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「さあ、さあ、お立会い。世にも奇妙なピエロのお話だよ。」

そう言って人形劇の鞄を広げたのは、力強い呼込みに反して少し押せば折れてしまいそうなよぼよぼの爺さんだった。
「わぁ、人形劇だって。」
そんなレトロな演出に彼女が感嘆の声を上げたのは立春とは名ばかりの2月初旬の事だ。
凍てつくような風。
吐く息は白い。
誰もいない公園。
この寒いのに外で散歩してるのなんてどうかしている。
家からほど近い公園だったが、近年稀に見る寒波の影響でその気まぐれの散歩は奇しくも苦行へと早変わりしていたのだった。
「ほら、ゆーくん見てみなよ。人形劇だって。」

「ゆーくんやめい。」

「あら、我ながらいいネーミングじゃない?」

ゆー君。
それはいつぞやの問答で言っていた言葉だ。
「だってあなた主体性がしないんだもの。何をするにも優柔不断。あ、二人称をとってyou君っていうのもいいわね。」

そう言ってあざとく微笑む彼女だったが、さらりと放った言葉はえげつない。

優柔不断ね。
まあ確かに当初のグアム旅行は僕が宿を迷ったせいで予約出来なかったっていうのはあるけれど。
休暇が取れるなら早めに教えて欲しかったわけですよ。
せめて3日前くらいには。

そこでご立腹というのは心底心外ではあるけれど、まあ特定の一人に振り回されてるって立ち位置は存外悪い気もしないわけで。

「じゃあ、君はMeちゃんって事で。」


自分で言っといてなんだけど、それはまるで飼い猫のような名前であるが、猫のように気ままな性格は言うまでもなく、自己中心的主義はミーイズムなんて言い回しもあるくらいだから彼女を表現する上では我ながら、いや、彼女ながらにいいネーミングだと思ったのだけど、

「次その名前で呼んだら殺すから。」

などと軽い冗談半分、目が笑っていない彼女の言動を察するに、やはり彼女の機嫌はあまりよろしくはない。
先に言い出したのは彼女であるはずなのに、全く持って理不尽極まりない話だ。
おそらく彼女はそんな機嫌を何かで紛らわせたくて、何でもいいから面白そうなものに飛びついてみているのだろう。

「で、見てくよね。人形劇。」

この人形劇にしたって、そう。
出来ればさっさと帰って暖かいコタツの中でみかんでも食べたいところなんだけど、そんな彼女の機嫌を紛らわせる代案としては使えないだろう。
まあ、どうせ、こうなってしまった時のMeちゃんを止められる方法を僕は知らない。
三年も付き合っているはずなのに不甲斐ないばかりだ。
いや、一応口では同意を求めてはいるけれど、僕の回答などはまるで参考にはならない。
という事がわかる程度には僕も成長していると言えるのではないだろうか。


はぁ。


「うーん・・・任せるよ。」
そんな諦めにも近い何の参考にもならない返事をする。

「ほら、youくんじゃない。」
とMeちゃんはにまりと笑うのだった。


一連の痴話を公園の一角で繰り広げていた僕たちを知ってか知らずか、ただ爺さんの顔は、まるでどこかの小学校に置かれる創業者の銅像のように微動だにせず佇んでいた。
こう言っては失礼かもしれないが少々不気味な印象。
さっきは遠巻きであまりよくは見えなかったけど、よく見れば白いツナギに蝶ネクタイとシルクハットなんてアンバランスな格好は現代風とレトロ風を噛み合わせようとして失敗した先進的なファッションショーかのようだ。
さらに凄いのがこの寒いのにつなぎを上半身だけ脱いだ形でランニングシャツ一枚になっているところなんかはもうどうしてそんな事をしているのかと聞いてしまいたいくらいである。
そういえば大道芸って料金とかいるのかな?
他に客もいなそうだし、割に合わないんじゃ人形劇をやってもらうのも気が引ける。
やっぱりやめておいた方が良いかもしれないと思った矢先、

「お爺さん、人形劇見せてよ。」

なんてMeちゃんは予定通りお爺さんに声をかけてしまっているのだから危なっかしくて仕方ない。「ちょちょちょ」なんて言葉と共にMeちゃんの肩を引っ張るとやはりMeちゃんは不機嫌そうにこちらを睨み、小声で怒り出すのだ。
それは例えるなら映画館でうるさくする子供を慌てて叱り付ける母親のような感じだった。

(もう何?)
(待ってよ。よく見てみなよ。絶対やばいでしょこの爺さん。)
(大丈夫よ。大道芸見たことないの?こんなの普通でしょ?)
(いやいや、周り見てみなよ。誰もいないし。大体なんでランシャツ一丁なの。)
(知らないわよ。DASH島でも見たんじゃないの?寒けりゃ着るでしょ。)
(そういう問題か?)
(とにかく私は人形劇が見たいのよ。何?見たくないの?人形劇。)
(いや別にそういうわけではないけどさ。)

そう。確かに僕は人形劇が見たくないわけじゃない。
もしこれでMeちゃんの機嫌が直るというのならばむしろ大賛成だ。
然しながら、全く持ってどうしてか。
直感が言ってくるのだ。
この爺さんはやばい。と。
その感情をうまく説明出来ないけれど、
強いて言うなら、銀行にピストルを持った人がいたとしよう。
それは誰の目にもその人は強盗だと判断できる。
だけどそれが包丁だったら?
カッターナイフだったら?
ホチキスだったら?
つまりは持ってる道具で人が殺せそうかどうかという問題にすり替わるわけだけど、結局のところ、どんな道具だって使いようで人は殺せてしまう。
じゃあその道具で人が殺せると思える起因は?
例えば包丁。
包丁は本来料理をするための道具で、その使用用途は肉などの食材を切る事だ。
そんなもので首でも切った日には頸動脈は切れて血が吹き出し、結果、絶命してしまうことになるのは想像に難くない。
ただ『絶命してしまう』ってのは別に実際に僕が人の首を包丁で切ったことがあるという直接的な経験則ではなく、そこはあくまで想像の産物である。
ここで一つ考えて欲しいのがその想像は一体どこから来たものなのか。って事だ。
それは昔見た映画で得た知識なのか。はたまた失敗して指でも切ってしまったときの恐怖心か。
だけど、それを覚えている人間は少ない。なぜならそれが当たり前になっているからだ。
当たり前とは即ち、それで人が殺せそうだと思い至るまでの経験が日常の刷り込みという形でいつのまにか脳に蓄積されたものという事ではなかろうか。
結局のところ、この二次的な経験則は自覚のないまま刷り込まれているからたちが悪い。

僕が爺さんに抱く感情はそれに近いもので、とにかくやばいという二次的な刷り込み現象なわけだ。
なるほど。
すっきり。
って訳にはいかない。
だとするなら日常的に寒冬のほとんど誰もいない公園でランニングシャツ一枚で人形劇をしようとする爺さんが人を襲ったか騙したなんて思える二次的経験側ってなんなんだ?

そんな事を考えてはウンウンとうなされてる僕を見てか、気づけばMeちゃんの顔は何だかすごく呆れている。

「ほんと、尊敬するくらいの優柔不断っぷりよね。」

と付け足す彼女。
まあ、否定はしないよ。そんな残念そうに僕を見ないでほしい。
でも気になるじゃないか。答えがないのって。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【小説】キミと僕と道化師と

西尾維新さんっぽく小説を書いてみるw
続きは書いてくれる人求むって事でw

閲覧数:221

投稿日:2018/02/02 16:54:06

文字数:2,958文字

カテゴリ:小説

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