二、

彦馬はあれから間も無くして帰って行った。
形だけのものとはいえ帝国陸軍大佐の地位にあり、その戦功から永穐の英傑と称えられた彼があれ程の圧力をかけられたのだ。
いずれ、近い内に尚仁の元にも何等かの報せがあるに違いない。
それも、尚仁の力ではどうにもならない形で。
「いよいよ日本に帰る事を考えていかねばならないか」
しかし、どうにも薄暗いぼんやりとしたものがある。
祖国には苦い記憶が多い。良かった事と言えば、彦馬と言う無二の友を得た事ぐらいだ。
幼い頃から大蔵省の奸雄と呼ばれた父の影から逃げ惑い続けた。
財力で物事を解決する父が厭だった。
己が陸軍騎兵連隊長として亮国へ出兵すると告げた時にはこう告げられた。
「国も愚かな。革命の兆しが見えている亮国なら武力など必要無いものを」
しかし、あの頃の尚仁はこれに酷く反発した。
「今の日本には武力に依る勝利が必要なのです。諸外国にこの国が弱小国でないと知らしめる為にも」
「お前は何も知らんのだ。戦争が国にどれだけの経済的損害を与えるのかをな」
「貴方はいつもそればかりだ。軍需産業をあれだけ推進させておいて」
「武器を売り付ける立場であれば国は富む。しかし、武器を使う側になれば話は変わるのだ。国ひとつを攻め落とすのにどれだけの武器が必要になるかわかるか。その武器は何から作られていると思う。武器だけではない。兵士たちの医療品、食糧…この国の資源の乏しさをよもや忘れた訳ではないだろうな」
「もう良い。うんざりだ。貴方の話など聞きたくない」
以来、父との連絡は絶った。
澄子や親戚からの手紙で様子は多少窺い知る事が出来たが。
――――澄子。
不意に頭を過ったその名に胸が詰まる。
一体、何度繰り返しただろうか。その度に自分の惨めな執着心に嫌気がさす。
屋敷に良く出入りしていたとある財閥の娘である澄子に、尚仁は少なからぬ想いを寄せていた。
数歳年上の澄子に男として認められたかった。
亮国に駐留していた際にも何度も手紙を送った。澄子も丁寧な励ましの返事を返してくれた。
澄子からの手紙を読む時が、凄惨極まる戦場の中での数少ない楽しみだった。
しかしある時から、澄子からの手紙がぱたりと止んだ。
何か重い病を患ったのではないか。そう焦慮していたところに澄子の父親から手紙が届いた。
澄子がとある画家の男と家を出た事を知らせる内容だった。
尚仁の心中を知らぬ澄子の父はこう締め括っていた。
「御国の為に日々戦っている勇敢なる尚仁君の事を、あの娘は「恐い」と言っていた。馬鹿な娘で申し訳無い。あの様な娘の事はどうか忘れておくれ」
丁度、亮国の攻略を確実とした頃。尚仁は随分と荒れた。
間も無く押し寄せて来た戦後処理の数々に追われた事で、次第に落ち着かざるをえなくなったが。
「あの時には、彦馬にも迷惑をかけたな」
呟き、自嘲の笑みを浮かべる。
澄子が自分を「恐い」と言っていた理由は戦後に分かった。
膨大な戦死者の数。
己の指揮が、多くの兵達を死なせた。
無論、戦争をして兵達を無傷で済ませる事の方が難しい。
しかし自分は最良の策を講じていただろうか。戦功に焦ってはいなかったか。
今となっては自信が無い。
戦争の最中で麻痺していった命の重みが一度に圧し掛かってきた。
そしてこの時になって父の言っていた事が漸く分かったのだ。
戦争をすると言う事は、国の財産である国民を失うと言う事なのだと。
この地で見捨てられようとしている兵達の亡骸を探しているのは言うなれば自分にとっての償いだ。
それで償えるとも思ってはいないが。
尚仁は机の上に立てられた写真立てを手に取る。
そこに写真は入っていない。一枚のタロットカードが挟まれているだけだ。
この国で会ったある人が、去り際に残してったそれには喇叭を吹く天使と棺桶から立ち上がる人々が描かれている。
彼女は占いが好きだったが、尚仁はその手の物には疎い。
このカードが意味する物が何なのかも知らない。
唯一「審判」を意味する異国語が書かれている事だけは分かる。
彼女も意味を教えてはくれなかった。
「貴方の幸せを祈っている」と、それだけ告げて遥か西にある祖国へ帰って行った。
皆、祖国へ帰っていく。
窓に目を遣れば、昼間の雨に砂を洗い流された夜空に煌々と満月が昇っていた。
その時、部屋の扉を叩く音がした。
一緒に幼い声がする。
「御父様、入っても良いかしら」
「三和子か。構わないよ」
幼い少女が小走りに部屋へ入ってくる。
真っ黒な瞳を輝かせて三和子が笑う。
「彦馬小父様が新しい本をくださったの。御父様と一緒に読みたいわ」
「ほう、今度は何の本だい」
「いろいろなお花や木が載ってるの。この辺りって砂が多くて余りお花も咲かないだろうって小父様が」
彦馬は本好きな三和子の為に度々本を贈ってくれている。
今度貰ったその本は三和子の手には少々大きく見えた。
頁を開くと色鮮やかな花達の絵が目に飛び込んで来る。
