「メイコさんっ」
 五月五日の昼食後。居間で食事を終え、部屋に戻ろうと廊下を歩いていたところ、唐突に背後から呼び止められた。
「カイト?」
 駆け寄ってくる足音に振り返る。声で分かった。呼びかけてきたのは青い髪の「弟」だ。私の間近で足を止めて、じっと私を見つめてくる。
 頭ひとつ高い「弟」のカイトを見上げると、カイトが柔らかく微笑んだ。
「どうしたの?」
「メイコさん、何か叶えて欲しいことない?」
「って、なによ突然っ!」
 叶えて欲しいことなんて思い浮かばない上に、色々と意味が分からなくて、叫ぶように問い返す。カイトは笑顔を崩さない。
「え、だって、今日はメイコさんの日だって聞いたから。折角だし、何かひとつお願い事叶えてあげるよ」
「なんで私の日?!」
 私の純粋な疑問に、カイトが嬉しそうに答える。
「あのね……」



「るーかーっ!」
 私が衝動に任せて居間に駆け込むと、弟妹たちがひとりを除いて全員そこに居た。ふたつの黄金色が絨毯に。緑色と桃色が仲良くソファに。
 まあ、青色がないのは当たり前だ。さっき自室へ入る背中を見送って来たのだから。
「ほえ? メイ姉?」
「メイ姉、なに怒ってんだ?」
 真っ先に反応したのは黄金色の髪の双子、鏡音リンと鏡音レン。小柄でよく似た体格のふたりは絨毯の上に向き合って座っている。その手と絨毯の上にトランプのカードが広がっているのを見ると、どうやらトランプゲームをしていたようだ。今はふたりとも私の方に振り返ってきている。
「お姉ちゃん、大丈夫ですか?」
 座っていたソファから立ち上がって声をかけてくるのが、緑の髪の少女、初音ミク。戸惑いながらも私の方に駆けて来ようとする彼女を右手で制して、私はソファへと歩み寄った。リンとレンの視線が追いかけてくる。
 立ち上がったミクの隣で、腕を組んでソファに悠然と座っている桃色の髪の女性、巡音ルカに目線を合わせる。ルカは微笑みを浮かべていた。思わず睨みおろしてしまう。
「ルぅカぁ……っ!」
「メイコ。どうかしたのか?」
 それでも余裕の態度を崩さないルカに、噴出するままに怒鳴り声を叩きつけていた。
「カイトに妙なこと吹き込まないでくれない?!」
 私の台詞にその場の空気が凍りついたのが分かった。でもそんなことで私の怒りが収まるはずもない。
『へ?』
「はい?」
 リンとレンの素っ頓狂な声は同時。ミクも小首をかしげている。ルカはゆっくりと目を細め、声を立てずに笑い始めた。
「ちょっとっ、何笑ってるの!」
「カイトも、メイコも、……なるほど、マスターが可愛いと言うだけはあるな……」
 ルカは喉の奥で笑い続ける。私が言葉を続ける前に、トランプを投げ出したリンがルカの隣に駆け寄った。ソファの肘掛に手を置いてルカを覗き込む。
「ねえねえルカ姉ー、何吹き込んだのー?」
「吹き込んだわけではない。思ったことをそのまま言っただけだ」
「じゃ、思ったことって何だ?」
 レンが、律儀にもリンが散らかしたトランプを片付けながら、会話に加わってきた。
「五月五日はメイコの日だな、と」
「え? お姉ちゃんの日、ですか?」
 小首を傾げて振り返るミクに、ルカが大きく頷いてみせる。
「五月は英語でMAYだ。つまり五月五日は、MAY、5。メイコの日、だろう?」
 ぽん、とミクが両手を打った。完全にルカのほうに向き直って弾んだ声を上げる。
「わあっ、なるほどっ、そう言われるとそうですねっ」
「それを昼食の時にカイトに言ってみただけだ」
 私を見上げて笑みを深めるルカ。その表情を見て、私は反射的に声を上げていた。
「だからそれが余計なことなのよっ!」
「メイ姉、何かされたのか?」
 まとめ終えたトランプを手に持ったまま、ソファに近付いてくるレンに、なおのこと言わずにはいられなくなる。
「突然『何かひとつお願い事叶えてあげるよ』とか言い始めたのよあの莫迦!」
「ほわー、カイ兄ってば格好良いっ」
「どこが?!」
 リンの弾んだチャチャにも更に怒りが募る。その矛先は全部この場には居ないカイトに向かうわけだけれど。
「そばにいて欲しいなんて言わなくても居てくれるし! 誰かに言いたいことが出来た時にはちゃんと聞いてくれるし! 声が聞きたいなあとか思った時には話しかけてくれちゃうし! 本当にひとりでいたい時はそっとしておいてくれるし! それ以上何望めって言うのよ!」
 私の心からの叫びに、ルカが思いっきり吹き出した。おなかを抱えて身体を二つ折りにして、今度は声を上げて笑い始める。ミクは顔をほころばせて私を見てきた。
「お姉ちゃん、しあわせものですねー」
「なっ、なによ……っ」
 ミクの言葉に反論する前にレンのため息が耳に入る。
「ただののろけじゃねーか……」
「のろけ?! どこがのろけよ!」
「全部ー?」
「多分、誰に訊いてものろけって言うと思うぞ……」
 乗っかってきたリンは楽しそうな笑顔。レンは完全にあきれ返った顔。ああ、段々頭がくらくらしてきた。
「ちょっとリン! レン!」
『事実事実ー』
 そういうとこばっかりちゃっかりハモるんだからこのふたりは!
