詩人陸機と、その詩「猛虎行」を私なりにまとめてみました。資料が少なかったり、漢文の解釈にほんろうされたりして、想像補完部分は多いかもしれませんが、理解の一助になれば幸いです。
「猛虎行」 成立年は不詳だが、おそらく晋に仕官し始めてからの作。
<原詩>
渇不飲盗泉水 熱不息悪木陰
悪木豈無枝 志士多苦心
整駕肅時命 杖策將尋遠
飢食猛虎窟 寒栖野雀林
日歸功未建 時往歳載陰
崇雲臨岸駭 鳴條随風吟
靜言幽谷底 長嘯高山岑
急絃無懦響 亮節難爲音
人生誠未易 曷云開此衿
眷我耿介懐 俯仰愧古今
<書き下し文>
渇すれども盗泉の水を飲まず
熱けれど悪木の陰に息(いこ)わず
悪木には豈(あ)に枝なからんや
志士は苦心多し
駕を整えて時命を肅(つつし)み
杖(むち)を取りてまさに遠く尋ねんとす
飢えては猛虎の窟(あな)に食らい
寒ければ野雀の林に栖(す)む
日歸(おもむ)いて功は未だ建たず
時往(ゆ)いて歳は載(すなわ)ち陰(く)る
崇雲(しゅううん)は岸に臨みて駭(おどろ)き
鳴條(めいじょう)は風に従って吟ず
靜言(せいげん)す幽谷の底
長嘯(ちょうしょう)す高山の岑(みね)
急絃には懦響(だきょう)無く
亮節(りょうせつ)には音を為し難し
人生は誠に未だ易からず
曷(いずく)んぞ云(ここ)に此の衿を開かん
我が耿介(こうかい)の懐(おもい)を眷(かえり)み
俯仰して古今に愧(は)ず
<現代語訳>
のどが渇いても、「盗む」という名の泉の水は飲まず、
熱くとも、「悪」という名の木の下には休まない。
「悪木」に日よけとなる枝がないわけではないが、
志の高きものはあれこれと思い悩むものである。
馬車を整えて、時の帝の命令を頂き、
鞭を手にして、いざこれより遠くへ。
飢えたときには猛虎のすむ洞窟にに食を求め、
寒い時には野雀の住む林にも泊まる。
日は過ぎてゆくが、いまだに何の功績もなく、
時は流れ、もう年が暮れてゆく。
高い雲は崖のふちより立ち上り、
鳴る枝は風の吹くままに歌う。
深い谷の底で思いを巡らせ、
高い山の峰に長く口笛を吹く。
張りつめた琴の絃から、低く鈍い音は出ぬが、
貞心の節は、言葉に調べに表せない。
人生は、誠に容易なものではない。
どうして此の衿を開いて休んでいられようか。
我が心に抱いた独立不遜の思いをかえりみ、
俯しつ仰ぎつ、古今の人に恥じ入るばかりである。
初めの二句は、孔子の故事の引用。そのように立派に生きたいということ。「飢えては猛虎の~」より、その志に反するという悔しさを表す。「猛虎の窟」「野雀の林」は権力者やけがらわしい人物を表すのだろう。
「耿介」は、かたく志を守って譲らぬこと。詩人としては誇りだが、政治生活の中ではうとまれるものでもあったろう。
陸機(りくき) あざなは士衡(しこう) 中国西晋時代の詩人
呉の名族陸家の出身 祖父に陸遜、父に陸坑を持つ
261(0) 陸抗の四男として誕生
274(13) 父・陸抗病死・兄弟で父の兵を継ぐ
(この間に三番目の兄が死亡か)
280(19) 戦で二人の兄を失う。祖国呉が晋に滅ぼされる。
| この間、弟とともに故郷に籠る。
290(29) 周囲の説得に応じて晋に士官。
|
301(40) 陸機の仕えていた趙王司馬倫、帝位簒奪を狙うが誅殺される。
側近であった陸機は周囲の計らいによって罪を許される。
303(42) 讒言による謀反の疑いをかけられ、処刑。
弟、息子も連座して、陸家直系の血も絶えた。
「Wikipedia「陸機」参照。」
父が亡くなる直前まで心配し、兄が死んででも守ろうとした祖国。
その祖国を滅ぼした国に仕えるとき、彼は気持ちだったのだろう……。
故国にいる間は同郷の士に畏れられていたが、晋に仕え始めてからは呉出身の人士のリーダー的存在となっている。
儒学に親しみ、礼に外れることはなかったという。また、相当に負けん気の強い人物であったらしく、たびたび晋の官人と衝突している。(まあこれは呉の方言を馬鹿にされたり、祖父や父を嘲られたことに起因するが)それが、彼の不運な最期を招いたのかもしれない。
猛虎行用資料
http://piapro.jp/content/wmca3jbx67twt261のための資料です。
漢文の現代語訳などのご参考にしてください。
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