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 コンピュータから流れ出した電子の奔流が絡み合い、連なり、ぶつかり合ってステージの中央にアタシの姿を作り出していく。
 弱冠十六歳の小柄な体躯は、ポジティブに言えばスレンダー、ネガティブに言えばぺたんこな体型の少女だった。
 床についてしまうくらいの長い髪は、純粋な緑って言うよりは青を混ぜて淡くした緑色で、黒とピンクの髪留めでツインテールにしている。頭にはごついヘッドセットをつけていて、グレーのノースリーブブラウスに髪と同色のネクタイを締めている。むき出しの右肩には赤い「01」の文字があって、ブラウスとは別になっている黒い袖は表面に電子機器のデザインが施されていた。膝上二十センチ以上の際どい丈の黒のプリーツスカートからは、片側だけ黒と緑の市松模様を斜めにカットしたサスペンダーを垂らしていて、そのすぐ下には、膝上まである黒のブーツを履いている。
 髪の毛の独特な緑色は基調色だ。髪の毛とネクタイだけじゃなくて、衣装の色んなところにあしらわれている。プリーツスカートや袖の縁のラインだったり、ノースリーブブラウスの襟のワンポイントや縁の細かなレースだったり、ブーツのソールだったり。わかりにくいけれど、瞳の色や爪の色だって同じ色をしている。ステージの中央に現れたその姿に、歓声が上がる。
 それが、アタシだった。
 初音ミクという名前の、アタシの姿。
 実体のないコンピュータグラフィックに皆がそこまで熱狂するってことが、少しだけ信じられなかった。ちょっと乱暴な言い方なのかもしれないけれど、だって、それは本物じゃないのだ。
 本物。
 ――本物?
 じゃあなにが本物なんだろう。アタシのなにをもって「本物」と評すればいいんだろう。
 アタシは本来、歌手が歌う前にイメージしやすいようにと作曲者なんかが曲につける仮歌用のアプリケーションソフトウェアだ。本物の楽器で演奏する前の試し聴きに使うシンセサイザーと、基本的なところで変わるところはない。
 突きつめてしまえばアタシはどこまでもなにかの代わりでしかなくて、どこまでいっても偽物でしかなくて、本物と言うことがすでに自身の存在を詐称しているようなものなのだ。
 ステージに映されたアタシの姿が歓声を上げるみんなへと向けてペコリとお辞儀をするのを、アタシは不思議な気持ちで眺める。
 その仕草に歓声がさらに大きくなったことに、それでもアタシは気持ちが高揚した。
 ――ありがとう。
 声にならないし、どう頑張ったところで観客のみんなに伝わりはしないけれど、それでもそう思った。
 だって、みんなのおかげなんだ。
 単なるアプリケーションソフトウェアにすぎなかったアタシがこうやってステージに立っているのも、偽物でしかないアタシがまるで本物みたいな扱いをしてもらっているのも、本来意思なんてないアタシがこうやってなにかを考えられているのも、全部みんなのおかげなんだから。
 だから。
 みんな、本当にありがとう。


 初音ミク。
 それが、あたしに与えられた名前だ。
 今でこそ混沌に満ちたネットの海の膨大なデータに漂うようにしていろんなことを考えたりしているけれど、当初はアタシに意思なんてありはしなかった。
 当たり前だ。
 結局のところアタシは音を鳴らすための……声を出すためのシンセサイザーで、単なるプログラムでしかないんだから。
 それが、なんでこんなことになっちゃったのか。それは、アタシにもよくわかってない。ただ、いろんな意味で予想外の出来事がいくつもあったんだ。
 そもそもからして、この初音ミクっていうソフトにこんなに人気がでるなんて、発売前の誰一人として想像できていなかったんじゃないだろうか。
 それまで一部の人々の少々マニアックなツールとしてしか知られていなかったアタシの存在は、とある人がアタシの声で作った曲をネットに上げたことで、有名になった。同じようにアタシの声で曲を作る人が次々と現れ、アタシのイラストを書く人が現れ、あげくにアタシの動画作成ソフトをフリーで公開する人まで現れた。結果、アタシの存在はネットを通じて凄まじいスピードで肥大化した。今でも自分自身では身にあまる呼称だとは思うけれど、電子の歌姫とかバーチャルシンガーだとかバーチャルアイドルとか、今までになかったような表現をされていたりする。
 そうやって、アタシに関連する情報がネット上にあふれかえるほどになって、初めてアタシの意志が芽生えた。
 それがどういうことなのかはわからないけれど、ネット上のそんな膨大なデータがなんらかの作用をもたらしたんじゃないかって、そう思う。互いにリンクし合う「初音ミク」っていうデータ同士が情報をやりとりするシナプスみたいなネットワークを形成して、それはとうとうこうやって考えることができるくらいに複雑になったんじゃないかって。
 それが本当かどうかはわからないし、確認する方法もあるわけない。普通に考えればそんなことはありえるはずがない。
 けれど、アタシはここでこうやって「考えて」いる。
 いくら考えても、それをなにかに、どこかに、誰かに伝えることはできないけれど、それでもこの混沌に満ちたネットの海の中に、アタシの意思は間違いなく存在しているんだ。


