「で、レンくん」
帰宅した途端に部屋の中に発見した、見知った顔。
目が合った瞬間に臨戦態勢に入ったその小柄な金髪少年に対し、カイトは疲れた声を出した。
「僕大学から帰って来たばっかりなんだけど。あと、鍵どうやって開けたの?」
一方、少年―――レンはそんなカイトを気にもせず、鋭く尖った声を放つ。
「このタイプの鍵なんて付いてないも同然だから変えれば?さっさと茶くらい寄越せ」
「おお、横暴さがめーちゃんを凌駕しそうな勢いだね…まあ、はい、お茶です」
「お前の煎れた茶なんて飲めるか。下げろ」
「いいもん自分で飲むしね!別にめーちゃんにもがっくんにもレンくんにも心の傷をスルーされて淋しがってなんていないよ!」
レンの言葉に、ぶつぶつと文句なのか心の傷なのかよくわからない言葉を呟くカイト。少しばかり涙目になりながらもお茶に口を付ける姿には、哀れを誘うものがあった。
特にフォローするつもりも追撃するつもりもないようで、レンはただ黙ってカイトの様子を眺めている。
部屋には暫しの沈黙が満ちた。
「…改めてレンくん、久しぶり。前に会ったのって一年くらい前だったよね?どうしたの?」
やがて気を取り直したカイトはレンに笑いかける。
その言葉を聞き、レンの顔が曇った。
本当は他の誰とも話などしたくない。ただ、このへらへらした男が物知りなのは確かであり、その智恵を借りることが出来るのならそうした方が良いのではないか―――そう思ってここまで来たのだ。
「リンが不安定になってるみたいなんだ」
「えっ」
ぱちゃん、とカップの中で液体が揺れる音がした。
流石に驚いた顔をするカイトに、レンは省略した形で自分の得た情報を説明した。ミクオの逃走劇についてはカイトも多少知っていたらしく、逆に必要でもない説明をされてしまったのは誤算だった。
―――というか、昨日今日の話だっていうのに、この万年花畑男は何処から情報を仕入れて来るんだか。
今一つ信用できないものを感じながら佇むレンの心の内など知らず、カイトはカップの中身を飲み干してから考えを述べた。
「じゃあ…自己同一性の認識が鍵になったんだろうね。暗示を解いてあげればまた安定すると思うよ」
「嫌だ」
レンの率直な拒否にカイトの顔がぽかんと緩む。
「え?」
今なんて?と聞き返すカイト。レンはもう一度同じ事を口にした。
「嫌だ」
「レンくん、でも」
挟まれた言葉の先を読み取り、被せるように口を開く。
「分かってる。でもリンの生活は幸せであるべきだ」
「…幸せ?」
ふい、とカイトが人差し指を立てる。何を言っているのか分からない、と言う顔で。
その指は真っ直ぐにレンに向けられた。
「レンくん…分かってるんだよね?」
自分達は、一人では幸せにはなれないと。
「でも、俺はリンに知らせたくない」
片割れの事になると途端に感情的になるのは、どれだけの時間が経とうと変わることがない特質の一つ。レンにしろミクオにしろそうだ。
そして、その片割れも、また同じ。
カイトは溜息をついた。
その感情は分かる。しかし今それを言われても困ってしまう。
結局、彼はあくまで客観的な事を述べるに留めた。
「でもこのままならいずれ破綻はやってくる。どうなるだろうね」
「他人事みたいに言うんじゃねえ」
一瞬で距離を詰めたレンがカイトの胸倉を掴む。
睨み上げる瞳には紛れも無く殺意の青い炎が点っている。
全てを焼き尽くす、怒りの炎だ。
しかしカイトは動じる事なくレンの手を自分の服からもぎ取る。「痛いよ」と口にはするものの、痛がっている様子は欠片もない。
そして、何の躊躇いもなく言い放った。
「ごめんね、僕には実際他人事だから」
「そうかもな。リンは俺の片割れだ。お前の片割れじゃないんだから、どうなったって構わないんだろうよ」
「そうそう」
レンが言葉に含ませた刃にも、カイトは何の痛痒も感じさせない笑顔で頷く。
―――気色悪い奴。
レンは奥歯を噛み締めて、心の奥で吐き捨てた。
冷酷な言葉を口にしているはずなのに、カイトの顔に罪悪感は見られないままだ。当たり前のような顔で相手を突き放す。
同類の中でも、哀れに思いこそすれ好きにはなれない人物。それがレンのカイトへの評だ。
片割れの話になったのを受けて、カイトは机から引き出された椅子に座る。そして、部屋に置かれているガラスの水槽の一つを手の甲でこんこんと叩いた。
ノックするようなその仕草。
しかし水槽の中からの答えはない。
「僕には固定の相方がいないからね。かわりに皆が居てくれる」
ごく当たり前で、時に感動すら与えるその言葉。
しかしその言葉を聞いたレンは、眉を寄せて吐き気を抑えているような顔になった。
いや、実際に吐き気を抑えているのだ。
「…よくそんな事が言えるよな」
