それから3カ月後。

つい先日、ウチに単独公演のオファーがあった。
その時氷山のコンサートに偶然訪れていたとある市長がいて、ウチの演奏がその市長の目にとまったらしい。
氷山のコンサートなのだから、本来注目すべきは氷山なのだけれど、何故だか市長はウチの演奏ばかりを見ていたようだ。聞けば趣味がギターを弾く事なのだそうで、仲間意識が働いてウチを見ている内に、演奏に見とれてしまったということらしい。お役所仕事をしている市長の趣味がギターとは、少し意外だった。

今はその市長と、市役所の応接室で話している最中だった。

「君のギターはとてもいい音を創りだす。まさに、君の奏でた音は私の琴線に触れたよ。私は是非とも君の音を市民に聞かせたいと思ってね」

五十代くらいの男性が高そうなスーツを着て、機嫌よさそうに目の前に座っている。この人が東京都N市を取りまとめる市長だ。

「市長さんのオファーを断る理由はないんですけど、N市のホールでやるんですよね?音楽家と言っても、ウチ――私はまだまだはしくれですし、そんな私なんかがN市の市民ホールに立っていいんですか?」

N市というのは東京の端に位置している小さな市だが、音楽の都とも呼ばれている。
それこそオーストリアのウィーンには劣るが、それでも音楽だけで発展を遂げてきた街だ。
さすが都という呼ばれるだけの事もあってか、N市市民ホールで行われる公演はお笑いや演劇よりも、音楽関連のものが圧倒的に多い。吹奏楽団による演奏や、歌手やバンドによるコンサート。
いずれも出演する人や団体は有名な場合が多い。というかそれくらいの知名度が無いと舞台に上がらせてもらえないという話も何度か聞いた事がある。
音楽家たちにとってみれば、そこの舞台に立つことが出来るだけで大変名誉なことらしいのだ。
そんな大層な舞台に、N市市長は今回特別に立たせてくれるのだという。
だけれどウチはまだまだ音楽家の卵。ようやく最近分かってきた事だってあるし、まだ分からないことだって沢山ある。
本来であれば、そこはウチなんかが立っていい場所じゃない。音楽に携わる者にとっては、そこはただの舞台ではなく、神聖な場所だ。
全国の音楽家がその市民ホールで演奏する事に憧れる。言わば「第二の武道館」とも呼ばれているくらいだ。

「構わないよ。私は音楽家を見る目だけはあってね。君はまだまだひよっこだが、その演奏はいずれ日本中、いや世界中を魅了するだろう」
「いやいやいや、お世辞が過ぎますって」
「お世辞なんかじゃない」

それまで機嫌よく笑っていた市長は、急に真面目な表情になる。

「いずれわかるさ。君はとても大きな存在になるよ。大きすぎて収拾がつかないくらいにね」
「…?」

大きすぎて収拾がつかない?それは良い意味で言っているのか、それとも悪い意味なのか?
その時はまだ、市長のその言葉の意味が分からなかった。
ただ、何かしら深くて大きな意味を持っている事は分かった。
意味も分からないが、何故だか不安になって、話題を変えた。

「そ、それに。私が舞台に立つとして、何を演奏すればいいんですか?」
「あぁそれについては、君のオリジナル曲を聞かせてもらいたいと思ってる」
「お、オリジナルゥ!?」

ウチがあまりにも驚いたのか、市長は目を丸くした後、また元の機嫌よさそうな顔に戻って笑った。

「そうだよ、四分くらいの曲をいくつか作ってもらいたい」
「いやいや、私作曲なんてした事ありませんよ?いきなり言われても」
「おや、ないのかい?でも、編曲は出来るんじゃないか?」

確かに、アーティストに頼まれて、曲のちょっとしたギターアレンジくらいならした事はあるが。
でも作曲とアレンジは違う気がする。

「簡単なアレンジくらいであれば出来ると思いますけど」
「そうか、ではこうしよう。既存の曲を、君なりにアレンジして演奏するというのはどうだい」
「まぁ……それくらいでしたら」
「ありがとう。曲は私の方で決めさせてもらっていいかな?」
「はぁ」

そう言うと、市長は意気揚々と語りだした。その瞳にはキラキラとした輝きがあった。
うなって考え始める市長。「アレと、アレだな……」と頭の中で決めているらしい。
やがて整理がついたようで、市長は満足げに微笑んだ。

「よし、エルガーの『威風堂々』、ベートーベンの『運命』、久石譲の『summer』、そして坂本龍一の『戦場のメリークリスマス』」

ウチは急いでメモを取る。曲の名前がよく分からなかったので、適当に平仮名で書いてみる。
威風堂々という文字も平仮名になってしまえばその覇気を失っているかのように見えた。
おまけに走り書きなので、字もかなり下手だ。

「さて、あと一曲ほど取り入れたいものだが……どうもそこが決まらなくてね」
「四曲で充分じゃないですか?」
「いや、もう一つ取り入れたいんだ……さて、何にしたものかな」

手で顎を触りながら、考えこむ市長。ウチは、ふとある考えを思いついた。

「あの、あと一つは私が決めてもいいですか?」
「ん?何か案があるのかい?言っておくけど、デスメタル系は勘弁だよ」
「大丈夫です。あるシンガーソングライターの曲なんですけど、その人の曲がどうしても演奏したくって」

