ミクは予想通り、この国の貴族の令嬢だった。最初は、清楚でどこか凛とした女性だと思ったのだが、どうやらそれはよそゆきの顔らしく、実際はもっと奔放な性格なのだった。リンのことを、何度か「リンちゃん」と呼びそうになり、訂正をした。が、その内に、耐えきれなくなり、
「あのね、会った時は11歳だったの!だからずっとリンちゃんだったの!女王様ってわかってても、つい出ちゃうの!」と弁解した。僕がミク様、と呼ぶのを嫌い、
ミクさんで妥協してもらった。

ミクは本当にリンのことしか聞かなかった。あとはリンが屋敷に招かれた時のちょっとやんちゃな昔話を話した。少し年下の女の子で妹みたいだったと語った。自分ももっと子供だったし、当時は女王様への扱いをしなかったから周りの大人がみんなヒヤヒヤしたとか。
当初のイメージとは違ったけれど、とてもミクらしいエピソードだった。

「でもリンちゃん、11歳で女王になるなんて大変よね。私だったら無理かも。」
「今も実際の業務は周りの大人が中心に進めますから、女王なんて言っても気楽なものです。」
「そうかしら?誰がどんな仕事をしても、国民はトップの人間に責任を問うのよ。」

その言葉は僕の心の奥のささくれに触れた。この時の僕はまだわかっていなかった。なぜリンが女王の椅子に座らされているのか。
この言葉は母のことと結びついて急速に僕の不安を増加させた。母が女王だった時の国は一体どうだったのだろう。僕らは両親が殺されたのはトップに立ちたい者の利権争いによるものだと思っていた。いや、思わされていた?それを説明したのは女王の側近だったのだ。

「確かに、そうですね。」
「自分がなにもしていないのに、自分のせいにされるなんて、私は嫌。私の国も政権争いがあるけど、なんでそんなものが欲しいのかしら。」
ミクの表情は本当に、とても迷惑そうで、自分にもなにか関連していそうな雰囲気だった。
「ミクさんの国は平和そうに思えますが、やはり?」
「あるよ。うちの親もそれを狙ってる一人だもの。でも私はそんなものいらないわ。」
ミクの家は貴族の中でも、政治に近いところにいるのかもしれない。とんでもない上流階級と僕はお茶をしていることになる。国では城付きとはいえ、ただの召し使いの身分だ。そんな僕に、ミクは普通に接している。これをミクの両親が見たら怒るかもしれない。それくらい、世間から見たら僕らの間には隔たりがあるはずだった。ミクはそれを飛び越えてなんでもない顔をしている。

「そうでしたか。僕も、国が欲しいなんて思えません。」
「気が合うわね。今度、また外国との繋がりを強くするため、というか強いと見せるために東国チェレステの王子が来るの。その日は芝居の席を取ってあったのに、キャンセルさせられたのよ。」
「今、うちの国にいらしてますよ。本日は女王様も参加して晩餐会があったかと思います。」
「そう。じゃあ今頃リンちゃんと会ってるのね。あなたは会ったことある?嫌味なヤツじゃなきゃいいけど。」
「すみません。僕なんかがお会いできる方ではないので。」

チェレステの王子はクローチェオでの国交が終わったらこの国に寄るように日程を組んでいたようだった。東国のチェレステは海と山の恩恵を受けた豊かな国だ。小さいけれど、その豊富な資源で経済的にも強い国だった。この頃の僕はあまりにも子供で知らないことが多すぎた。国交はただ国が仲良くしようと約束するだけではないのだ。お互いの利益を模索する駆け引きだった。ミクの世界を見る目に触発され、これから僕は猛勉強をすることになる。

ミクが帰る時間になってやっと、僕らは腰を上げた。ミクは話好きで、他愛もない話から国の話までを主観で語った。僕は自分の知らないことの多さに内心驚いていた。そんな僕にミクはまた手紙を書くから住所を教えてと言った。

その夜は街で新聞を買い、夕食を取った店ではカウンター席に座り、世間話をした。水不足と政治の話は特に興味深かった。ヴェルデッツァでは全体で水を使う量に制限をもうけ、当面の水量を確保しているという。
新聞は現在の水量制限に批判的だった。先のことを考えれば必要な措置だと思ったが、あったものがなくなる、というのはどんなときも大変なものかもしれない。当たり前に存在していたもの、例えば豊かな大地、きれいな空気、優しい太陽、おおらかな海、命の水、それがある日なくなると考えたら。それを守るための痛みとなくなってしまった時の惨事はどちらが重いだろう。

