家に帰ると、他のメンバーの姿はなかった。
レンの靴はあったから、もう帰っているはずなのに。
ダイニングテーブルの上に、台本が置かれていた。あたしが、レンと一緒に主演の予定だった映画。
こんなところに置いておくなんて、わざとだろうか。レンはあたしに、読んでほしいのだろうか。
震える手で、その台本を開く。
分かっている。
あたしたちは、「そういう」グループだ。
主演をはずされて、予定が空いたあたしは、忙しい他のメンバーのサポートをしなきゃいけない。そして、今一番忙しいのは、売れっ子のミク姉を別とすれば、映画の主演が決まっているレンだ。となれば、あたしは必然的に、レンがこの映画の仕事をするのを、サポートしなきゃいけない。内容くらいは把握しておかなきゃいけない。
――でも。
広げた台本の中身に、あたしは目を見開く。
唇が震え、声にならない絶叫が駆け巡る。
きっと、他の誰にとっても、どうでもいいこと。レンにとっても。
でも、あたしにとっては、大事なこと。たったひとつの拠り所。レンの隣は、あたしの特等席なのに。
「ただいま」
玄関の方から、残酷な声がした。当たり前の挨拶。
声にひかれて、ふらふらと歩き出す。帰宅したばかりのルカ姉が、高いヒールを脱ぎながら、あたしの方を見た。
「あら、もう帰っていたのね」
ごく普通の、見慣れた笑顔。
一瞬で頭に血が上って、あたしは台本をルカ姉に叩きつけたい衝動に駆られた。それをなんとか踏みとどまり、背を向ける。
「……主演おめでとう、ルカ姉」
身体が震えていた。声も、多分震えていた。ルカ姉はそれに気がついたのかどうか、小さく答える。
「ありがとう」
ルカ姉は、ごめん、とは言わなかった。
いつも通りの声、その対応すら、あたしを惨めにさせる。あたしだけが、小さなことにこだわっているような。
きっと、実際そうなのだろう。
あたしは、逃げるように部屋に戻り、ベッドの上に倒れ込んだ。ポケットからとびだした携帯電話が、マットレスの上で跳ねる。
ふとそれを開き、着信履歴を見た。最新はレンのもの。だけど、彼の履歴ばかりが残っているというわけでもない。
――分かってる。もう、あたしとレンの声は違う。あたしの声より柔らかなレンの声は、ルカ姉の声とすごくよく合う。
イメージと年齢差のせいでこれまで実現していなかったけれど、何かをきっかけにレンとルカ姉をデュエットさせようという動きは、ずっとあった。あたしが気付かないふりをしていただけで。
そして、その「きっかけ」に、この映画が選ばれたのだ。年齢差を超えた純愛。この映画のイメージがファンに植え付けられれば、これからずっと、レンとルカ姉のデュエット曲は受け入れられるだろう。
外見が似ているだけのあたしたちよりも、ずっと。
「分かってるよ……」
ずっと同じ外見ではいられない。ずっと同じ声ではいられない。そして、同じでなくなってしまったら、二人を繋ぎとめるものはない。
それを知っていて、あたしは変化を望んだ。自分のレンへの想いに見合うだけの、外見の変化を。女と男への変化を。
だから、これは当然の結果なのだ。これまでと違う関係になりたいと思ったのだから、これまでの関係が壊れてしまうのは当然のこと。たまたま、これまでのあたしのポジションに入り込んだのが、身近な女性だったというだけ。
嫉妬なんてしなくたって、ルカ姉はレンのことをそういう風には見ていないのだから、大丈夫。
分かっているのに。
「だって……レンとルカ姉でしょ……」
想像すればするほど、嫌な予感しかしない。だって、二十歳と十四歳だ。十四歳同士の恋愛ドラマとは、わけが違う。
あたしが前に大人の男性と共演した時は、相手役の男性が、ロリコン呼ばわりされていた。
でも、どこか大人びたレンのこと、そういった特殊な嗜好ではなく、自然とルカ姉との恋愛を演じられるだろう。
つまり、ルカ姉の年齢に合わせた「大人な恋愛」に、レンは十分対応できるのだ。そうなれば……当然、あたしがこれまで演じてきたような純愛とは、方向性が違ってくる。
「そんなの……」
あたしもプロだ。仕事に私情を持ち込むほど馬鹿じゃない。でも……。
-----
「リンちゃん?」
ミク姉の声がして、自分がいつの間にか寝てしまっていたことに気付いた。
「ご飯出来たよ」
今日の担当はミク姉だったのか。そんなことも忘れていた。あの電話がかかってきてから、すべてが上の空だった。
「ルカ姉から、話は聞いたよ。今回のことは、実力の問題じゃないでしょう? 気にすることないよ」
「分かってるよ。実力より相性でしょう」
その方が、よっぽど悔しいんだよ。あたしよりもルカ姉の方が、レンに合ってるって言われたんだから。あたしよりも売れてるミク姉に仕事奪われる方が、納得できた。
「なんでそういう言い方するかなぁ」
ミク姉は、困ったようにあたしを見ている。あたしにも、八つ当たりしている自覚はあった。
でも、どうすることも出来ない。
「……文句があるなら、レン君に直接言ってくればいいじゃない」
「別に、文句なんてないよ」
そういうことではない。ただ、自分の中で、どうしても気持ちの整理がつかないだけ。怖がりで独占欲ばかりがあって、そんな自分に嫌気がさしているのにどうすることも出来ないだけ。
「……でもきっと、考えて分かるようなことじゃないよ」
ミク姉は、そう優しく微笑んで、部屋を出ていった。その日の夕食は、味がしなかった。レンもルカ姉も、一言も発しなかった。
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