ある日、私は盗んだ音楽時計をくわえて走り出しました。
病室に忍び込み、寝ている二人の前で蓋を開けました。
静かな病室が音であふれます。
とても楽しくなります。
彼らがすてきな夢を見られるように、私はいつもこっそり音楽をかけました。

私はたまらなく二人のことが好きでした。
特にリンという少女のことが大好きでした。

かなわないと解っていても、私は想い続けました。

それはあの雨の日も同じです。
あの雨の日。
冷たい地面に打ち付けられて、たくさんの血を流しても、
最期の最後の瞬間まで、私は貴女を想っていました。
激痛の中で私を救ってくれたのは――記憶の中の貴女でした。

だから私は最後まで諦めないでいられた。

全部、貴女のおかげです。
言い切れない感謝の思いで胸がいっぱいです。
これ以上、幸せなことはないでしょう。

私は幸せ者ですね。
きっと世界で一番、幸せ者ですよ。

さて、もう終わりが来ます。…いえ、始まりと言ったほうが適切ですね。
始まりのために、挨拶に行きましょう。


「にゃあ」


遙か遠くで三人の影が揺れた。それが誰なのか、すぐに解った。
私たちは一斉に走り出した。
澄み渡る世界を滑るように走り、彼らに近づいた。

「灰猫さん!」

「成功したようですね。よかった」

もっと近づこうとしたときコツンと足がなにかにあたった。
地面には真っ赤な線が一本、引いてあった。
それは地平線のどこまでも伸びている。
そこから見えない壁があるようだ。

目をきょろきょろさせる雪子を見て、灰猫は笑った。

「夢は夢へ帰す時が来たようですね。これはその境界線です」

「どうして、こっち側に来ないんですか? 灰猫さんは夢じゃないでしょ?」

「……それは昔の話ですよ。私はきっと今頃…、いえなんでもありません」

優しい笑顔だった。
雪子はそれ以上、なにも問うことができなかった。

「王様…?」

リンが見えない壁に近づく。

「お久しぶりです」

リンはそっと透明な壁に触れた。灰猫も重ねるように、その手に触れた。
壁一枚が二人の手を隔てていた。

灰猫は語る。

「この悲劇を作ったのは…実を言うと私が原因なのです。
 結果として貴方達を巻き込む形になってしまった…。
 本当にすみませんでした」

「謝るのはこっちのほうだよ。すてきな夢を思い描けたはずなのに、
 私は悲しみに負けて、…こんなに悲しい世界を作っちゃった。
 みんなを巻き込んで…たくさんの人を傷つけて…、本当にごめんなさい」

「リン…」

「雪子さん、帯人さん、コーディオさん、ピエロさん、それに王様!
 こんな私を助けてくれて、本当にありがとうございました!」

コーディオは照れながら笑う。

「それが貴女の望みなら、私は従うだけだ」

ピエロは帯人と雪子を横目で見ながら言う。

「ありがとう、はこっちのほうだよ。友達の様子も見ることができたし、
 すてきな彼氏にも会えたし、すっごく楽しかった。
 短い間でも…一緒に過ごせて、本当によかった。ありがと!」

灰猫も笑っていたが、瞳は悲しみを帯びていた。

笑いあい、別れを惜しんだ。
こんなに楽しい夢ならば、いつまでも見ているのも悪くない。
そんな気になれるくらい楽しかった。

「わぁ! きれい!」

そのとき、一つの光が地面から空へ飛んでいった。

ふわりふわりと浮き上がり、晴天へ溶けていく。
それは一つだけではなかった。
次々と地面から現れて、空に吸い込まれていった。

 (ありがとう)

ふと声がした。

     (すごくかっこよかったよ)


  (おまえら、すげぇよ!)

             (おめでとう)

      (無事でよかった)

「みんな!」

解放されたんだ。よかった。
それは夢に閉じこめられていた人々だった。
声が絶えず、響く。
世界が「ありがとう」で満ちあふれた。

    (ありがと!)

