♯ ♯ ♯
ある日のこと。
彼はパソコンの周辺機器を買い足そうと、郊外の大型PC専門店へ行った。
平日の昼間は、店も空いている。
目当てのコーナーに向かい、ざっと見渡す。
けれど青年は、いつもの通りにスペックの比較や手持ちの機器との相性などが、すんなりと頭に入らない。
どこか上の空で、思考が自分の頭を滑る。
傍らには、ミクがいる。
興味深そうに、並べてある商品を手にとってはしげしげと眺める。
時折、「これって、何に使うんですか?」と聞いてくる。
それを簡単に説明してやると、目を丸くしてびっくりしたり、
「なるほど、それであんなことが出来るんですね!」と納得したりしていた。
無邪気なその姿を見ていると、彼は何とも言えない、暖かな気持ちになった。
ミクはいつもの通りの袖なしブラウスとミニスカート姿なのだが、不思議と風景に浮くことなく、可愛らしい女子高生然としていた。
そんなのを連れているものだから、何だか気恥ずかしさが立ってしまう。
――お昼はぜひ、行きつけの牛丼屋で「ねぎ玉牛丼」をご馳走してあげよう。
出かける前はそう決めていた彼だったのだが、
いざ一緒に出かけると、なぜだかそういう所――つまり彼がよく行く牛丼屋・立食いそば屋・ハンバーガーショップの3択――は避けたい、と思った。
かといって、「デートに使うようなオシャレなレストラン」など、彼が知るはずも無い。
結局、ファミレスに入ることとなったのだった。
「2名様ですね、こちらへどうぞ」
何の違和感もなく、四人がけのブースへ案内され、二人分のメニューと水のグラスが置かれる。
彼は何となく不思議な感覚を覚えた。
こうなると、ミクの存在そのものが、何ら不自然なものではない、と思える。
「うーん、何にしよう……」
メニューに目を走らせ、悩む姿をみて、奇妙だなと思う。
――どんなものを注文するんだろう?
興味があったが、あまり詮索するわけにもいかない。
と、その時、
「ん、これにします!」
とメニューを指さす。
若鶏の照り焼き・ねぎ塩ソースがけ。
――なるほど……スペック通り……。
指さしたそれをしげしげと眺める彼に、ミクは頬を赤らめて俯く。
「……へ、ヘンですか……?」
「ううん、ちっとも!」
慌てて首を振って否定する。
その一方で、赤くなって上目遣いの彼女もかわいいな、と思う。
――スペック通りだね、なんて言えないや。
彼も適当に選んで、テーブルの上の呼び出しボタンを押した。
「ねぇマスター。DX-7って、何だかご存じですか?」
鶏の胸肉をナイフでぎこちなく切り分けながら、ミクが尋ねる。
DX-7。
ヤマハ製の有名なシンセサイザー。
画期的なFM音源を搭載した、デジタルシンセ。
……ぐらいしか、彼の知っている情報は無い。
シンセサイザーなんて、彼は持っていないし使ったことも無い。
電子オルガンや電子ピアノとの違いも、イマイチ良く分からない。
そのことを正直に伝える。
「それが、どうかしたの?」
聞くと、彼女はアームウォーマーを見ながら、
「わたしのデザインの元になったんですって……だから、どんなものか知りたいと思って」
それは、知る人のうちでは有名な話であった。
ミクの印象的なコバルトブルーは、DX-7のコンソールパネルについているボタンの色だという。
チャコールグレーとライトグレーを基調にした服装も、DX-7の機体の色をそのまま受け継いだものだとか。
「じゃあ、あとで楽器屋さんに行ってみようか?」
何の気なしに提案したのだったが、ミクは、ぱぁっと顔を輝かせた。
♯ ♯ ♯
後から考えれば当然と言える結果だったが、楽器店にDX-7は、無かった。
既に生産を終了しているし、状態の良いものは伝説の名器として高値で取引されている現状を考えると、たとえ中古でも展示されている可能性は極めて薄い。
落胆するミクを見かねて、店員さんがヤマハの古いカタログを出してきてくれた。
カタログに載っていた、DX-7の写真。
