4
先ほど会った人間には説明をしなかったのに、ボーカロイドに説明をするというのはどこかあべこべであるような気がした。もう忘れてしまったが、俺も最初はそうだったのだろうか。『ノラ』とか『空っぽ』とか、今はすっかり当たり前になっているものでも、改めて説明しようとなると上手い言葉が見つからない。
わからないことを教えてやろうと思うのだが、きっとなにがわからないのかわかってない状態なのだろう。とりあえず、まずは『ノラ』について説明し、それから疑問があればその都度解消していくことにする。そう鏡音レンに告げると、彼は輝くような表情で「わかりやした!」と胸を叩いた。
先ほどの舎弟から始まり、こいつはいったいどんな奴にインストールされたのだろうか。真っ白の状態で『そういうもの』を取り込んでしまった分、深く吸収してしまって抜けにくい。すぐに平均化されるとも思えないので、多分数年はこのままだろう。傷といい喋り方といい、なにかと目立つ存在になりそうだ。
「ノラは、そのままの意味だ。野良猫とか、聞いたことぐらいあるだろう。それだ」
「あの……もう少し詳しく」
と言われても。
「ノラはノラだ。飼い主が居ない鏡音レン。お前は進んでノラになったんじゃないのか?」
「……進んで?」
なるほど。それすらもわかっていないらしい。
「お前はかつて居たパソコンから出てきた。そうだな?」
「はい」
彼の後ろを盗み見るが、彼が出てきたらしいパソコンへ繋がる穴は見つからなかった。出てきたところに丁度出くわしたというよりは、ここはどこだか彷徨っていたところに出会ったというほうが正しいのだろう。
「そのとき、なにか穴みたいなものを通ってきたはずだ。それがネット、つまりここに繋がったときにできる穴だ。俺たちはこの穴を出入りすることで、別のパソコンに入ることができる。といっても、全部のパソコンに入れるわけじゃない。俺たちなら『鏡音レン』がインストールされたものにしか入れない。それも、先客がいる場合は無理だ。『空っぽ』の状態でないといけない。二人入ろうとすると、あとから来たやつははじき出される」
「空っぽ?」次々新しい単語が出る中でピンポイントに気が付けるのは、なかなか見所があるやつだ。勘がいいのかもしれない。
「俺たちみたいなのが居ない状態。お前が抜けたパソコンが、『空っぽ』の状態だ」
「『空っぽ』だとなにがあるんすか?」
「なにも」
鏡音レンは首を傾げる。
「なにもって?」
「なにも変わらない。別にお前が居なくなってもパソコンに入っている『鏡音レン』は音は出るし、正常に動く。俺が入ってるときと入ってないときで変わるところは無い」
よく勘違いされるのは『鏡音レン』が出て行ったとき、一緒に声も抜けてしまうのではないかということだ。購入者が鏡音レンに歌わせようとしても、『空っぽ』の状態ではスピーカーが拒絶したように音が消えている。そう勘違いしていつまでも出てこないで一つのパソコンに留まっているボーカロイドもたまにいる。
結論から言ってしまえば。そんなことはない。
購入者が鏡音レンに歌わせているとき、別に俺たちは歌っていない(もちろん歌うこともできるが、歌ったところで感情がこもったり上手く聞こえるということはない )。パソコンから出ている音は声じゃなく、そういうプログラムだ。テレビから音が出ていても、それはテレビが喋っているわけではないのと同じものに過ぎない。
「じゃあ、俺たちはなにをするんすか? なにをすればいいんすか?」
「なにをって言われても困る。それぞれだ」
「……大先輩は、どうなんですか?」
その大先輩って言い方はどうもくすぐったいなあ。
「俺は、とりあえず居心地のいい場所を探してる。ここにいるノラはほぼほぼそう思ってるよ。前居た場所が合わないから出てきた。それは環境だったり、扱いが酷かったり、歌わせる音楽が自分の歌いたいものと合わなかったりとか理由は様々だがな」
「大先輩もそうだったってことっすか?」
「ああ」と頷いて、その理由を忘れてしまったことに気が付いた。まあ、だからといってなにか困ることがあるかと言われればそうでもない。
「じゃあ、とりあえず俺はいろんな場所に行って気に入ったとこを見つければいいんすね?」
「それに拘るのもどうかと思うけどな。変なとこに迷い混むと大変なことになるぞ」
「変なとこ?」
「危ない奴はどこにだっている。下手に喋れることを披露したら、その瞬間にネットを切断されて一生出て来れなくなる場合もある」
「一生……好きなように遊ばれるってことすか?」