                (本当にありがとう)

        (ありがとうございました)


    「ありがとう―」


「え?」

雪子は振り返る。灰猫は笑っていた。とても悲しげな笑みだった。
灰猫やコーディオたちの身体が光に包まれる。
もう目覚めの時が来たのだ。

リンは見えない壁に張り付き、声を張り上げた。
瞳から涙があふれる。

「また、歌を、聴かせてあげるから! だから――!!」

灰猫も壁に張り付き、彼女と目を合わせた。

「たとえ世界が君の敵になろうと」

この物語のために、君のために、最後の一文を贈ろうか。



 ぼくはただのねこだ。
 きみを抱きしめる手もなければ、愛の言葉をささやく声もない。



「僕は君を守るから」



 それでもぼくはきみを想い続ける。
 報われないとわかっていても。



「君はいつも笑っていて」


 きみの優しさを、笑顔を、ぼくは忘れない。


そのとき、見えない壁がはじけ飛んだ。

「王様!」

リンは灰猫をギュッと抱きしめた。



 ああ、神様――やっぱりぼくは幸せものだ。



灰猫の瞳から一粒の涙が、こぼれ落ちた。


「もしも生まれ変われるなら  また いっしょに あそんで  ね 」




    すてきな恋を ありがとう。




     「  さよなら  」




灰猫の身体が光の花びらになって、空高く舞い上がった。
リンは彼と重ねた手をギュッと抱きしめ、その場に泣き崩れた。
コーディオとキクも笑顔を見せながら、空の彼方へ消えてしまった。

リンは空に向かって叫んだ。

「私、強くなってみせるから!
 笑えるように、もっともっと、強くなるから!」

 だから、
 あなたはそこで見守ってください。

「ありがとうございました!」

リンの声は世界に響き渡った。
その手には傷だらけになった金色のバッチが誇らしげに輝いていた。


やがて私たちも光に包まれ、視界は真っ白になった。
夢はこれで終わったのかもしれない。
けど、私たちの思い出は消えない。
あなたがそこに生き続けている以上、あなたは決して死なないよ。


私とずっと一緒に、生きていこう。


 過去は変えられないけど、
 私たちには未来があるのだから。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

優しい傷跡-魔法の音楽時計- 第26話「すてきな夢をありがとう、さようなら」

【登場人物】
増田 雪子
 帯人のマスター

帯人
 雪子のボーカロイド

鏡音リン
 この夢の世界を創り出した子
 灰色の猫を「王様」と言ってかわいがっていた
 事故により意識不明になっていた

鏡音レン
 魔法の音楽時計の世界に巻き込まれてしまった子
 意識不明になり、この世界を彷徨っていた

灰猫
 リンを一途に愛し続けた猫
 すでに亡くなっていた
 音楽時計の世界に辛うじて意識だけをとどめていた
 世界で一番、幸せ者

コーディオ
 彼女の望みをかなえようと必死になった青年
 死神めいた存在だったが、彼女のために協力した

呪音キク
 雪子の記憶から夢の住人として出てきた
 クレイヂィ・クラウンの真っ赤なピエロとして現れたが、
 最後になって正体を明かした
 自分を「友だち」だと言ってくれる雪子のことが好き

閉じこめられていた人たち
 魔法の音楽時計が創り出した夢の世界へ閉じこめられていた
 夢が覚めたため、彼らもこの世界から抜け出せる

夢の住人
 夢が覚めてしまったため、この世界から消えてしまう
 しかし死ぬわけじゃない
 ただ夢の主の元へ帰るだけ

【コメント】
今まで読んでくださり、ありがとうございました。
これにて夢の物語は終わります。

まだ少しだけ「後日談」のような感じで続きますが、
つきあってくれると嬉しいです^^

閲覧数:989

投稿日:2009/04/02 15:14:13

文字数:2,610文字

カテゴリ:小説

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  • まにょ

    まにょ

    ご意見・ご感想

    書き上げお疲れ様でした。。灰猫さんの紹介のところに
    「世界で一番、幸せ者」と書いてあったので、ちょっとうるっときました。。
    後日談、読んできますね。 ありがとうございました。そして、本当にお疲れ様でした。。

    2009/04/02 21:00:24

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