数日後。
その時ミクは、歓談室のソファに寝そべり、お気に入りのネギせんべいをお供に、お気に入りの漫画を楽しんでいました。
「ミク姉、ミク姉!あのねあのねあのね!」
ひとの至福の時間に、遠慮のない奇襲攻撃といえば、余人ではあり得ません。
「リン、ちょ、落ち着きなさい。どうしたの?どうしたっていうの?」
「あのね、レンにね、レンに・・・うぅぅ~」
顔中をつぶらな瞳にして、涙をぼたぼた零すリンの顔が、さあもっとよく見て、と云わんばかり、ミクに向かって突きだされています。
存在一つで周りの空気を一変させてしまうところ、天性のカリスマの持ち主と言えますが、生活を共にする身にしてみれば、それは鬱陶しいことこの上なし。
しかしそこは姉として頼りにされたとて、多少のことは目をつぶって、張り切らざるを得ないところが、ミクの性格です。
女の子を泣かすなんて許せない、レン、これ一体どういうこと?
目を三角に作って、ミクは辺りにレンの姿を探しました。
「ヒドイんだよ、レンは」
そうするうちにも、リンは次から次へとまくし立てています。
「もう、あの高音でね、あのズル~イ高音でね、あたしの胸、ずっきゅーーーんときて、きゅうぅぅぅんとなって、それでね、涙が止まんなくなっちゃうんだよ?」
ね? ね? ヒドイでしょ? 論理より感覚重視のリンの説明は、正直、ミクには半分も分かりません。しかし心配していた成り行きとは違うことに安心して、とりあえず固めていたゲンコツをほどきました。
「待って、待ってよ、ワケが分からないわ。それ、曲のこと?」
「そう、たしかこういう曲」
大きく息を吸い込むと、リンはその曲のサビの部分をうたいました。
あ、あの曲、とばかり思い当たるのは、レンのソロ曲です。
ミクもコーラスに参加していたので、よく知っていました。
ミクの目から見てリンとレンは、努力は認められるものの、プロとしてはまだまだ懐が浅い、つまりスイートスポットが狭すぎて、こなせる曲が限られる。曲を選んでしまう歌手でした。
しかし、うまくツボにハマった時の凄さは、ミクが先行者としての緊張感を味わうには十分すぎるほどでした。
そして、リンより一層気むずかし屋のレンを、ソロで使いこなす曲は滅多にないのですが、今度の曲は、久々の当たりと言うべきものでした。
あの澄み切った声が、最初は詞の切なさをあまり感じさせずに、ガードをすり抜けてしっかりと心の中に入り込み、リフレインを繰り返すたびに、どうしようもなく心を揺さぶられて、涙が出てしまう。
数々の名曲をこなしたミクでさえ、収録中に思わずホロリとさせられたほどです。
まして人一倍に感受性の強いリンが泣かされたのは、無理もないというものです。
あのねリン、ここ、防音室じゃないから。ミクに構わず、リンは先ほどから同じパートを繰り返し繰り返しうたっています。
リンが気に入らないというのは、レンの渾身の一撃に日頃の自信を覆された、ということのようです。
リンの声は、あふれる生命力が一番の魅力なのですが、この曲にとってはそれが災いし、はかなさ、切なさをうまく表現できていない様子です。
切なさを籠めようとするたび、変なコブシが利いて、フラれ女の恨み節のようになってしまいます。
「はあ、ダメだ。やっぱりあの声はズルイよね~」
ひとしきり騒いだ後、リンはその場にペタンと座り込んでしまいました。
「なんだかあたし、レンにむりやりキスされたみたいな気持ち。あああ、どうしてくれるのこのモヤモヤ。こんな気持ちにさせてぇ、もおお、レンのむっつりスケベ!」
活発なあまり少々ガサツなところがあり、顔つきもやや中性的で、大きなリボンがなければ少年と見間違うような彼女ですが、目元をうっすら紅潮させながら、切なげに溜息をつく様子などは、軽くドキッとさせられるものです。
どこでこういうの覚えてくるのかしらこの子、と思いつつ、むりやりのキスとは云い得て妙ね、などと、独特の感性に感心するミクです。
「レンって、どうしてあんなに、切なく歌えるんだろう・・・」
「きっとレンは、そういう切ない気持ちを、いっぱい持ってるのかもね」
ミクがそう呟くと、リンが猫のように反応しました。
なにそれ、あたしもそれ欲しい。
「そうね、切ない気持ちになるような経験を積むのが一番なんだけど・・・」
「どうすればいいの? 教えて、ミク姉」
「う~ん、そうね、レンにもっと切ない曲を聴かせてもらったら?」
「それはダメ!」
思ったより強い否定の言葉が返ってきました。
「それじゃ、レンのモノマネになっちゃう。声にあたしの気持ちをこめないと意味ないの。あたしの声じゃなくなっちゃう」
幼い振る舞いばかり目立つ彼女も、歌のこととなれば、そこはプロです。
「あたしは、あたしの声で、レンを泣かせてみたいの」
強い意志とひたむきな情熱は、決意の眼差しに表れて、ミクは、そこにリンのプロとしての誇りを見ました。
これで何も助けてやれないならば、何が姉で、何が先輩だろう。
「よおし、妹よ、よくぞ言った!」
待ってて、私もね、その辺ちょっと勉強したのよ。ミクは二階の個室に駆け込んで本棚を漁り、奥の方にしまった漫画を十冊ばかり取りだしました。
「私の取っておきを貸してあげるわ。どれも最高に泣ける作品ばかりだから、これをしっかり読み込むの。人が切なくなる時の気持ちを、よーく勉強して、自分なりに歌声にするといいわ」
