唄音ウタ。愛称はデフォ子と呼ばれる、15歳の少女。カイトからの支援で就職した広告会社で、いつもと変わらない退屈な日々を過ごしていた彼女に、突然「アンリ」と名乗る謎の女性から警告の電話がくる。その直後、アンドロイド平和統括理事会の査察部隊・トリプルエーの議長¨健音テイ¨が現れる。ウタは部屋を変えて息を潜めるが、思いも寄らぬ事態が起こり、自分の存在を悟られてしまう。だが、偶然近くにあったロッカーを発見し、そこへ隠れることにした。


「唄音君、そこにいるのか…あれ?」

「いましたか、社長さん?」

「いえ、どうやら唄音君は、携帯だけ置いてどこかに行ってしまったようですね」

「はぁ…結局いないんですね。それじゃあ、そのウタちゃんの携帯は私たちがお預かりさせていただきますね」

「どうしてですか?」


 テイは詩葉社長に、ウタの携帯を渡すように要求した。理由の分からない社長は、疑問の表情を浮かべた。


「あのですね社長さん、私たちは一刻も早くウタちゃんを探し出さないといけないんですよ……さっきも言いましたけど、これは理事長直々の命令なんです。だから何の手掛かりもナシに帰るってワケには、いかないもので☆」


 もし普通の考えなら、ウタがここに帰ってくるのを待てばいいだろう。仮にどこかへ出かけているとしても、昼休みはもうじき終わる。だが、彼女たちはトリプルエー。目標の「逃亡」は、決して許さないのがポリシーだ。かつて戦った弱音ハクに加えて、もしまたターゲットに逃げられるようなことがあれば、面目丸潰れである。だから標的の手掛かりになるような物品は、手に入れられるのなら必ず確保する。それが携帯のような、個人情報たっぷりのものなら尚更だ。


「…ウタちゃん本人はここにいないみたいだし、それなら携帯の1つは預からさせて貰わないと、困るんです☆」

「でも、またしばらくしたら帰ってくるでしょうし、その必要はないのでは?」


 テイの言葉でも、詩葉社長は躊躇った。そこへ加勢するように、テイの親衛隊員が社長に詰め寄る。


「詩羽社長、我々が早急に唄音様へコンタクトを取るためには、唄音様の携帯が必要なのです。決して悪用はしませんので、どうかご理解とご協力を」

「…申し訳ありませんが、それはできません」

「なぜですか…?」


 それでも拒否した詩葉社長に、親衛隊たちは顔を曇らした。理事会サイドの連中にとって、非協力な相手は嫌いなのだろう。そして社長は言葉を続けた。


「唄音君は新入社員ですが、こんな会社に来たのが勿体ないぐらいな子です。そんな唄音君が何か悪いことをしたとは、私にはとても思えないのです」

「…議長、これでは時間の無駄です。プランBに移行しましょう」

「うーん…」

(社長さん、ダメだよ…!)


 親衛隊員がテイにそっと囁いた¨プランB¨とは¨任務を進めるための、少々荒っぽい手段¨である。つまりは、詩葉社長の身の危険を意味する。社長にそれは聞こえていなかったが、ウタはロッカー越しにその小さな言葉を聞いていた。ウタはこの優しい社長の事がとても好きだった。それで思わずロッカーを飛び出しそうになった。だが今、飛び出せば自分は助からない。今はただ、何事も起こらないように祈るしかなかった。


「それにいくら理事会の方でも、社員の大切な貴重品を簡単に渡してしまったら、社長失格ですからね」

「議長…!」

「か…」

「…か?」

「カッコイいーっ!社長さーん!!」


 これには場の全員が驚いてしまった。ウタも例外ではなく、声を出さないように自分を抑えていた。健音テイというアンドロイドは天然な所もあるのがタマにキズ…近しい親衛隊たちはそれを一番よく分かっていても、こればっかりは呆れている。この議長は、本来の目的を忘れてしまったのか…側近たちは、みなそう思っていた。


