「……ほんとに?」
「うん。だから、これは、ほんとのさよならなんかじゃない。また会えるから」
君を元気づけたかった。ただ、それだけだったんだ。
肩を掴まれた君はびっくりして僕を見ていたけど、その目からはまた涙がこぼれてきて、そのままうんうんと頷いてくれた。
多分、僕は君のことを好きで、君も僕のことを好きだった……んだと思う。そうだといいなと思ってる。でもそのことを一度も確認出来なかった。その勇気が無くて、ずっといつもみたいに一緒に帰れるとも思ってたから、確認なんてしなくてもいいって決めつけてた。君が引っ越すと知ってからは、余計に何も言えなくなってしまって、あんな出来もしないことを口走った。たまに君の前でもギターを弾いてみせてたけど、本気でやるつもりはなかったし、歌って回るなんて考えてもなかった。
でもずっと心に自分で言ったことがこびりついていて、君が居なくなってからも、飽きるだろうと思ってたギターに触れ続けた。
何年か経ってからやっと、僕は曲を作ることにした。
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