巡音ルカだ。彼女の歌は一度も聞いた事が無かったが、聞けば多分、演奏してみたいと思うかもしれない。いや、きっと思うはず。だって幼馴染みの彼女が作った曲なのだから。
ウチは、持ってきたカバンから、一つの青いファイルを取りだす。
それは高校時代、軽音楽部に所属していたウチが撮った写真の数々をまとめたもの、いわゆるアルバムだった。
部活で撮った写真が圧倒的に多く、その時のメンバーの写真がそこに映っている。もちろん、ウチやルカも。

「巡音ルカ、って聞いたことありません?」
「めぐりねるか……?」

市長にとってはあまりなじみのないアーティストなのか、しばし考え込む。

「いや、すまないが分からない。声を聞けば分かるかもしれんが」
「この人です、この人。面影は今とちょっと違うかもしれませんけど」

すかさず市長にアルバムの一部を見せた。そこに映るルカを指差す。
哀愁を帯びたような、それでいて美しい頬笑み。腰まで揺れるさらっとした長いストレートの髪。この時すでに168センチはあったのではないかと思われる、女性にしては長身、そして細い体。
その両脇には、ウチと猫村と後輩のハクがルカに寄りそうようにして映っていた。

「ほぅ。うぅむ、この子は確かどこかで……」
「見たことあるんですか?」
「どうだろう、あるような気もするし、ない気もする。めぐりねるか、めぐりねるか……あぁ、あの子か!」

ピンと閃いたようで、市長は声をあげた。

「確かに歌は聞いた事があるぞ。いつだったか彼女のコンサートに参加したはずだ」
「本当ですか?」
「本当だ、しかし……」

そう言うと、彼の表情が途端に曇りだす。

「彼女の曲は、私の琴線には触れなかった。彼女の曲はよした方がいい」

今までよりももっと真面目な顔で、市長は言った。

「え……?」
「歌詞も曲もまずまずだと思うんだが。あと一歩、何かが欠けているんだ。うぅむ、あれは惜しい。あと一歩で何かつかめる気がするのに」

それが巡音ルカに対する市長の評価だった。辛辣とまではいかないが、少なくとも褒めてはいない。自分に向けられたものではないのに、心がぐっと沈み込む。
思わず、ウチはフォローを入れた。

「でも、若者にはウケてるみたいですよ。ルカももうすぐメジャーデビューするんだとか」
「そうなのか?しかし私には、どうも彼女の演奏は心に響かなくて」
「それは人の価値観次第かと。10代にはウケても、20代には理解できないことだってありますし、その逆だってあります」
「そうか……ま、そうかもしれんな。私にも曲の好みはあるし、他の者からすればまた違った意見も出るかもしれんな。……ところで、君は彼女の友達か?」

市長は、写真を見ながらつぶやいた。

「はい。もう何年も会ってませんけど。小学校からの幼馴染みで」
「ほぅ、幼馴染みとは。……うむ、確かに友達の曲を演奏したいというのはよく分かるよ。君はどうしてもやりたいんだね?」
「出来れば、いや、絶対やりたいです」
「わかった。そこまで言うのであれば、五曲目は彼女の曲に決定しよう。曲のタイトルは?」

タイトル?
……しまった、ルカの曲、聞いたことないんだった。
歌詞やメロディーは愚か、タイトルすら聞いた事もない。
しかし彼女の曲をやりたいと押し切った手前、「彼女の曲、実は聞いたことないんです」なんて言えなかった。
しばらくもじもじしていると、市長が言った。

「どうした?」
「いや、ちょっとタイトルが思い出せなくて……なんだっけ、タイトルに『光』とか入ってた気がするんですけど、アハハ……」

適当な事を言ってみる。

「『淡き光』か?彼女の公演を見に行った時、丁度その曲をやっていたんだが」
「あ、そうそれ、それがいいかなって思ってたんです!」

実際どんな曲調なのかもわからない。バラードなのかアップテンポな曲なのか。歌詞は明るいのか暗いのか。あくまでウチの予想だけど、タイトルからしてバラードっぽい。

「なるほど。ふむ」

そう言って、市長は懐からボールペンと白紙を取りだし、曲をメモしていく。

「じゃあ、演奏する曲目は『威風堂々』『運命』『summer』『戦場のメリークリスマス』『淡き光』の五つで。全部合計したら、曲としては四十分くらいの演奏になるだろうな。設けられた時間は一時間。残りの二十分はMCで時間を稼いでくれ」
「え、えむしぃ?」

ウチが?それを?
氷山がファンに向って「いえー、ありがとー」だのなんだの語っていた姿を思い出す。それに反響して返ってくる熱い声援も。
MCというのはお客さんを楽しませ、場を盛り上げる大事な仕事だ。
ウチにそんな事が出来るのだろうか。さすがに一万人はないけど、大衆の目を浴びてプレッシャーに負けてしまわないだろうか。
N市市民ホールの客席は千席程だという。音楽公演となると、最低でもその半分は埋まってしまうらしい。
半分と言っても五百席。五百人も前にして、ウチは滑らかに喋れるだろうか。
一万人から比べれば、ちっぽけな数字ではあるけれど。

「MCなしにして、曲で全部埋めるのは?あと何曲か増やして」
「それだと、観客もつまらないだろ?MCは重要な仕事だ。なしにする事は出来ない」
「う……」
「大丈夫さ、MCは自分のやりたいようにやればいいんだ。それに二十分ぶっ続けで話せとは言ってない。曲の合間合間に挟んで構わないさ」

そういって、市長は朗らかに笑った。
くそー、他人事みたいに言っちゃって。
ウチは心の中で毒づく。
舞台に立つと引き受けたからには、MCの仕事も断れなかった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

空の向こうの淡き光 6

閲覧数:77

投稿日:2012/09/06 23:39:12

文字数:4,503文字

カテゴリ:小説

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