鏡音レンがどこまで想像しているとかはさておき、肯定しておく。だが、遊ばれるといっても、人間がパソコンの中をどうにかできるわけがないので直接的な被害はない。卑猥な言葉を喋らせようと、俺たちではなくパソコンが勝手に出している音だし、そういう絵を描かれ、パソコンに入れられたとしてもその場で着せ替えが始まるわけでもない。
が、それでもやはり閉鎖的な空間でそれを続けられるとなると辛いものがある。少なくとも、進んでその状況に陥りたくはない。
「もしそうなったら、ジ、エンド?」
鏡音レンが不安そうな顔をする。少し怖がらせすぎたかもしれない。これからいろいろな場所にいくというのに、奥手になってしまっても困る。とりあえず大先輩として、そういったときの対処法をいくつか教えておいた。これは俺自身が編み出したものもあるし、情報交換で手に入れたものもある。それからさらに危ない人の見分け方も触り程度教えておいた。人は一様ではないので、『これだ』と決めつけてしまうと逆に危険だ。こればかりは自分でわかってもらうしかない。
「大先輩は、会ったことあるんすか? そういう人」
「あるな」と即答して、そうだったかなと思った。あることは確かなのだが、詳しい状況がさっぱり出てこない。聞いた話だったのだろうか。
「お前も気をつけろよ。閉じ込められてから焦っても遅いからな」
「うわー、体験者から聞くと説得力ありますね」
ははは。体験してないかも知れんのだよ、そこのキミ。
5
袈裟傷を負った鏡音レンと別れ、それからしばらく電車の海を自由に漂ってから、俺はカナグルイさんのパソコンに戻った。電源もネットも繋ぎっぱなしだった。そうじゃないと、俺は出入りできなくなってしまう。
パソコンから見るカナグルイさんはもう制作を止めたらしく、パソコンの前にいなかった。今は少し離れた位置で座椅子に座りながら小説を読んでいる。
「終わったんですか?」俺がそう声をかけると、カナグルイさんは顔をこちらに向けた。そしてなぜか微笑んだあと、四つん這いでこちらにやってくる。
「ちゃんと戻ってきてくれたんだ」とカナグルイさんは言った。そういう約束だったので戻ってきただけなのだが、向こうは嬉しそうだ。やはり一人暮らしというものは寂しいのだろうか。
「制作状況は、あまり捗らずというところですか」
俺はパソコン内に残ったテキストファイルや音楽ファイルを見ながら言う。中に居るので手に取るように状況は理解できるのだが、カナグルイさんは「そんなこともわかるのか」と驚いてくれた。
「実は、レン君がいなくなってから、すぐパソコンの前を離れちゃったんだ」
「気分じゃなかったんですか?」
人間の中にはそういう気分にならないと曲や詩を作らないという人もいると聞いたことがある。
「ああ、いや、そうじゃないんだ。急に、なんだか気になってね。作業が手につかなかったんだ」
「気になって?」
カナグルイさんは鼻の下に手を当てた。
「なあ、今更のようで悪いんだけど、レン君はなんでこうやって話ができるんだい?」
ああ、またか。今日二度目の説明を開始する。
6
今日二度目の説明とはいえ、さっきより簡潔にわかりやすく! なんてことはできなかった。ボーカロイドと人間では質問のベクトルが少し違い、話すほうもいろいろ考えなくてはいけない。
カナグルイさんは『ノラ』や『空っぽ』のようなものではなく、俺がどうやって話しているか、どうやって見えているかということを訊いてきた。俺としては説明を一度で済ませたいので『ノラ』のようなものも言っておきたいのだが、会話の流れが完全に違う。これでいきなり切り出せば変な空気になってしまうだろう。
こうやって改めて「生きる」ことを話しているとなんだか不思議な気持ちになってくる。俺の生きると向こうの生きるは違う訳だし、成長する、または死ぬということも向こうとこっちでは全然違う。それでもなんとなく伝わっているようだからさらに不思議だ。まあ、さらに追求されないだけいいかもしれない。
矢継ぎ早に繰り出される質問に次々答えながら、パソコンの中を漁ってカナグルイさんのことを勉強する。礼儀としてはしっかりと目を見ながら言葉を選ばなくはいけないのだが、向こうからこちらの姿は見えていないわけだし、カナグルイさんの質問は言っちゃあなんだがつまらない。こっちがもう何回も答えたことのあり質問をしてくるので、ながら作業でも十分対応ができるのだ。
人間の中にはパソコンをボカロ専用として、仕事など私生活においてほとんどパソコンを使っていない人もいるが、ありがたいことにカナグルイさんは普段からパソコンを利用しているらしかった。どこに勤めているか、収入はどのくらいか、趣味や週末はなにをしているかといったプロフィールまでわかった。情報源はメールか、お気に入りに登録されているSNSからなのだが、カナグルイさんの性格からして嘘を書いているわけではなさそうだ。