「いやぁ、社員思いの社長さんですね…そういう人、私は大好きですよっ☆」

「いえいえ、滅相もありません…」

(社長さん…)


 ウタはさっきの社長の言葉が、本当に嬉しかった。成り行きでやってきたこの会社だったが、こんな人の下で働けていることに、とても良かったと思った。テイもどういうわけか、詩葉社長に対してものすごく感銘を受けていた。それを見ていた親衛隊員は、彼女の胸中がとても理解できなかった。


「健音議長! 一体なにをおかしなことを仰って…」

「…よせ、議長の気に障ったらどうする…!」

「くっ、しかしこんなこと…!」


 さすがの親衛隊も、どうすればいいのか分からなかった。だが自分たちは、早く任務を遂行しなければならない。だからこんな所で、もたもたしていられない。そう思っていた彼らが焦っている矢先に、テイは再び口を開いた。


「…でもですね社長さん、どうしても1つだけ確認しておきたいことがあるんですよ」

「はい?」

「まさか私たちが来るのを知ってて、唄音ちゃんを逃がした…なんて真似はしてませんよね?」

「えっ…!?」


 詩葉社長は勿論そんなことはしていない。だが念のためか、テイは今までの穏やかな表情を一変させて、詩葉社長を見つめた…というよりは、睨みつけたの方が近いだろうか。親衛隊たちは、ようやく真面目にやってくれたと思い、内心ほっとした。テイは更に社長を睨みつける。


「し・て・な・い、ですよね?」

「そんなことは…」

「してないですよね!」


 テイはまたいつもの笑顔に戻った。詩葉社長も彼女の急な威圧感に、思わず後ずさりしていた。ウタは社長が何かされるのだろうかと心配していたが、テイが疑うのを止めて胸をなで下ろした。


「というワケで、社長の素晴らしい信念に負けちゃったから、私たちはこれでたいさーん☆」

「な…!?」


 結局この始末である。もはや周りの部下たちは、彼女を止めようとはしなかった。


「社長さん、アナタのような良い人と久しぶりに会いました。その気持ちを忘れずに、会社の経営も頑張って下さいねっ!」

「恐れ入ります」

「…健音議長、このままでは本部に報告もできませんよ?」

「まぁ、何とかなるさ☆」


 なんて気楽な人だ。側近たちは、つくづくそう感じたのだった。忠実な親衛隊でも、こんな脳天気なテイに大きな忠誠心を持っているのが、立派なくらいだ。もう詩葉社長をどうにかするのを諦めたのだろう、側近の1人が一枚の紙を社長に手渡した。


「…では詩羽様、もし唄音様が戻られましたら、こちらの番号まで我々にご連絡下さい。よろしくお願い致します」

「分かりました」

「それでは、我々はこれで失礼します」

「…ご協力ありがとうございました」

「さよなら、詩羽社長さーん☆」


 ウタはようやく安堵の溜め息をつくことができた。詩葉社長も、無事で何よりだった。理事会の一行は、テイの後に続いてオフィスを出て行った。親衛隊たちには不満の表情が見て取れた。だがそんなこともどこ吹く風、テイは常に笑顔だった。去っていくテイたちを見てウタは安心した後、自分の手が汗でいっぱいなのに気がついた。


(それにしてもこのロッカーの中、あつ…)