「慣れの問題だと思うけど」
当たり前のような顔でカイトの指が撫でる幾つもの水槽達。
それらの中には、それぞれに幾つもの管に繋がれた人間が封じ込められていた。
男性もいれば女性もいる。大人もいれば子供もいる。中には上半身だけのものや、人としての形を成していないものさえ存在した。
観賞用か、と冗談にするには余りにもシュールでグロテスクなそれらを、カイトは当たり前のように笑顔で眺めていた。
常識や普通といった概念を細切れにするような、正常過ぎて異常な瞳で。
「んー、レン君は嫌いかもしれないけど、そもそも皆ここから出ては生きていけないんだよ」
「生きていく、ね」
レンは皮肉に唇を歪めた。
確かにここにいる限り、彼等の生命活動は止まらずに済むだろう。
ただ、人間として生きているのかと問うなら―――…
「僕が異常だって言うんなら、片割れの人数を増やしすぎても意味がないっていう事なんだろうね。バランスが問題か、って言われたこともあるし。でも、日常生活を営むことが出来るくらいは安定してるよ?」
「あ、そ」
こいつはどう皮肉っても無駄だ、と確認したレンは話題を変える。
どうでもいいことではあるが、知っていて損はない話題に。
「メイコは?」
馴染みの名前にカイトの顔が明るくなる。彼はその笑顔のまま、家族の健康を自慢する子供のような声で答えた。
「安定してる。リンちゃんが不安定だって事なら、今現在めーちゃんが一番成功してるかもしれないよ」
「…」
複雑な顔をしてレンは黙り込む。
カイトは持っていたカップを指先で弄りながら、静かに尋ねた。
「皆を忘れて生きてるのが許せない?」
「…」
答えはない。
しかし、それが何より雄弁な答えだった。
カイトは溜息をつき、咎める口調になる。
「ダメだよレン君、それをめーちゃんに言いたいならまず同じ事をリンちゃんにも言わないと」
「分かってる。だから何も言ってない」
「うん。それが良いと思うよ。でも不思議だよね、めーちゃんはちゃんと一人で安定してるんだよ?」
「…さあ、それはどうだか」
心底嬉しそうな言葉を聞き、レンは嘲笑の形に唇を歪めた。
レンは気付いている。ならば、カイトだって気付いている筈だ。
メイコはけして一人で安定しているわけではない。
彼女がかつて失ったものが、記憶を失った今でも彼女を支えている―――単にそういうことなのだ。
―――まあ、確かに一番人間らしいっちゃらしい状況だけどな。
それでも「一人で安定している」訳ではない。
だから、真に一人で安定していたと言えるのはかつてのミクだけ。ミクオと引き合わされる前のミクだけだ。彼女は既に完成されていた…だから一番のナンバーを持つ。
しかし、彼女は自分の片割れに出会い、均衡を失った。
ミクはそれに気付いていない。
ミクオはそれに気付いている。
暗い気分になりながら、レンは部屋を見回した。
参考書やノートといった、学生らしいものが丁寧に片付けられている机の周辺。
何語だか良く分からない表題の本が詰まっている本棚。
そして、それらの接していない壁の全てを覆い尽くす―――水槽。
互いに似合わない三つのものが混ざり合い、不気味な空間を作り出している。床の柔らかな絨毯が可愛らしいクローバー柄なのも視野に入れると、更に異常だ。今更ながら薄気味悪いものを感じ、レンは手を握り締めた。
「なんか、この部屋の事警察に通報したらお前を逮捕して貰えそうだよな」
「そうかもね。でも僕の口が滑ってリンちゃんまで巻き込んじゃうかもしれない」
「おい」
「あはは、怖いなぁ。まあレン君がちょっかい出してこなければ僕も何もしないよ」
カイトは両手を広げる。芝居じみた動作だが、彼には良く似合った。
そして彼は笑顔を浮かべる。
どこまでも穏やかで優しい―――だからこそ異常なカイト特有の笑顔。
笑い顔、ではない。そこには正の感情も負の感情もなく、ただ「笑顔」という名の得体の知れない表情が存在していた。
「僕は皆と穏やかに暮らしたいだけなんだから」
「…悪い冗談にしか聞こえねえよ」
悪態にもカイトは肩を竦めるだけだ。
「で、今日のレンくんの訪問の目的は僕への質問、っていうか相談、って事で良かったのかな?ごめんね、あんまり力になれなくて」
「好きなように取れよ。とにかくリンは巻き込むんじゃねえ」
素っ気なく返すレンに、彼は少しの間何かを考え…やがて、「だよね」と結論を出して小さく頷いた。
そして椅子を回してレンの方へと向き直り、にこりと笑いながら口を開く。
「えーと、レンくんにお知らせがあります」
「は?」
いきなり何を、と眉を寄せるレンに視線を合わせ、カイトは世間話をするように続けた。
いや、実際にそれは世間話に間違いなかった。
「来月、うちのサークルの出張演奏会があるんだよ」
