10 8年前:10月21日
「あ……愛、ちゃん?」
「あれ、海斗さんじゃん。あたしの未来ならここ何日か休んでますよー」
学校が終わって帰ろうとしていた矢先、あたしは海斗さんに校門で呼び止められた。
「メールも返信来ないんで、ちょっと心配してたんですけど」
「そう……か……」
「……?」
なんだかやけにつらそうな表情の海斗さんに、あたしは首をかしげる。
「なにか……あったんですか?」
「いや、それは――」
これは……なにもなかったわけがない。
その態度に違和感を覚えたあたしは、説明を渋る海斗さんの腕をつかんで詰め寄る。
「海斗さん。話して。……全部」
「だけど、未来に――」
「その雰囲気からしたら……未来が学校に来てないのも、海斗さんが関わってるんでしょう?」
「……」
海斗さんは黙り込む。
つまり、確証はないけれど、その可能性は充分あり得るって思ってるってことだ。
「未来に、なにをしたんですか」
「俺は――」
「言い訳を聞きたいわけじゃないんです。知りたいのは、あたしは未来のためになにができるのかってことです」
まっすぐに、海斗さんを見つめ――にらみつける。
「――わかった。話す。話すけれど……」
「わかってますよ。他言しません。当たり前じゃないですか」
その言葉にようやく決心がついたらしく、海斗さんは重い口を開いた。
「数日前、未来が家出してきたんだ――」
「……」
校門前から場所は変わって、近くの喫茶店内。
海斗さんの長い話を聞き終わったあたしは、がく然としていた。
拳を握りしめて……わなわなと震わせるのを止められなかった。
それだけ、海斗さんの話はあたしには受け入れがたい話だったからだ。
「海斗さん、あなたは……」
「……わかってる。酷いことを言ってるっていうのは。けど……もう、俺にもどうしようもないんだ」
だからって……、自分は大分に行ってしまうからって、未来にも会わずに別れの言葉を伝えておいて欲しい?
ふざけてるの?
「……今晩の飛行機で、俺は大分に行かなきゃならない。今日会えなかったら、もうどうにもできないんだ」
「そんなの――」
「俺は、未来とのことと家業の従業員の生活とを秤にかけなきゃいけなかった」
「……ッ!」
反論しようとしたけれど、海斗さんの言葉を前に感情論は持ち出せなかった。けれど、けれど……それでも、納得はできない。
「……実家を継がなきゃいけないってわかってるなら、それで未来と一緒にいられなくなるなんて思ってたなら、なんで未来と付き合うことにしたんですか! 未来がどれだけ海斗さんのことを頼ってたかくらいわかってるでしょう? なら……なら、未来がどれだけ傷つくことになるのかも簡単に想像がつくじゃないですか! そんな気持ちで未来と付き合ってたんなら、あたしは海斗さんを一生許しません!」
あたしはそう一息で言い切って、喫茶店のテーブルに拳を叩きつける。ミルクティーのカップが音をたてて揺れ、少しだけこぼれた。
店内の人たちは、何事かとぎょっとした様子であたしたちのテーブルを見てきていた。けれど、あたしはそんな周囲の様子になど気を払わずに海斗さんをにらみつける。当の海斗さんは、呆然と見返してきていた。
「……なんですか」
「あ、いや――」
「反論があるなら聞きますけど?」
挑発するようにそう言うと、海斗さんは少し考えて、言葉を選びながら返答してきた。
「俺は――甘いんだな……って」
「……?」
あたしは視線だけで先をうながす。
「愛ちゃんの……言う通りなんだなって。俺よりも、愛ちゃんの方がよっぽど未来のことを……未来のためにどうすべきかってことを、考えてるんだなって」
それだけ言って、海斗さんは顔を伏せた。
「それで……じゃあ、どうするんですか?」
「え?」
意表を突かれたのか、海斗さんは顔を上げる。
「だから、未来のために……海斗さんはなにをどうするんですか?」
「それは……ちょっと待って。そんなすぐには――」
「待てません。海斗さんが悩むだけ、未来の苦しみは長引くんです。それに、海斗さんが言ったとおり、海斗さんには今日しか時間がないんじゃないですか。悩んだあげくに時間切れで未来を見捨てるつもりですか? そんなこと……受け入れられるわけないでしょ」
海斗さんのいいわけをさえぎって、あたしは言い放つ。
「……」
黙り込む海斗さんにイライラがつのるあたしは、立ち上がると海斗さんの腕をひっつかんで店を出る。
「ちょっ……ちょっと、愛ちゃん。どこに行くんだ?」
「決まってるでしょ。未来の家ですよ」
振り返りもせず、あたしはそう告げる。
「ま、まずいよそれは」
「なんでですか?」
「俺は、未来の両親に目の敵にされてる。余計に未来を苦しめるかも――」
「……」
あたしは立ち止まって振り返ると、海斗さんを見上げる。
必死そうな顔をしているけれど、未来自身のためになることをなに一つしていない海斗さんに、従業員と秤にかけた結果未来を捨てようとしている海斗さんに、あたしは怒りしか感じなかった。
バシィッ。
容赦なく、思いっきり平手打ちした。
ものすごくいい音がしたけれど、そんなんじゃ全然足りない。殴り倒してやりたいくらいだったけど、それはなんとか我慢する。
「あんたは……あんたはいつまで未来を苦しめる気なのよ! あたしだったらそんなにグダグタしてないわ。でも……でも、未来が頼ったのは貴方なのよ! それがどういうことか、本当にわからないの?」
敬語なんて使ってられなかった。こんなヤツに使いたくもなくなってしまった。
うんざりだ。
うんざりだけど……それでもこいつは――海斗さんは、未来にとっては王子様なのだ。
継母や義姉から救いだしてくれる、ガラスの靴を携えた王子様であり、狭いヴェローナから連れ出してくれるロミオなのだ。
……あたしではなく、海斗さんが。
視界がにじんで、あたしは袖で涙をぬぐう。
「来なさい」
有無を言わせず、あたしはまた海斗さんの腕をつかんで駅へと歩き出した。
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