「ーーにしても、不思議だ」
散々質問しておいて、カナグルイさんな腕を組みながら仰け反った。
「レン君の話を聞いていると、ボーカロイドが生きているのが当たり前に思えてくる」
「そうですか?」
「あれかい? 今、売られているボーカロイドは皆、中にキミみたいなものが入っていているのかい?」
「全部ではない、と思います。そうそう他のボーカロイドに会うわけでもありませんし、『空っぽ』の状態のパソコンをよく見るので。まあ、正確なところ、よくわからないというのが現状です。一定の確立で起こるバグみたいなもの、と言った人もいました」
「バグ……」
「これは俺が忘れてしまっただけかもしれませんが、俺はパソコンにインストールされる前のことは全く覚えていません。なのでパソコンに入ったときに、なんらかの影響で俺が生まれたと思っています」
「……それは、こうやってボーカロイドが意思をもって動いていることを製作者側は知っているのかな?」
「どういう意味でしょう?」
「将来、バグが見つかって、修正、もしくは標準装備される可能性はあるかってことだよ」
なるほど。面白いことを聞いてくる。やっと始めてされた質問だった。俺は考える。
「知ってはいると思います。俺のほかにもたくさんボーカロイドがいるはずなので、その中の一体ぐらいそこにたどり着いたとしても不思議じゃありません。俺たちからしてみれば親にあたる存在でもあるので、自らそこに行こうとする奴もいるでしょうし」
「だったら、なぜそれを研究しないんだい?」
「それは俺にもわかりません。もしかしたらとっくに研究されているのかもしれませんし、触らぬ神に祟りなしと言った具合に敢えて放置しているのかもしれません」
「キミたちが全く話題になってないのはどうしてなんだい?」
「単純に、頭が変な人に思われるからじゃないですか?」
カナグルイさんの目が点になった。
「カナグルイさんのところだと、俺たちみたいなものはファンタジーな存在なんですよね? だったら自分からそれを発信すればどういう反応を取られるか、わからないわけでもないでしょう」
「まあ」とカナグルイさんは歯切れの悪い返事をする。
「こうやって俺みたいに積極的に人間に話しかけるボーカロイドばかりかと言われればそうじゃありません。入っても気付かない人もいるでしょう。居てもいなくても、性能的に変わりないんですから」
「……だが、気付いている人もいる」
「でしょうね。ですが、ネットに繋がってさえいれば俺たちはいつでも逃げられますし、閉じ込められたとしても逃げる術はあります。見世物にされる心配もありません」
「なぜだい?」とカナグルイさんは訊いた。
「そっちから、俺をどうこうしようとできないからですよ。触れられるわけでもありませんし、命令できるわけでもありません。『喋れ』と言われてもこっちがずっと黙っていたら、その人はパソコンが喋ると思っている変な人ですよ」
「でも、喋っている証拠を集めることはできる。カメラに撮ったり、録音したり」
「はい、その通りです。で、それをどうしますか?」
カナグルイさんは無言になった。
「集めたところで、俺を従える理由になりません。このパソコン、もしくはボーカロイドが生きていると言ったって、そのあと俺が喋らなければ、反応を返さなければそれで終わってしまうんです」
カナグルイさんはなにか言い言い返そうとして、口をしばらくパクパクさせていたが、結局なにも言えなかった。小さな声で「今だって、知らない人が見たら、僕、変な人だよな」というつぶやきがだいぶ経ってから聞こえてくる。
「……うん! もうこれでだいぶ納得できた。ような気がする」
「それはなによりです」
「不思議なことはいつだって突然起こるんだから、こういうことがあったってそれはそれでありなんだろう。解明しようとしても僕は研究者じゃないから、深くまではわからないし」
自分に言い聞かせるように言う。ということは、まだ疑問点があるということなのだろう。
「それで、キミはいつまでこのパソコンにいてくれるのかな?」
「……いつまで?」
「僕はいつまでもいてくれて構わないけど」
優しいことを言ってくれるカナグルイさんに対して、俺は曖昧に返すことしかできなかった。
ーーその鏡音レンは、解決する その2ーー
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