「ね、リリィ」
休み時間に入った。
一時間目が終わっても、リンの熱は冷めることなく、リリィにしつこく質問を投げかけた。
恋人とのいざこざとかスキャンダルとか、リンも気になって仕方ないのだ。
おかげで全く席を離れられない状態で、リリィはそのまま縛られていた。
「だから、何もないってば」
「嘘。じゃあなんでリリィ、今日遅刻したの?何もないわけはないでしょ」
「調子悪くて寝れなかったの。ただそれだけだから」
そう述べるも、リンは納得しようとしない。何かがあるだろうと勘ぐっている。
察しの通り、あるのだが。でもそれをリンに言うと、また面倒になってきそうなので、あまり言いたくはない。
「ねぇねぇ、なんでなんで?」
「うるさいな、人の気も知らないで。もうほっといてよ」
「やっぱり何かあるんじゃん。言ってみなよ」
いくらごまかしても、しつこく食いついてくる。多分明日になっても同じことを繰り返すだろう。
一度気になった事は忘れない彼女だから、いつまでも付き合っていたらこっちの気が持たない。
仕方なく、リリィは打ち明けることにした。
「実はさ……昨日」
洗いざらい全てを話した。
それを話すと、ようやくリンは納得したかのように、黙りこんだ。
スキャンダルと聞いたらてっきり騒ぎ立てるかと思っていたのだが、腕を組み、しばらく何かを考え始めた。
「浮気、なのかな」
「そんな、それはないよ。だって、神威がそんなこと――」
するはずない、と答えようとした所で、リンにそれを阻まれる。
「彼氏はそんなことしませんって?リリィには悪いかもしれないけど、はっきり言わせてもらうよ。そんな保証、どこにあるの?」
「そんなのなくても分かるよ。遊園地の時、最初から最後まで優しくしてくれたんだから」
「でも、二回目のデートからなんでしょ?彼の様子がおかしくなってきたの」
「それは……そうなんだけど」
否定できなかった。彼の様子に異変を感じ始めたのはその頃からだ。
「考えようによっちゃ、リリィの彼氏、もしかしたら最初から気なんかなかったのかもしれないよ」
「そんな!そんなの絶対ない!」
思わず声を張り上げていた。感情のあまりに席を立ってしまった。
言った瞬間にハッとなって、また皆に注目されると思ったが、それはなかった。
皆各々友達と話したりしていて教室は騒がしく、こちらには注目しなかったのが幸いだった。
「根拠はないけどさ……。私に向けてくれた感情全部が、実は嘘でしたなんて、そんなの考えたくもないよ」
彼と一緒に遊園地に行った日。彼は初めて私を抱きしめてくれた。キスもした。
それは絶対に嘘じゃない。抱きしめてくれたのも、キスをしたのも、髪を撫でてくれたのも。
全て本当の事だ。彼の本当の感情だ。
根拠などなくても、リリィはそう確信していた。
「リリィは純粋だからね……信じたくなる気持ちも分かるけど」
「本当なんだってば」
リンには信じてもらえそうになかった。リンは恋人がいた経験がないのだ。
だから分からないのだろう。彼氏が向けてくれた感情が本当か嘘か、だなんて。
実際に経験してみなければ、分からない事だってある。
「彼氏はさ、何か言いたげにする事もあったんだよね?それってもしかして、『もう別れてくれ』って言おうとしてたんじゃないの?でも、気まずくてなかなか言えなかったんだよ」
「そんな……」
リリィは言葉に詰まった。喉で詰まって、それ以上言葉が出てこない。
最初の彼こそ信じられるが、その後の彼には、どうしても疑いを向けずにはいられないからだ。
重苦しそうな顔をしているのに、なんでもないと言われる。たまに何かを言おうと口を開くも、途中で黙ってしまう。疑うというまではいかなくても、怪訝に思わずにはいられない。
二回目のデートから、神威は本当の感情を向けてくれなくなった。何を考えているのか全然分からなくて、信じようとしてもそれが出来ない……。
本当なら、信じなくてはいけないのに。彼は、私の恋人なのに。
リンがこうなのかもしれないと言えば、私にはその通りに思えてしまう。
そうやって実に簡単に流されてしまう。そんな自分が嫌で仕方なかった。
リンが言うとおりに、彼の気が本当に最初からなかったのだとすれば?
最初から“本命"がいて、自分が二番目だったのだとすれば?