「そうかよ」
「…えっ、分からない?」
その言葉に含まれた微妙なニュアンス。
それに気付き、レンは勢いよく顔を上げた。見開かれた目が、目の前の姿を凝視する。
「…まさか」
どこか戦慄を感じさせる声が唇から漏れる。それを聞いたカイトは何度か頷いた。
「うん、多分そのまさか」
水槽の内部電気に照らされたカイトの姿はまるで舞台照明を受けているかのようだ。
彼は机の上に置いてあったパンフレットを取り上げ、レンに見えるように広げて見せた。
そこには、はっきりと二つの学校名が記載されている。
「僕たち冬橋大学合唱団の出張先は、九里大学附属東中・高等学校合唱部」
「お前ッ…!」
間髪入れずにレンの鋭い蹴りがカイトを襲う。
カイトはそれを、手にしたカップを投げ捨てて椅子から床に転がることで回避した。
流石にその顔には驚きと焦りが見える。
「ちょ、待ってよ!僕は全然関与してなかったからね?決まったとき、相手校の名前聞いてかなり驚いたよ」
「反対しろよ!」
距離を詰めて蹴りや拳を放つレンと、紙一重ながらもそれをすべて躱すカイト。
地の利か、或いは力量の差か。
「説得とか僕には無理だったし!」
「説得?何言ってんだよ。反対しまくって最低謹慎最高退部、だっつの」
「処罰されるの前提!?うわ、レンくんまた拳が重くなってない?」
「どーも。生憎俺はブラックな世界を渡ってる身なんで。平和ボケざまぁ」
「あ、レンくんも聞きにおいでよ。チケットあげるよ?」
「寄越すだけ寄越せ。行くか行かないかは後で決める」
にやり、と獰猛な笑みを浮かべるレン。
その踵を避けながら、カイトは笑顔に少しだけ苦笑を混ぜた。
―――やっぱり、変わらないものだね。性格っていうのは。
同時に思い出す。
今自分と渡り合っているのはまだまだ幼い子供なのだと。
「くっ、ちょこまかとっ…!」
いらっ、と目付きを一段と険しくしたレン。
その僅かな動揺を、カイトは見逃さなかった。
「!?」
不意に白い平面がレンの顔に殺到する。
避ける間もなくそれらは顔に張り付き、視覚を奪い取る。同時に腕を後ろに捩り上げられ、レンは苦痛に顔を歪めた。
ようやく攻撃が止まり、カイトはほっと溜息をつく。しかしその手は脱力した表情とは逆に、加減などせずにレンの腕を捩り上げたままで止まっている。
「干してたタオルが役に立つとは思わなかった…あのさレンくん、喧嘩腰は止めようよ。僕とか肉体派じゃないし体力だってあんまりないし、そろそろトシだから辛いんだよ」
「まだ二十代だろ…っ、放せ!」
「いや、十代の若者に比べると老化を感じるんだよ、っと。あ、なんか切なくなってきた」
ぱっ、と拘束された腕を放され、レンはその場から跳ぶように距離を取る。
そしてそのまま野生の獣のように警戒した表情でカイトを睨んだ。
「帰る」
「そう?じゃあえーと、お体に気をつけてね。くれぐれも無茶しないように。その歳で道が途切れたら勿体ないでしょ?」
「…何だそれ」
ドアノブに手をかけたままこちらを胡散臭そうに見る、そのまだ成長途中の姿。
かつては自分もそうだったのだろうか。それとも、こんな時期はなかったのだろうか。
仄かに感傷を感じながら、カイトはしみじみと口にした。
「君達若者には未来があるって事だよ」
半開きのドアが吹き込む風に揺れる。
レンが去っていった後の部屋の中で、カイトは一人ドアのチェックをしていた。
「ピッキングって…鍵新しいのつけようかな、でもいくら掛かるのかなあ」
困ったような声に時折混じる溜息。その姿は節約を心がける大学生の姿以外の何者でもない。
しばらくの間鍵穴を弄り、鍵が合わなくなったわけではないことを確認してからドアを閉める。
その横顔は先程レンと対話していたときとは違い、かすかに愁いを帯びていた。
学生の入居者が多いこのマンションは騒ぐ少年少女の声が下層階から昇って来る。この建物の壁や床に防音効果は殆ど期待できない。
「……まあ、未来があるのが幸せだとは限らないんだけどね」
小さく呟かれた言葉は階下のざわめきに掻き消され―――彼自身の耳にさえ届くことはなかった。
友人同士で帰ってきたのか、騒ぐ少年少女の声が下層階から昇って来た。この建物の壁や床に防音効果は殆ど期待できない。
「……まあ、未来があるのが幸せだとは限らないんだけどね」
小さく呟かれた言葉は階下のざわめきに掻き消され―――彼自身の耳にさえ届くことはなかった。
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mikAijiyoshidayo
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