「此の赤いお花は何」
「アネモネ、か。ギリシアの昔話にも出てくる花だよ」
「まぁ、どんなお話なの」
三和子と話をしながら彼女と出会った時の事を思い出した。
八年前、父が亡くなった。
経済界の怪物が遺した遺言書には「自分の財産は全て日本と亮国の孤児院への支援と設立に利用すること」と書かれていた。
親戚一同が大騒ぎになったが、遺言書に書かれている以上最早どうしようもなかった。
あの父が孤児院に。昔見てきた父の姿からは掛け離れた行動だった。
しかし、親戚から聞いた所によれば、父は晩年一人塞ぎ込む事が多かったという。
そんな父が何を考え思っていたのか、今や知る由も無い。
父の面影を追いかける様に、亮国の孤児院の一つを訪ねた。
普段接しなれていない子供達の歓迎に戸惑っていた所、中庭の片隅に少女がぽつんと座っているのが見えた。
「御支援の御蔭もあって、子供達の引き取り手が次々に決まっているのですが…。あの子は少々足が悪くて」
管理人はそう言って口を濁した。
近寄ると少女は黒い目でじっとこっちを見詰め返してきた。
そして何故だろうか。自分は管理人に「この子を引き取る」と言ったのだ。
おかしな話だが、とても子供を育てる様な人間ではない自分がそう決めた理由がよくわからない。
それから、尚仁はこの少女を一人娘として育ててきた。
三和子も尚仁を実の父と慕ってくれている。
「二人の女神様に好かれた男の子が咲かせたお花なのね…死んでしまった男の子が可哀相」
三和子はアネモネの絵を撫でる。
その様子に思わず頬が緩んだ。とても良い子に育ってくれたと思う。
「ねえ御父様。このお花は桜って言うのよね。日本のお花なのでしょう」
「ああ、日本人がとても好きな花だよ。私も好きな花だ」
そういえば、澄子も桜がとても好きだった事を思い出した。
儚く散る様子が美しいとあの人は言っていた。
最近、たまにではあるが三和子に澄子の姿が重なることがある。
自分の澄子に対する未練は自覚しているつもりだ。
もしかしたら、この娘を己のみっともない執着に巻き込んでいるのではと時々不安になる。
「とても綺麗な花ね」
「三和子も桜が好きかい」
「桜も綺麗なのだけど、私はこれが好き」
ぱらぱらと捲った頁には華やかな色は無かった。
代わりに鮮やかな緑が広がっていた。
「この木が好きなの」
「松がかい。此れには花はつかないぞ」
この年の、いや女性が松が一番好きだと言うのを尚仁は聞いた事が無い。
三和子は大きく頷く。
「知ってるわ。でも、松は冬も葉が落ちないのでしょう。前に別の本で読んだわ」
「ああ、確かに冬にも松は枯れない」
「日本では雪も降るのよね。雪はとっても冷たいって聞いたわ。雪が降っても大丈夫なのかしら」
「ああ、雪が降っても大丈夫だ。だから日本では長生きの木と言われているよ」
そう尚仁が答えると三和子は更に目を輝かせた。
「素敵。松ってとっても強いのね、御父様」
少々呆気に取られた後、尚仁は思わず吹き出してしまった。
やってしまってから失礼な事をしたと慌てて堪える。
しかし、三和子も吃驚した顔でこちらを見ていた。
「驚いたわ。御父様がそんな風に笑うのなんて初めて」
「そうかい。いや、笑って悪かった」
「良いの。御父様が笑ってくれるのは私も嬉しいから」
満面の笑顔を浮かべる三和子。そこに澄子の姿は重ならない。
ああ、良かった。この子はやはりあの人とは違う。
そして、この子とならきっと。
「…私の故郷は松の名所なんだ。とても古い松の木も生えている」
「まあ、本当なの。一度見てみたいわ」
心躍らせて自分と本の松を見比べる娘の頭を撫でる。
「三和子、日本に行ってみるかい」
見上げてきた三和子に問い掛けた。
それから約一年後、高林内閣による亮国完全退去は完了した。
三保の松原に生える羽衣の松は、樹齢500年を超えた今でもしっかりと駿河の海岸に根を下ろしている。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

松風 ~後編~

Ebotさんの「信號燈-SIGNAL-」から妄想を膨らめて書いた小話です。
こちらは後編となりますので、前編を読んでない方はこちらからどうぞ→http://piapro.jp/t/j5Dx
オリジナルキャラが出てきますのでご注意を。
大変分かりにくいですが、柏樹尚仁というキャラがKAITOのイメージとなっております。
世界観は大正時代のパロディです。
!や?といった感嘆符が無いのはわざと。

以上を踏まえた上で何でもこいな方、どうぞ。

素晴らしき原曲はこちら→http://piapro.jp/t/Q_69

閲覧数:559

投稿日:2013/04/06 21:26:19

文字数:3,679文字

カテゴリ:小説

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