だとするならば、彼は本命の彼女にもしたのだろうか。私にしてくれた全てを。
髪を撫でる事も、身体を抱きしめる事も、キスをする事も。
けれどそんなこと、想像できなかった。いや、したくなかった。
想像の割にやけに艶めかしく、リアルにその光景が浮かんでくる。
彼が、自分ではない誰かを抱いている。顔を互いに近づけて、お互いの唇を確かめ合っている。
しばらくの間、彼らは唇を重ね合わせたまま、離れようとしない。
やがてキスが終わり、離れると彼は、彼女の服をゆっくりと脱がし始める。そして自分も上半身だけ服を脱いで……。
そこまで想像すると、途端にふっと想像が途切れた。
集中力が切れたのではない。そこから先を想像してしまったら、あまりのショックでおそらく失神してしまいそうで、怖かったから。
それは一種の防衛本能のようなものだろうか、ここから先は想像してはいけない、と警告されているような気がした。
もう、これ以上は想像してはいけない。したら戻れなくなる。弱った心が折れてしまう。
これ以上は、もうこれ以上は――。
「リリィ、ねぇ、リリィ」
「……あ」
彼女の声で、現実へ引き戻された。リンは深刻な顔つきで、自分を見ていた。
「リリィ、やばいよマジで。やっぱり保健室行ったら?その……ウチもちょっと言い過ぎたよ。実際そんな大したことじゃないって」
リンは大袈裟なくらいの元気を取り繕って、笑った。
メイコもそう言っていた。あんまり気にしなくていいと。本当にそれであればいいのだが。
その時、リリィのポケットに入った携帯が鳴った。二秒くらいでその音は止まる。
どうやらメールのようだ。
しかしチェックする気にはなれなかった。携帯を取り出すのも面倒だ。
どうせ迷惑メールとかスパムメールだろう。
「メール、見なくていいの?」
「いいよ。面倒だし」
「でも、もしかしたら“彼”からかもよ?」
リリィは眉をひそめた。
確かにその可能性もあるにはあるかもしれない。もしかしたら。
けれど昨日からずっと連絡がないので、その可能性はとても低いと思われるが。
リリィはポケットに手を伸ばす。携帯を開いて、今来たメールをチェック。
――差出人は。
「あ」
リンの言ったとおり、神威だった。
ずっと、昨日から連絡を取りたかった彼が、ようやくメールを送ってきた。
ところが、メールの内容にリリィは一瞬「ん?」と思って首をかしげた。
「駐輪場に来てくれ。出来たら今すぐに」
メールには短くそう書かれていた。
たった一行だけの文章。それだけで何かを察するのは難しかった。
駐輪場?今すぐに来てくれ?一体どういう事だろう。今でなければ、いけない事なのだろうか。
「彼から?」
「うん、なんか、駐輪場に来てくれとか」
「へ、駐輪場?駐輪場ってどこの駐輪場よ。学校の?それとも駅前の方の?」
「わかんない、書いてないんだよ。それが」
携帯をリンの方に向ける。リンもそれを見て、ワケが分からない、という風に眉をひそめた。
「なんともまぁ、不思議なメールだね」
「不思議って言うか、なんか、嫌な予感がする。何かあったのかな」
モヤモヤとした不安が、一層強まった。
何しろこんな変なメールを送りつけてくるくらいだ。何もない方がおかしいとさえ思う。
そして、昨日はずっと音信不通で、連絡も取れなかったのだから。
「大丈夫だよ。心配性だなぁリリィは」
と、リンは努めて明るく言ったが、リンも内心、変だと思った。
次第に、リリィは座っているのが辛くなってきた。いてもたってもいられない。
そしてついに、席から立ち上がった。
「ゴメン、ちょっと、行ってくる」
「ちょ、行くってどこに?もう授業始まるよ!?」
しかしリンの言葉はリリィに届いておらず、リリィはそのまま教室を出ていってしまった。
リンはその後を追って引きとめようかとも思ったが、一瞬立ち上がって思案した後、席に再び着く。
今の彼女は何を言っても聞かないだろう。そう思ったのだ。
「もう」
リリィの姿を、リンは複雑な気持ちで見送った。
彼女に、一つ言い残した事があるのだが、これは言うべきだったのだろうか。
神威という男子には、少なからず悪い噂があるという事を。
リリィに言うべきかはいつも迷っていたが、この際やはり言っておけばよかったか。
けれど所詮、噂は噂なのだから信憑性はない。噂は誇張されて伝わるものだから。
その神威という男子が実際何をやらかしたのかは知らない。どこまで本当なのか分からないし、この目で見たわけでもない。
同じクラスとはいっても、実際今年の四月に転校してきたばかりで、ほとんど話した事もないのだ。
リリィがその彼と話しているのはよく見かけたが、直接話したことなんて無いに等しい。
だから彼の人間性もよく分かってはいないのだが、噂では彼に悪い評判が立っているのだ。
そんな彼とリリィが付き合っているのを、リンはいつも不安の想いで見ていた。
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