そこには確かに、ミクのトレードカラーであるコバルトブルーに輝く各種キーが、ブラックのキャビネットに映えていた。
ミクは、懐かしさのような柔らかい眼差しで、その写真を見つめていた。
そのあとも、ミクはいろいろな楽器――とくに鍵盤楽器の類――を興味深そうに眺め、たどたどしい手つきで鍵盤を触っていた。
その姿を見て、青年は微笑ましいと思うと同時にふと、胸に鈍い痛みを感じた。
鍵盤楽器は、弾けない。
弾くことが出来たなら、どんなによかっただろう。
オリジナルの楽曲を、彼が弾き、ミクが歌う。
その、輝かしくさえ思える妄想を、もう一人の彼が握り潰す。
――バーカ。何考えてるんだ。
そんなの、諦めていたはずだ。
だから、DTMに手を出したんじゃなかったか。
DTMに触れなければ、これほどミクに深く関わることは無かっただろう。
――いいんだ。僕は、これでいい。何の問題がある? 何も悪いことは無い。
♯ ♯ ♯
曲の打ち込みも、だいぶ手馴れたものとなった。
MIDI音源やリズムパターンは、購入したもののほかダウンロードしたものを合わせると、ずいぶん種類が増えた。
それらを使い、彼はバラエティに富んだ曲作りが出来るようになっていった。
音源を探す。
無音状態で聴き、アンサンブルに混ぜ、似たような音源でも優秀なものとそうでないものを選り分ける。
その過程で、「良い音」とはどういうものか、自分なりの答えを探そうとする。
アナログシンセのシミュレーターを購入した。
音域や矩形波をいじり、イメージに近い音を求める。
大嫌いだった物理学も、少しは知っていないといけないな、という気持ちになる(ただし、「音波」に関する単元のみ)。
鍵盤が欲しいな、と思う。
ディスプレイでなく、実際に鍵盤を触って出す音の感触を知りたくなる。
ピアノもエレクトーンも弾けない彼だったが、鍵盤楽器に関しては詳しくなった。
ローズ・ピアノやミニ・ムーグは言うに及ばず、クラビネット、フェアライト、アープ・オデッセイ、オバーハイム……。
楽器の知識は、彼の音づくりに深みを与えた。
「うん、いい感じじゃないか」
歌い終わったミクに声をかける。
えへへ、とはにかんだ笑みを彼に向ける。
「こうなると、曲の雰囲気に合わせて違った衣装にしてみたいですね」
彼女の言葉に、彼はすかさず返事をした。
「じゃあ、どんなのがいいか、見に行こうか」
「えっ、ホントですか? やったぁ!」
満面の笑顔を向ける彼女。
その仕草に、この娘もごく普通の16歳の女の子なんだな、と思ってしまう。
ミクと出かけることが多くなった。
駅ビルのアパレルショップのフロアなど、彼にとっては未知なる空間そのものだったのだが、ミクについていく形で、それらの階へも臆せず入れるようになった。
とはいえ、フロアに立ち入るだけなら彼も平気なのだが、ショップの中まで付きあうとなると、気恥ずかしさが先に立って、早く外に出たいと思ってしまう。
ミクはごく自然に、ショップの中であれこれ服を選んでは
「どっちがいいと思います?」
などと聞いてくる。
どっちでもいい、とは思わない。
けれど、恥ずかしくてきちんと判断出来ない。
結果、はぐらかすような答え方をしてしまう。
そんな彼をやや不満げに見つつ、けれど楽しそうに、ミクはさんざん選んだ後、何も買わずにショップを出る。
そして二人きりになると、
「ああいう感じのお洋服、探しましょうね♪」
と言いながら、彼の腕に自分の腕を絡ませる。
服を選びはするものの、それを実際に買うことはしない。
青年の自宅に戻ると、ウェブで適当な写真やイラストを探し、そこから3Dに起こし……
数日後には、新しい服に身を包んだミクがディスプレイの中にいる、というわけである。
A kind of Short Story from 『tautology』 3/4
※2ch創作発表板にて投稿した作品の改訂版です
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