 私の隣に立っていたミクが、軽く私の上着の裾を引っ張ってくる。振り返ると無邪気な笑みが出迎えてくれた。
「まあ、実際のろけですよね?」
「ってミクまで?!」
 そんな笑顔で何言い出すかと思えば……!
「し、しかた、ないだろう……」
 切れ切れのかすれ声に目を向ける。何とか顔を上げている涙目のルカと目が合った。ってちょっと笑いすぎじゃない?!
「の、のろけ、にしか、聴こえないからな……」
「だからのろけじゃないってば! そんな状態で『お願い事ちゃんと今日中に考えてね?』とか言われてみなさいよ! どうしたら良いか分からなくなるんだからね!」
 私の訴えにルカが改めて吹き出した。まさに息も絶え絶えに笑い続けている。何がそんなにおかしいのかしらまったくもうっ。
「じゃあさー、無理に何かお願いしなくてもいーじゃん」
「あいつにまじまじ見つめられながら言われたらなんか言わなきゃいけない気がするのっ!」
 リンの言うとおりに出来てたら、さっきだって、逃げ出すように「考える時間ちょうだい」なんて言わずに済んだのに!
「うっわぁ、メイ姉さー……」
「なによレンっ!」
「ぷち混乱中だねっ」
「何言ってんのリン私は混乱なんかしてないわよっ!」
「と、とりあえず、落ち着け……、メイコ……」
「ってその言葉そっくり返させてもらうわ!」
 まだ笑い止まないルカに落ち着けなんて言われて落ち着けるもんですか!
「ほらお姉ちゃんっ、深呼吸深呼吸、ですよっ」
 ぽんぽんっとミクに背中を叩かれて、自分でびっくりするくらい呼吸を乱しているのに気付く。ああ、そうか。いつもならここまで酷くなる前に、カイトが背中を叩いて深呼吸を促してくれるんだっけ……。
 色々思うことをちょっと棚上げして、深く息を吸って、吐いて。くらくらしていた頭が少し落ち着いた。ミクを見ると可愛らしい笑顔。つられて笑顔になってしまう。
「ありがとうね、ミク」
「いいえー、お兄ちゃんの代わりには程遠いですけど!」
 弾む声で力説されて顔が熱くなる。それでも、一度落ち着いたからか、白熱して反論する気にはなれない。
「あー……、えと、ね、まあとりあえずありがとう」
「というわけでですね」
 ミクは表情を崩さないままで、右手で皆の部屋があるほうを示した。
「私たちに訴えるより、お兄ちゃんとちゃんとお話してきて下さい」
「えっ?」
「ね?」
 満面の笑顔のままで念を押されてまばたいてしまう。
「だなー。ここでルカ姉相手に文句言ったって始まんねーし」
「ちょ……っ」
 トランプを繰る音と共にレンの声。見てみれば、手元のトランプを見下ろしてるレンの横顔が笑ってる。何のかんので面白がってるわねこれは。
「悩むんならさー、ほら、『お酒買って来てー』とか言えばいーんじゃないの?」
「あ、え、でも……」
 んふふー、と得意げに笑いながらリン。頭の上のリボンが揺れているところを見ると本当に上機嫌のようだ。
「良いから、行って来い、メイコ」
「ってルカ、いい加減笑い止みなさいよ……」
 まだ笑いをこぼしながらのルカの言葉。左手で口元を押さえ、右手で私を追い払う仕草をしてくる。ああもうまったくこの弟妹たちと来た日には……。
「それとも、お姉ちゃんが行かないなら、お兄ちゃん呼んで来ましょうか?」
「ってミクそれは流石に!」
「じゃあ行ってらっしゃいです!」
 あああもうっ。このミクの満面の笑顔に逆らえる気がしないのはどうしてかしら。
「……行ってくるわね」
「おー、いってらー」
「ふぁいとふぁいとっ」
「ゆっくりして来い」
 弟妹たちを改めて見回して、全員の顔が笑っているのを確認してから、居間を出て、カイトの部屋へと向かう。……多分、あいつのことだから、部屋で待ってるんだろう。
 廊下を歩きつつ、ふと「お願い事」が思い浮かんだ。思いついた自分自身にちょっと眩暈がした。というかカイトにとってちょっと酷いような……。
 そんな「お願い事」でも、お願いしたら、きっと本当に叶えてくれちゃうんだろう。だから逆に悩む。言って良いものかどうか。
「あー、うー……」
 一度怒りを吐き出したため、勢いは落ち着いてしまっている。それでも、まあ、カイトと話をしないと始まらないことではあるし。
 カイトの部屋の前に立って、改めて深呼吸をしてから、ドアをノックした。



 ドアを即座に開けて、私を招き入れてくれたカイト。
 何をお願いしたか、とか、それをカイトが叶えてくれたか、とか。
 そんなことはカイトと私だけの秘密なんだからね!

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

メイコの日【カイメイ】

五月五日にお話のタネが出来ましたので、遅れ馳せながら、ではありますが。
仲良しボカロ家族が大好きです。

閲覧数:1,802

投稿日:2010/05/10 02:33:51

文字数:4,017文字

カテゴリ:小説

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