「わー、ミク姉、ありがとう!あたし、がんばる!」
よっしゃあ、泣くぞおおおお! 自分にビンタをくれて、目いっぱい気合いを入れるリンを見て、あ、ちょっと励まし方を間違えたかも、とミクはリンの努力の行く末が少し心配になりました。
翌日。
新曲の追い込みのため、夜までかかった仕事を終えて、レンがようやく寮に戻るとそれを待ち構えていたように、リンの姿がありました。
目に涙をいっぱいに溜めて。
「リン、どうした、誰が泣かした!?」
まぁたミク姉かっっ!、レンが辺りを睥睨しても、リンが誰かと喧嘩したような、それらしい雰囲気ではありません。
「レ~ン~~!!」
わわっ、と身構える暇もなくリンが抱きついてきました。
「な、なんだよ、急に」
「レン、おねがい、一緒にこれ読んで」
例の、ミク秘蔵の最高に泣ける漫画です。
チラとタイトルに目を走らせると、レンはすぐに目をそらしました。
リンに頼られて嬉しくないはずがないのに、その日は少し様子が違いました。
「・・・ひとりで読めよ」
「だって、こんな悲しいお話、ひとりで読んでたら悲しくて死んじゃう!」
「いや、それ意味わかんないし」
「おねがい、読んでるあいだ、一緒にいて!」
「ミク姉やルカに頼めよ」
「ふたりとも、レンに頼めって」
女どもは薄情だ。
とはいえ、また涙腺が決壊しそうなリンを前に、とうとうレンが白状しました。
「・・・オレ、もうそれ読んだから」
わ、悪いかよ!男が少女漫画、読んじゃ悪いかよ!
顔を真っ赤にして怒りだすレンを、リンは涙をぬぐいながら、少しは姉らしく優しくなだめました。
「レン、悪くないよ。いいお話だもん。男の子が読んだっておかしくないよ」
「そ、そうか。うん、そうだよな」
「だ、か、ら、一緒に読もう!」
「・・・・・!!」
いよいよ追いつめられたレンは、逃走に移りました。
やばい、あの漫画はやばい。本気で泣ける。
漫画でボロ泣きするところなんか、リンに見られてたまるか!
「あ~~~!! レン、何で逃げるの!? 待ちなさーい!!」
やばい、内容思い出してきた。あ、あ、涙が・・・・・
寮として使っている、さして広くもないシェアハウスで、リンとレンの追いかけっこが始まりました。
「まてぇーーーーぃ!」
「待ってたまるか!」
ふたりが階段を駆け上がり、皆の個室が並ぶ二階の廊下を走り抜けると、楚々と歩いていたルカが慌てて道を空けます。
リンってば、最初の目的を忘れてるわね。その隣ではミクが、個室からあきれ顔をのぞかせています。
「ええい、しつこい!」
レンが吹き抜けの柵を乗り越えて下に飛び降りると、リンも追って飛び降ります。一階の歓談室にドスン、ドスンと相次いで着地すると、壁なしの一間になっている、隣の食堂の方からは、あんたたち、静かにしなさい! メイコの怒声が飛んできます。
構わずふたりが、歓談室のソファやテーブルの間をグルグルと走り回っても、そんな騒ぎを気にするでもなく、そこではカイトが、のんびりとお茶を飲んでいます。
「つかまえたっ!さあ、観念しなさい!!」
「ぎゃあああああ!!」
夜のしじまもにぎやかに、晴れた空には、今夜も月が昇ります。
(おしまい)
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それ...イカサマ⇔カジノ【自己解釈】
ゆるりー
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ご意見・ご感想
ピーナッツ
ご意見・ご感想
こんばんは、ピーナッツです。
拝読いたしました。投稿されてすぐ読んでたのですが、今ごろ感想を書きます。
相変わらずリン・レン愛にあふれていますね~。
心温まる良い作品でした。
筆致も安定していますね。文章が洗練されています。
元曲聞かせていただきました。
大切にしたい曲が一曲増えました。ありがとうございます。
「なんだかあたし、レンにむりやりキスされたみたいな気持ち。あああ、どうしてくれるのこのモヤモヤ。こんな気持ちにさせてぇ、もおお、レンのむっつりスケベ!」
↑
この台詞最高ですw 「むりやりキス」って比喩が当てはまりすぎww 「むっつり」ってw
良い作品を読ませていただきました。ありがとうございます。
2012/03/04 22:14:37
桃色ぞう
ピーナッツさま
ありがたいコメントお寄せいただき、ありがとうございます。
喜びのあまりオリオンビール買ってきましたw
実はわたくし、映画『ベイブ(1995 アメリカ)』の童話調のナレーションが好きで、今回語り口でちょいとそれを真似てみました。もうすこしこの路線を極めてみようかと思います。
>「むっつり」
我が家のリンは、一見ムチャクチャだけれども真実と照らして「だいたいあってる」ようなセリフをいうことになっていまして、件のセリフは、それ用にあれこれ考えてみたものです。
「普段は野暮のくせに歌う時ばかり女を泣かしてズルイ、ヒドイ、クヤシイ」を凝縮すると「むっつりスケベ」なのかなぁ、などと。あってるのかどうか、さっぱりわからないw
こんな感じで、他人様があまり書かないテーマを選んでポチポチと続けたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
2012/03/05 23:53:12