ミクは、日が傾き始めた砂浜で頬をくすぐる風にちょっとだけ目を細めて、だけどまた海を見つめて微かに笑う。濡れそぼる髪が潮風に靡き、髪から零れ風に舞う雫がまるで光の粒子のようだった。
「あんま風に当たってると体調崩すぞ、ミク」
 後ろから聞こえてきた声に、ミクは振り返る。自分と同じでびしょ濡れになった卓は、歩きにくそうにしながら隣に並んだ。その立ち位置が、微かに風除けのようになっているのは、意図してなのだろうか。
「大丈夫ですよ、これでも健康管理には毎日気を使ってますから」
「ん、そんなことしてたっけか?」
 卓の疑問の声に、ミクは胸を張る。
「はい、毎食ちゃんとネギを食べてるじゃないですか!」
「それはどちらかというと個人の趣味趣向だと思うんだけど……」
「何か言いました?」
「いえ、何も」
 聞こえないように言ったつもりが、聞こえてしまったのだろうか。一瞬どす黒いオーラがミクから漏れてきたので卓はあらぬ方向を向いて気づかないふりをする。





 少し前のことである。卓達はビリーと一緒にガードレールを突き破り海上へと落ちた後、今いるこの砂浜までの1Km近くありそうな距離をひたすら泳いできた。どうやら、ちょうど下道への分岐地点から飛び落ちたらしい。運良く海のすぐ傍で落ちたおかげで民家や固い土の上に落ちて死亡、と言う最悪の結末を迎えずには済んだ。
 だからといって、海面まではかなりの距離があったし、衣類着用での遠泳はほぼ死亡フラグでしかなかった。浜辺に着いたときには息絶え絶えといった状態で、そのまましばらくピクリとも動くことが出来なかった。
 因みに先輩は、卓達が落ちる寸前距離をとり、自分だけ助かって先に浜辺でドリアンジュースなんて飲んでいたので双子がロープで縛り、砂で出来たスフィンクスの中に封印した。スフィンクスの顔の部分からちょうど先輩の顔が出ていて、とてもシュールなオブジェが出来ている。





「そういえば海に来たのはこれが初めてだよな」
 短い回想を終え、卓は視線をミクへ戻した。突然の質問にも、ミクは深く頷いて肯定の意思を示す。
「はい、泳いだのもこれが初ですよ」
 嬉しそうに、そして自慢げに頬を高揚させながら、ミクがピースをして笑う。その笑顔につられて、卓は自分の頬が自然と上がるのを感じた。
「そっか、じゃあ初めて尽くしの海はどうだった?」
「んー……」
 ミクは顎に指を当てて、しばし悩むようなそぶりを見せる。そして、ぱっと閃いたようにしてミクは言う。
「しょっぱかったです」
 どや顔で自信満々に言うその姿は、卓の喉と腹を震わせて笑いの声を生ませた。
「・・・っぷ!なんだそれ、はははっ」
 せっかく体験できた初めての海の感想がしょっぱかったでは、なんとも味気ない。でも、逆にそれがなんだか可笑しかった。
「ミクだってこれくらいの冗談は言えるんですよ」
 笑いを取れたことに満足したのか、ミクがしたり顔で覗き込んでくる。だから卓は、両手を上げて降参のジェスチャーをした。
「はいはい、御見逸れしました。で、ホントのところは?」
「情報として得ていた海のイメージとは、多少違っていました。塩分を含んだ水の溜まり場、多くの海洋生物の生きる生活環境。そんな風にしかミクは認識していませんでした」
 持っていた知識は、簡単な概念と科学的な情報によって統一化された学問的なものだけだ。だから、そこから得られる感情は、どうしても空っぽで無機質なものになってしまう。
 だけど。
「だけど、それは概念でしかないのですね。実際に、こうして海を見て、感じて、ミクは少しだけ怖いと感じ、そして思いました」
 理屈や概念とは違う、理に適わない感覚、感情。
「海とは、懐かしい場所なのだと。昔、命の箱舟といった方がいらっしゃいましたが、それを今、身をもって感じています」
 自分は人間ではない。純粋な生物でもない。
 それでも、海に浸かる事で確かに感じたのだ。
 生きていること。そして、人間ではない自分も、この海や世界の一部なのだと。
 打ち寄せては引く潮騒の音に耳を傾ける。どこか悲しく、だけど胸を落ち着かせるその音に、ミクは憧れさえ感じていた。
 これは、歌だ。自然が紡ぎだす、原初の歌だ。まだ言葉もなく、音楽なんてものがなかったころから、歌は存在していたのだ。
 ならば、人間ではない自分がこの海を懐かしいと感じることが出来たのも、きっとこの歌のおかげなのだろう。
 なぜなら、自分は歌と共にある、ボーカロイドなのだから。
「……こんなにも、世界は音に満ちているのですね」
「へぇ、なんだか哲学みたいだ」
「卓さんが思ってる以上に、ミクだって考えてるんですよ」
 自分の評価は不当だと、ミクがジト目で卓を睨む。
「悪い悪い。じゃあここまで来れてミクとしてはよかった・・・のかな?」
 ちょっと機嫌を伺うような、卓の言葉にミクは少しの間を置いて頷く。
「そうですね、いろいろとありましたけどとても楽しかったです」
 でも、と小さな声でミクが呟く。
「ミク個人の意思を無視して勝手にこんなことを始めたことについては、ちょっとあとでお話しましょうね?」
 ですよねー、とミクの影の濃い笑みに冷や汗交じりの半笑いで卓が答える。
「そういえば勝負の結果ってどうなったんでしょうね?」
「あぁ、言われてみれば……」
「安心しなよ、ほら」
 声の方に向かって振り向くと、そこから弧を描いて何かが飛んできた。
「おわっと!……レン?」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

小説『ハツネミク』part.3双子は轟音と共に(10)

ね、眠いです……。
年末に近づくにつれてアルバイトがどんどん忙しくなってきたせいか、中々書く時間が……などと言い訳をしてしまいました、ごめんなさい。

何より、以前に近々続きをupすると言って今日まで延びてしまったことを深く反省しています。
読んでいただける方がいる限り、今後はこうしたことがないよう心がけていきます。

長々と続いた今回の章もこれで幕引き……といってもまたもや文字数オーバーで二つに分割しています。

至らない点ばかりではありますが、読んで頂けたら幸いです!

閲覧数:72

投稿日:2009/12/06 03:53:51

文字数:2,278文字

カテゴリ:小説

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