♯2「グミの四年後」
ウチらが高校を卒業して四年が経った。
ある日の事。
「皆さんこんにちは!今日はこの暑い中、俺の歌を聞きに来てくれてありがとう!」
アーティストが舞台の真ん中で堂々と叫ぶ。すると観客席の方からは、それに反響させるように「わー」だの「うおー」だの「いえー」だのと返事が返ってきた。観客はゆうに一万人を越えるらしく、舞台側から見たらそれはまさに人の波が、どこまでも続いているように見えた。
ウチはそのアーティストの隣に、ギターを抱えて立っていた。
ファンのように熱くもなく、アンチのように冷たくもなく、興味のない生ぬるい目でそのアーティストを見つめる。正直自分にはその歌手の良さというのがよく分からなかった。
今日はある有名歌手のコンサートを行う日で、それを演奏するサポートメンバーの一人として私が呼ばれたのだった。担当楽器はギター。高校時代からやっていた事もあり、演奏については自身がある。
今は丁度曲を一つ無事に終え、その歌手がMCを行っている最中だった。
「実はね、皆には内緒にしてたけど、このライブは俺のデビュー五周年記念ライブでもあるんだ!」
おおー!!と、歌手が何かを言うたびにファンは熱狂的な返事を返す。
「ここまでこれたのは、決して俺一人の力じゃない。デビュー当時から支えてくれたファンの方々、それから今もこうして支えてくれてるファンの皆!それからスタッフの人達!たくさんの応援があってこそ、俺はこうして舞台に立ってるんだ。皆、ありがとう!今日は最後まで楽しんでくれよな!次いくぜ、二曲目は『Black』だ!」
それまで熱狂的だったファンがしんと静まり返る。
ある程度静かになった所で、音楽が流れ出す。まず最初は、キーボードのメロディから。
その次にギターである自分、その次にベースとドラムが入ってくる。
二曲目も速いテンポだったが、演奏を間違える事は許されない。……大丈夫だ。
この曲もリハーサルでちゃんと練習した。弾き間違えることなんてない。
曲の一番が無事に終わり、二番が無事に終わり、次に間奏にギターソロが入る。それもなんなくクリアして、やがて曲は終わった。再び歌手はMCの態勢に入る。
「そうだ、さっき彼女の紹介をしとこうと思ったんだけど、忘れちゃったぜ。忘れないうちに今しとこうかな」
ファンの間にどよめきが走った。特に女性の間で。
「あぁいやいや、そう言う意味じゃない。今まで俺の舞台をサポートしてくれてたギター担当のリョウが、メジャーデビューしてメンバーを脱退しちゃったんだ。前のライブに来てくれた人は分かると思うけど」
一呼吸間をおいて、歌手は喋り出す。
「それで、新しくこのギターのサポートをしてくれる事になったのが、上手(かみて)に見える彼女さ。ほら、グミちゃん、こっちに来て」
「へっ!?」
突然名前を呼ばれてしまったのでビックリしてしまう。サポートメンバーというのは、文字通り主役を補佐する裏方的な存在ではないのか。紹介なんてされる存在じゃない。
他の歌手たちのサポートもやったことがあったが、当然そんな紹介はなかった。
いきなりのことだったので、どうしていいのか分からない。
「やっぱり真ん中に来なきゃぁ、ほらほら」
「いやでも、ウチは……」
「いいからいいから!」
そう言われながら、半分強引に舞台の真中につきだされる。
「ちょっと緊張してるみたいだ。みんな、お手柔らかに頼むぜ」
歌手がそう言うと、がんばれー、応援してんぞー、ひゅーひゅー、といったファンの声援がウチに対して向けられる。妙に気恥しくなった。
高校の頃もこうやって舞台で観客の声や視線を浴びる事はあったけど、昔のものとは比にならない。
なにしろ一万人だ。それだけの数が一斉にこちらを見ていると考えると、少し胃のあたりがキュッと痛む。
そんなプレッシャーをものともしないで、横で歌手はニコニコとほほ笑んでいる。
「さ、何か挨拶して」
「えぇ!?」
その声がマイクに乗って反響する。思わず恥ずかしくなって口を押さえた。
昔の自分であれば、適当にノリよく答えられたかもしれないが。
高校時代の自分は一体どこに行ってしまったのだろう。
さすがにこれだけの人数がいると、控え目になってしまうというものだ。
マイクを差し出された手前、何か答えないわけにもいかず、ウチはおずおずと語りだした。
「さ、サポートメンバーのグミです。今日は、氷山さんと同じ舞台に立つ事ができて光栄です」
実際ウチは彼のファンでもないけれど、一応そう言っておかなければ。
下手な事を言ってファンを敵に回してしまったら敵わない。なにしろ一万人だ。
ちなみに、氷山というのがその歌手の名字だった。下はキヨテル。
歌手活動する際には必ずカタカナ表記という事になっているらしいが、ちゃんと漢字も存在するらしい。
年は、ウチより二個上。
「これから精いっぱい、ギター演奏のサポートをしていきたいと思っています」
氷山さんとは付き合ってるんですか―?とどこからともなくファンの声が聞こえてきて、ウチはずっこけそうになった。
氷山はウチからマイクを受け取ると、弁解するように微笑んだ。
「おいおい、違うって今言ったばかりだろ。彼女はいないぜ。まぁ好きな人はいるけど、グミちゃんじゃないからな?彼女を目の敵にするなよ」
でも好きな人はいるんだ―!?
またもやあの声である。どうやら女子のようだった。
「まぁな。これ以上はノーコメントで」
途端に、ぶーぶーと観客の大半がブーイングをし始めた。
一万人のブーイングはまた迫力が違う。観念したように、氷山は喋りだした。
「わかった、わかったよ。言うよ。俺の好きな人はな、今大阪に住んでるんだ。俺がその人に恋したのは高一の時で――」
氷山はしぶしぶと自分の身の上話をするのだった。ようやく観客も落ち着いてきた所で、氷山の合図がかかる。
「よっしゃ、んじゃーそろそろ、三曲目行くぜぇ!三曲目は『lost』!」
今までとは違う、しんみりとしたメロディーが会場の観客を包み込む。
ギターも音はやや控えめになり、代わりにキーボードのメロディがこの曲の主役となる。
やがて、切ない歌詞が彼の口から流れ出した。
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