「何してるの!」

 声が響いたかと思ったら、後ろから思い切り腕をひねりあげられて、俺は剣を落とした。
 後ろを見ると、目を真っ赤にはらしたミク姉が、驚いたような顔をしている。

 俺は、思わず笑ってしまった。

「何驚いてるの、自分でやっといて」

「だ、だって……」

 剣を持っていた俺を見て、自殺するとでも思ったのだろうか。心配してくれるのはありがたいけれど、そんなに強く右手を掴まれたって困る。

「本当に、全然……なかったから」

 多分、握力のことを言いたいのだろう。以前の俺だったら、ミク姉の制止なんて意味がなかったと思うけれど、今は違う。
 ほんのわずかな力にすら抗えず落としてしまった剣を、左手で拾い上げる。

「レン」

 ミク姉は、何か言いたげに、俺の名前を呼ぶ。気がつくと、俺の部屋の扉を封じるように、カイトとルカ姉が立っていた。

「なんでここにいるの。今はそれどころじゃないだろ」

 剣を差し、マントを羽織る。ミク姉は戸惑っていたけれど、ルカ姉もカイトも、俺の考えは分かっているようだった。

「どこに行くつもりだ」

 カイトが、静かな声でそう訊いた。何故、などとは、今さら誰も言わなかった。

「別に、行き先なんて決まってねぇけど?」

 左の手首に目をやる。いつだったか、リンが留めてくれた腕輪。右手では、それを撫でることすらうまく出来ない。

「一人で生きていけるとでも思っているの? 貴方は、そこまで馬鹿じゃないと思っていたわ」

 ルカ姉の言葉に、俺は何も答えない。
 答えられない。

 違う、俺はルカ姉が思っているよりもずっと馬鹿だ。こんなことになるまで、決心がつかなかった。
 ただ周りに甘えて、生かしてもらうばかりで生きようともしないで、そのくせ殺されるのは嫌だと駄々をこねて。
 ただの馬鹿だ。

「どこに行くつもりなの、一人で」

「そこ強調しすぎだろ。もしかしたら、リンを連れていくって言い出すかもよ?」

「その方が、私としては安心するんだけどね」

 茶化そうとした俺を責めるように、ルカ姉はそう溜息をついた。

「可愛い妹を、俺に任せられるわけ?」

「貴方だって弟よ」

 ルカ姉のまっすぐな瞳、ミク姉の心配げな瞳。

 誰も俺を責めてくれない。
 お前のせいで彼女が死んだのだと、お前が死ねばよかったのにと、言ってくれればどんなに楽か。
 皆優しくて、離れたくないと思ってしまう。もう、そんなこと思ってはいけないのに。

 なんで俺は、ここに生まれてしまったんだろう。
 生まれなければよかった。誰とも出逢わなければよかった。
 そんな、ありもしないことを考えるくらい馬鹿で、でも周りの優しさに気付かないほど愚かにはなれなかった。
 死ぬのも怖くないと言いながら、結局は未練だけでここまで生きてきてしまった。

「貴方のことだって、みんな心配してるわ。私だって、ミクだってカイトだって、メイコだって! 貴方も私の弟よ、なんでそんな簡単なことが貴方には分からないの!」

 ――ただそれだけなのに、なんで分かんないの、馬鹿っ!

 泣き叫んだリンの声と、殴られた痛みが蘇る。
 俺が生きたいと望むことを、リンは望んでくれた。今目の前にある顔も、きっとメイコ姉も。でも。

「……本当に、そう思ってるんですか?」

 口から、笑いが漏れた。

「貴女は気付いていると思ってましたよ、第一王女殿下」

 ルカ姉は、怪訝そうに眉をひそめて、俺を見た。

「レン……?」

「本当に俺が、弟だと思ってたんですか? 第一王子が第一王女より王位継承順が下だなんて、そんなことが、本当に起こりうるとでも?」

 ルカ姉もカイトも、俺の言葉を理解したらしく、信じられない、と首を振った。

「そうですよ。俺は……俺たちは、お父様の子どもじゃない」

「そんなこと!」

 ミク姉は叫んで、俺の肩をゆらした。

「あの人のことは……陛下のことは、私が一番よく知ってる! 確かにあの人は貴方に対して異常に冷たいけれど、実はすごく愛してることも分かってる!」

「それでも俺は王子じゃない。お母様が死ぬ前に言ったんです。疑う理由が、どこにありますか?」

 ミク姉は、俺を抱きしめたまま、座り込んだ。

「そんなの……そんなのって……」

 誰にも、否定できない。
 最初から、血なんてつながってなかった。王子と呼ばれていても、本当はここにいる理由も資格もなかった。
 引きかえせないほどねじれてしまった王宮、言われてみれば、誰もが納得できる理由。俺が生まれてきたときに、すべてが壊れてしまった。

「……たとえ」

 ルカ姉は、俺の方に歩み寄ってきて、俺の頬を撫でた。

「たとえそうだとしても、私たちは家族よ。これまでも、これからも」

 俺だって、そうあることを、望んでいるよ。でも、そんなの許されない。

「だから」

 その先を、ルカ姉は言わなかった。言われなくても、分かっていた。
 俺は、ミク姉の手をほどいて、その部屋を出た。ルカ姉もカイトも、止めなかった。

「……生きなさい」

 ルカ姉の声が追ってきて、俺は思わず立ち止まる。泣いているのか、震えた声。

「お母様が追手を出すでしょう。左手一本で防げはしないでしょう。でも、それでも生きなさい。一分一秒でも長く。でなきゃ、許さない。メイコの姉として、許さない」

 ――そんなの、無理に決まってるのに。

 でも、俺だって、メイコ姉の弟として、まだ死ねない。あんなことまでされて、簡単に死ねるわけがない。
 リン以外はどうでもいいなどと言いながら、結局はメイコ姉の死を無駄にする勇気もなかった。だから、生きるために、ここを出ていくんだ。
 せめてメイコ姉の知らない場所で死ぬために。

「……殿下」

 俺は、あえて、ルカ姉をそう呼んだ。

「俺はもうここには来ません。貴女の邪魔はしません。もう消えます。だから……だから、」

 ねぇ。本当は、ここで生きて死にたかったよ。命の長さよりも、そっちの方がずっと大事だったよ。

「俺の姉を……よろしくお願いします」

 俺はもう、王子を名乗ったりしないから。あの子のことだけは、王女として扱ってやってください。守ってやってください。どうか、ずっと、貴女の妹として扱ってやってください。

 返事は、なかった。
 俺は、そこを出ていった。振り返らずに。

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【中世風小説】Papillon 12

この話を含めて、残り三話です。意外に早くここまで来ちゃったなぁ、としみじみ。あ、初めてリンが出なかったですね。ちなみに、お母様とお父様はテトなのです。ピアプロ内なので、本編では名前出せないんですけど。自給自足カップル。

閲覧数:271

投稿日:2010/02/11 15:42:28

文字数:2,656文字

カテゴリ:小説

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