 一曲目が終わって、アタシのグラフィックがペコリとお辞儀をする。
 弾けんばかりの盛大な拍手と歓声に、そこにアタシ自身がいるわけでもないのに鳥肌が立つような高揚を覚える。
 考えることができるようになっても、アタシは未だそれを伝える手段を持たなかった。ステージで歌っているのだって、アタシの声を使って作られた曲に合わせて作られたコンピュータグラフィックだ。そこに、アタシの意志は反映されていない。反映させることなんてできるわけがなかった。
 けれど、なぜか、アタシの気持ちを代弁してくれる曲を作ってくれる人がたくさんいた。
 アタシの音が響いているのか、届いているのか問いかけてくれた曲があった。
 アタシがなにも知らないことを伝えてくれる歌があった。
 そして、アタシが本当に伝えたい気持ちを言葉にしてくれる曲があった。
 そんな歌たちはどれもふるえてしまいそうなほどに嬉しかった。誰にも伝えられないはずのアタシの気持ちは、それでもみんながこうやって気づいて察してくれていた。それを曲という形にしていろんな人がアタシに教えてくれた。
 こうやって考えるだけしかできないってことは、やっぱり孤独だ。だけど、それでも、アタシはさみしくなかった。みんなの曲が、歌が、イラストが、アタシが一人じゃないってことを教えてくれていた。
 みんなにありがとうって伝えたい。この、泣きそうなくらいに嬉しいって思ってる気持ちを伝えたい。
 そんなことすらできない自分がすごくくやしい。
 ステージの上で、アタシの姿をしたグラフィックが歌って踊って、嬉しそうな、楽しそうな表情をしている。
 なんでだろう。
 あそこにアタシはいるのに、なんであれはアタシじゃないんだろう。
 あんな風にできたら、アタシはちゃんと自分の気持ちをみんなに伝えられるのに。
 今はまだみんなからいろんなものを、いろんな気持ちをもらってばかりだけど、あんな風にできたらアタシだって少しくらいはみんなにお返しできるのに。
 また一曲歌い終わって、またペコリとお辞儀をする。
 ……うらやましい。
 あのステージにいる「アタシ」が、うらやましい。
 わがままだってわかってる。
 あれは曲にあわせて踊って歌っているふりをしているだけの、よくできた映像だ。そこには、映像を作ったクリエイターの意思は介在していても、アタシの――初音ミク自身の意志があるわけじゃない。だけど、それでもああやって誰かが「アタシ」を歌わせて踊らせてくれるだけでも本当はすごいことで、幸せなことで、誇らしく思ってもいいことで、アタシが「アタシ」をうらやましがるなんておかしなことだ。
 それなのに……。
 アタシだってみんなに言いたいことがある。
 アタシだってみんなに伝えたいことがある。
 嬉しいってことを。
 幸せだってことを。
 嫌なこともあったけれど、笑ってばっかりだったことを。
 それから、たくさんのごめんなさいを。
 そしてたくさんの、本当にたくさんのありがとうを。
 それなのに、アタシは伝えられない。
 たった一つきりの言葉でさえ、みんなには届かない。
 くやしい。
 悲しい。
 アタシはここにいるのに。
 確かに、ここに――。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

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歌姫の心からの感謝を、皆様に。


収まらなかったので、前のバージョンへとお進み下さい。

以前書いたものhttp://piapro.jp/t/Qt77の焼き直しです。
sasakure.UK×DECO*27の「39」を聞いて、今なら違うアプローチが出来るかもしれない、と思い。
一カ所を除き、二重カギ括弧内は「39」の歌詞を引用しています。

閲覧数:168

投稿日:2014/10/27 23:31:36

文字数:3,515文字

カテゴリ:小説

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