どうして本当のことが言えただろう。




奇麗な夢



いつの間に眠っていたのだろうか。
あまり広くない研究室の真ん中、薬缶のシューシュー鳴る音で目が覚めた。
旧時代的なストーブが赤い炎を抱いている部屋は暖かい。でも、何だか置いてけぼりにされているようだ。
窓の外は雪でただ、ずっと白い。
生まれてからというもの、この街を出たことのない私には馴染んだ光景だ。

「MEIKO、ちょっと来て」

ふっと、マスターの呼ぶ声がする。一瞬誰の呼び声だか解らなかった。
私は返事をする。はい、マスター。
立ち上がり奥の書庫へ行くと、本に埋もれたマスターがいた。
目を丸くする私に、本の間からマスターが助けを求める。
喜劇じゃあるまいし。そう思いながらも私はマスターを引っ張り出した。

「ごめんなぁ。上の本、取ろうとしたら全部落ちて来ちゃって」

助け出されたマスターは埃を払い、そんな風に言い訳をする。
全く、マスターはいつもそうだ。
無理をするからそんなことになる。梯子を使って、数冊ずつ下ろせば良かったのに。
私がわざとらしく溜め息を吐くと、焦ったのかマスターが取り繕った。

「仕方なかったんだよ、梯子、壊れちゃったから」

言われて書庫の隅の梯子を見る。
確かに、もう随分壊れたまま。――あれ、私はどうして梯子を使えば良いだなんて思ったんだろう。
私が最初にこの部屋に入った時には、既に壊れていたはずだ。
首を傾げて考える私。マスターは苦笑して、言った。

「梯子、直さないとね」



気がつくと私は雪の降る広場にいた。
はらはら、はらはら。白い欠片が舞い降りては土の茶色を隠していく。
掌を出して、落ちる雪を握った。けれど、次に開いた時にも雪は残っている。
それが何より私がヒトでないことの証だった。

――MEIKO、君は覚えているんだろう?

不意に、マスターの声が聞こえる。
はっとその声が聞こえた方へ振り向く。だけども、マスターは何処にもいない。白の世界が拡がっているだけだ。

――本当は、全部君の中に残っているんだろう?

また声が響く。
次にその声がした方へ向くと、足元に灰色の石があった。
しゃがみこんでその石を見る。雪で埋もれかけていたその様子は、本に埋まっていたマスターによく似ていた。
手で、雪を払う。

――なあ、答えてくれよ"メイコ"!

手で。
雪を払ったのに、よく石に刻まれた文字が見えなかった。
そのうち、ぽとりと雫が落ちて石を濡らす。二滴、三滴。ぽろぽろと落ちるうちに、それが自分の涙だとようやく理解した。

「マスター……」

呼びかけても二度と返事はない。
そうだ。忘れていた。彼は、この石の、墓石の下にいる。もう二度と逢えない。
私を"メイコ"と呼んだ、あの悲痛な表情が蘇る。
マスターの言ったとおりだ。私は、本当は全部知っている。覚えている。忘れるはずないじゃない。

私は、"メイコ"だった。
マスターは、"メイコ"が大好きだった。
雪の夜に語り合った記憶も。
雪の融けた日に笑い合った記憶も。
本当は全部持っている。だけど、思い出したくなかった。
だって"メイコ"はとうに死んだのだ。
マスターは未来を生きなければいけない。私というロボットに依存するようじゃ駄目だった。
だから思い出さなかった。忘れて、忘れたフリをした。
私はMEIKO。ただの、機械。

どうして本当のことが言えただろうか。
あなたが死んだ日に後悔した。言えば良かったのかも知れない、と。
でも、マスターは最期に口を開こうとした私を制した。

『……良いんだよ、MEIKO』

首を横に振って、笑顔で私の手を握った。
温かい指だった。"メイコ"と私の、大好きな笑顔だった。

「マスター」

呼びかけても二度と返事はない。
彼が"メイコ"を呼ぼうと返事がなかったように、私が彼を呼んでも答えなんて貰えない。
雪がまた、墓石を埋めていく。
白い雪がどんどん世界を隠していく。

深々と降り続く雪が融けないことは有り得ない。
いつか、全て終わる。
私もきっと壊れる日が来る。
夢の終焉。形あるものはみな、終わっていく。
マスターは死なない私を求めたけれど、そんなのは最初から無理だったんだ。

辺りの土は、気づけばほとんど埋まっていた。
これ以上酷くなる前に。そう思って、私はその墓石に背を向ける。

――大好きでした、なんて言葉は決して言えなかった。



「――ん、お姉ちゃん!」

がたがた揺さぶられて何事かと思う。
吃驚して顔を上げれば、緑色の髪が目に入った。……ミク、だ。

「こんなとこで寝たら風邪引いちゃうよ!」
「……えっと、私達は風邪は引かないと思うけど」
「良いから!」

頬を膨らませる妹に苦笑いしながら、周囲を確認する。
今は動いていないし、薬缶も乗っていない。だけど、見慣れたストーブは其処にあった。
前より少し傷んだ窓枠から見る外は曇り空で、冬の始まりを予感させる。
ああ、もうすぐ雪の季節が来る。

「確かに、寒くなったわね」
「そうだよ。なのにカイト兄はうきうきしながらアイス買い出しに行ったの!」
「リンとレンは?」
「みかん買ってくるって、ついて行った。で、残った私が仕方なく掃除係……」
「はいはい。私も、手伝うから」
「本当に!? 良かったぁ」

妹がにこにこ笑って、早速ホウキとチリトリを私に手渡す。
この研究所の掃除を独りでやるのは大変だ。それは、十二分に知っている。
くすくす笑いながら、元気に跳ねつつ部屋を出て行く妹の背を追いかけた。

「……あら?」

――ふと、今まで何か夢を見ていた気がして立ち止まる。
書庫の入り口。何だったろう、酷く懐かしい夢だった。夢なんて、機械の私には見れないと思っていたのに。

「お姉ちゃん!!」
「あ、うん。待って今行く」
「ねえ、この梯子捨てて良いの?」
「ああ……それね。そっか。じゃあ、直しましょう」
「うん!」



マスター。
今はいないマスター。
ずっと忘れていたの。でも、梯子、直すわね。
それから。今なら言えるかしら。
"私"を愛してくれて、『ありがとう』――。



2008.11.13_

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

奇麗な夢

パレットPの『きれいなゆめ』をずっと繰り返し聞いていたら自然とこんな話が浮かんでいました。
完全に捏造ですみません。

閲覧数:685

投稿日:2008/11/13 01:14:08

文字数:2,560文字

カテゴリ:小説

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