 一方、何の収穫も無しに引き上げたテイの親衛隊は、このままでは納得がいかないようだった。


「あ~楽しかった☆」

「…議長!まさか本当にこのまま帰られるのですか!?」

「え? あははははっ! 違う違う、何を勘違いしているのかなぁ、キミは☆」

「…え?」


 テイは高笑いをした。親衛隊員はその¨勘違い¨が何のことかまるで分からず、きょとんとしていた。


「そんなさぁ…いくら私でも、理事会の優先命令の任務を収穫ナシの手ぶらで帰ってきたら、どんな目に遭うか分からないよ?」

「どういうことですか…?」

「分からないかなぁ…まあいいや、そのうちみんな分かるから!」


 彼女の赤い瞳2つに見つめられたら、もう納得するしかなかった。テイは一体何を考えているのか、親衛隊たちには知る由も無かった。この時には。でもテイが、このままタダで引き下がらないだろうというのは、伝わっていた。彼らは考えた。もしかして、議長はまだ何か考えているのだろうか? こうやって大人しく帰るふりをして…と。そしてテイはヘッドセットのスイッチを入れて、無線を起動させた。


「もしも~し、こちらテイでーす♪ 聞こえますか~?」

「はい、こちらアリスです」

「あ、なんだアリスか」

「な…なんですか?」


 無線越しに出てきたのは、テイの専属秘書の夢見音アリス。聞き慣れたおっちょこちょいアリスの声で、テイはテンションの低い声になった。


「…何でもない。アリス、私はもう帰る。やっぱり正攻法で片付くワケがなかったわ。やっと¨アホ臭い茶番¨も終わったし、予定通りプランSを実行するね」

「…プランS?」

「分かりました、後は私にお任せ下さい。任務お疲れ様でした」

「帰ったら、私がすぐシャワーを浴びられるようにしておいてよ!」

「そちらの方も指示しておきます。安心して下さい」


 そこで無線は切れた。プランS、それは親衛隊員にも知らされていなかった計画だった。テイは会社の前に待機してあった車に乗り込み、後から来た社員に見送られて引き上げていった。彼女は車に乗る瞬間、不気味な微笑を浮かべていた。そして密かに呟いた。


「…私にやられなくて、本当によかったね。唄音ウタちゃん♪」


 そしてそれとほぼ同時に、近くの車で待機していた夢見音アリスは別の誰かと連絡をとっていた。彼女の手元には何かを起動する端末機、そして背後にはとても大きな黒い箱があった。


「こちら夢見音アリスです。予定通り、健音議長によってプランSが発動されました。例の兵器を使用します」

¨作戦コードを転送せよ¨

「XBV-01A-DEM-O-CI…」

¨確認した。次にパスワードを入力せよ¨

「187-828-375-642…」

¨認証した。使用を許可する。取り扱いには細心の注意を払え¨

「よし…」


 アリスが端末に入力し終えたと同時に、車に積まれていた黒い箱の赤いランプが緑のランプへと変わる。どうやらこの箱のロックが解除されたようだ。そして彼女はカードキーをリーダーにスキャンする。ここまで三重ロックになっていた兵器の正体…それがこの箱の中身にある。続けて施錠を外すと、空気の抜けるような音がして、蓋が開いた。そこに入っていたものは…


「私たちに代わり、目標を無力化しなさい。対象の生死は問わない」

「…XBV-01A、了解した」


 そこから出てきたのは、真っ黒な髪と服に威圧感のある赤色の瞳を持つ以外は、まさにかの「初音ミク」そっくりのロボットだったのだ。


「こちら夢見音アリスより本部へ、XBV-01A・雑音ミクの起動を確認しました」

「了解した。狩りを始めさせろ」


ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

「VOCALOID HEARTS」~第23話・闇の兆し~

ピアプロの皆さん、今日は!
今回は久しぶりに、早めの投稿ができました。

うまくやり過ごすのに成功したウタ。しかし一難去ってまた一難、夢見音アリスによって起動された、理事会の秘密兵器が目覚める…

中途半端ですが、ウタ編はここまでにしたいと思います。続きはまた今度に…え?面倒臭がっただけじゃないかって?←

そんなこんなで、次回の24話はルカが登場します。そしてあのニューフェイスも…?