その夜は様々な情報の渦とその間にちらちらと見え隠れする碧の瞳に気が鎮まらず眠ることができなかった。朝と違って月は裏側の太陽の光を受けて燦々と輝いていた。


チェレステの王子と入れかわるように、僕は国に戻った。待っていたのは、リンの笑顔だった。
「レン、おかえりなさい!良い旅だった?」
「うん。ドレスはイエローにしたよ。」
「本当?あ、ありがと。」
その少し含んだありがとうが気になった。
「嫌だった?」
「ううん、違うの。あの、カイト王子がね、髪の色を誉めてくれてね、貴女にとてもよく似合いますねって。」
「そっか。良かったね。じゃあイエローにして良かったんだ?」
「うん。」

まるでリンじゃないみたいだった。こんな1日で、女の子は変わってしまうのだ。前よりも身だしなみをきちんとして、僕が直すこともなくなった。ぼーっとしてるかと思ったら急にやる気を出して、外国語を勉強すると言い出す。髪の手入れは特に念入りでいつも頼まれるものよりさらに上等なトリートメントを頼まれた。なんだかいつもふわふわしていて、僕はこれが恋をしているということなのだと理解した。
リンから聞いたカイト王子はとても紳士的で、背の高いハンサム。ダンスが上手で笑顔が素敵で暖かい国柄か、冷たいものが好きで特にアイスクリームには目がないそうだ。日を追うごとに僕はカイト王子に詳しくなった。次に会えるようにするにはどうしたらいいか相談されたが、お互いに国を背負う女王と王子なのだからそうそうは難しいと思われた。正直にそう言うと、「ちょっとは考えてよ」とむくれた。
リンがにこにこしているのはなんであれ良いことな気がした。リンが笑顔ならそれでいいと思った。リンはそれで良くても、僕はそれではいけない気がした。リンを守るために、知らなければならないことがあると感じていた。

国に戻ってからは、空いた時間は図書館に篭っていた。主にこの国の歴史。そして地理。世界。そんなものを目についたものから読んでいった。この図書館の蔵書はすべて検閲済みで、多分とても表面的なものだった。本には書かれていない裏側が本当はたくさんあった。でも、幼い僕にはそれを知る術はなかった。
そうしているうちにミクから初めての手紙が来た。この間の出会いのこと、話したこと、とても楽しかったと書かれていて、ほっと胸を撫で下ろした。チェレステの王子との晩餐会はさんざんだったと書いてあった。王子はずっとにこにこと笑顔で、逆に何を考えているのかわからない気持ち悪い人だった、と。同じ人のことでも人というフィルターを通すとこんなにも違うのかということに驚く。それとも、これが恋というものの為せる技なのだろうか。リンが聞いたら怒るだろうと思ったのでミクからの手紙のことは黙っておいた。

僕は王子には会っていないので、どんな人かはわからないけれど、リンの評価は恋愛のフィルターを通しているからきっと正当ではないのだろう。そう考えると、ミクの評価に寄ることになる。「何を考えているのかわからない」が引っかかった。リンが傷つくようなことがなければいいけれど。
僕もミクへ返事を書いた。リンがカイト王子に恋をしているということをつい面白く書いてしまった。ミクは王子をどんな人だと思うか、もう少し詳しく聞きたかった。それから、ヴェルデッツァ王室と貴族階級では水不足の件はどうしているのか、と。

時を同じくしてリンもカイト王子に手紙を書いていた。多分、また来て欲しいとか、今度はこちらから伺いたいとか書いたんだろうと思う。海を越えて手紙は運ばれる。ヴェルデッツァとのやりとりと違ってチェレステとは時間がかかる。その返事を今か今かと待っているリンが可愛いかったけれど、王子の人柄への不安感から複雑な気持ちだった。

ミクからの返事が来た。そこにはリンには秘密にして欲しいと前置きがあり、カイト王子からミクへ手紙が届いたと書いてあった。歯の浮くような台詞が並べてあり、とてもミクを気に入ったようだと。チェレステとの手紙のやりとりの時間を考えるとリンの手紙は読まれていたとは思う。そのリンへの返事よりも、ミク宛ての手紙が先についた。

手紙を読んで改めて、ミクはカイト王子のことがあまり好きではなくなったと書いてあった。どこが、というのはないけれど、なんとなく好きになれない、と。どう返事を書くか困った、とミクの手紙には書いてあった。傷つけず、家の面子を守りつつ、返事を書くことのいかに難しいことか。僕はミクがカイト王子を好きでないことに少しの安堵を感じていた。リンのことを考えたら、ミクも気に入るような良い人であって欲しいはずなのに。

水不足の件は上流階級にも制限がなされ、少し不便ではあるが仕方のないことと書かれていた。僕はリン、カイト王子、ミクの関係性が気になって、水不足の対策について、深く考えることができなかった。それは後に、雪崩のような運命の最初の打撃となる。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
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悪ノ召使-2

続きです。

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投稿日:2010/11/11 12:23:58

文字数:3,922文字

カテゴリ:小説

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