前回まで長らく更新していませんでしたが、皆さんからメッセージとブックマークをいただいて本当に嬉しかったです!
そして注目の作品にも入る事ができ、皆さん本当にありがとうございます!

閲覧数:630

投稿日:2013/12/25 11:17:46

文字数:4,528文字

カテゴリ:小説

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  • ミル

    ミル

    ご意見・ご感想

    オセロットさん今晩は!
    お久しぶりです、前の話ではブックマークだけしかできなくて、すみませんでした。

    ウタとても危なかったですね…それでもどうしてテイに狙われてしまったか分からないままですね。そこがとても気になります…!

    社長さん、マジいい人で思わず心が熱くなりましたよ…こんな社長が本当にいたらいいのにw

    そしてミクそっくりの秘密兵器ですか!?さてさてウタの運命はどうなるか…?

    次回はルカ姉さん登場ですね!24話の更新待っています!

    2012/08/07 19:03:12

    • オレアリア

      オレアリア

      ミルさん、お久しぶりです!
      いえいえとんでもない、いつもブックマークして頂けるだけで、もうどれだけ嬉しいことか…!

      あ、そこなんですよね!
      何も悪い事はしていないし追われるような立場にも無い、ごく普通のボーカロイドであるウタがどうしてテイ達に狙われる必要があったのか?
      これについても、後々明らかにしたいと思います!

      詩葉社長、僕の理想像の優しい社長さんなんですよね……あーあ、こんな良い人が社長だったらいいのにな!(←現実逃避)

      ミクそっくりの謎の兵器も登場して、次回はルカ姉さん登場です!
      …今回中途半端に終わりましたが、次回のうpも頑張ります!w

      2012/08/10 02:01:18

  • enarin

    enarin

    ご意見・ご感想

    こんにちは! 早速拝読させて頂きました。

    ウタさん、社長の機転と度胸で何とか無事テイさんから、『一時的に』、逃れることが出来ましたね。しかしテイさんも演技されてましたが、この社長、なかなかの人物だと思います。命の危険が迫っていたことは、間違いなく解っていたと思いますから。

    しかし、演技していたテイには、”プランS”があったのですか! そして起動する、秘密兵器”初音ミク”! さてさて、どうなるのでしょうか!?

    というところで、次回はルカさん編。楽しみです~♪

    それと表紙イラスト、良かったですね! 私も過去に、hata_hata様のご厚意で、”木之子商店街へ!”の表紙を書いて貰って、pixivでの再掲載時には、まさに”表紙”として使わせていただけたので、その嬉しさ、本当によく解ります! 他にもキャライラストとかも書いていただけて、とても嬉しかった記憶があります。

    それでは、また。

    P.S 暑い日々が続いてます。是非ともご自愛下さいませ。

    2012/08/07 14:37:53

    • オレアリア

      オレアリア

      enarinさん、今晩は!
      いつもメッセージありがとうございます!

      詩葉社長のおかげで絶対絶命の状況を「一時的に」回避できたウタでしたが、小さな会社の社長さんだけど中身はとても良い人、そんな少しギャップのある社長さんを描いてみました。

      幸い社長はテイの本性を知らなかったのもあって、理事会の幹部相手にも食い下がる事ができたのですが、やはりテイの人格では表に出していなくても、何かしら身の危険は感じると思います。

      そして芝居を演じていたテイによって発動された¨プランS¨は理事会の最重要計画の1つで、その中に入っていた¨初音ミク¨そっくりの¨雑音ミク¨が動き出します。
      ああ、やっぱりこの佳境に入る所で中途半端に終わらせたのは間違いでしたね…w

      次回はいよいよルカ編です!良かったらまた見てやって下さい!


      追伸:連日暑い日が続いてますよね…でも暦の上ではもう秋の季節、最高気温もピーク時よりは徐々に下がりつつあるみたいです。
      ありがとうございます!自分も体調管理には気をつけたいと思います。

      2012/08/10 01:50:08

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