どうも、僕です。
本日、『僕と彼女の不思議な日常』シリーズを完結できたことをご報告させていただきます。
去年10月から多少の休載を挟みつつ、リレー小説の形式で全五十四話と相成りました(日常編十四話、校内探検編三十話、世界編十話の計算となっています)。
リレー小説の形式としては三作目となっています。ボーカロイドを基に書いた作品では二作目になります。楽しく書かせていただきました。
話の始まりといえば、去年の十月。現在の相方さんと意気投合し、リレー小説を作り始めたことからです。僕が『僕と彼女の不思議な日常』というタイトルを作り上げ、相方さんが一話を書き上げ、そして僕が二話を……。至って普通なリレー小説です。
実は元はこの作品、学校内で決着をつける話にしようと思っていたのです。ストーリーからするなら六~十話ほどの長編とそれに挟むように短編という感じでストーリーを補完していく――そんなことをしていくつもりでした。
しかし、だがしかし。僕は話を膨らませていくうちにもう一つの『僕と彼女の不思議な日常』、つまりは現在に至って画かれた作品ですが、それが今の話につながってます。
話の解説とさせていただきます。大分長いので分けるかもしれません。ぜひ。
まず日常編。「こんな世界ツマラナイ」という初音の発言を軸に物語は進行しています。地球プラネタリウム理論は僕が考えたもので(インターネットで調べましたがそんなものはありませんでした)、この作品オリジナルの設定です。後々こういうのが生かされていきます。話としてはまだ初期構想の方が根強く残ってます。神威の設定もまだ曖昧な点が多く、『なんかいろんなことに巻き込まれる一般人兼主人公』みたいな。そんな感じで書いてました。
そんな作品も転換が見られます。六話あたりでしょうか、『神のすごろく』なるものが登場し、以後話はこれとカミサマの存在を軸に連載されていきます。世界とはなにか、カミサマとはなにか……。そんな風に紡ぐメッセージを『初音』=カミサマに成り上がろうとするヒト、と『神威』=ただ世界の全てが知りたいだけのヒトに詰まっています。
物語も十二話で佳境を迎えます。なんと初音がカミサマになるため、神のすごろくを操ろうとしたわけです。
神のすごろくとは世界六十数億の人間ひとりひとりにコマが与えられ、その人生そのものがカミサマの振るサイコロ、そして長い間箱庭に存在していたすごろく本体によって決められます。無論そこにその個人の意見や権利等は存在しません。
初音は他の存在(例えそれがカミサマみたいな普遍的でない存在だとしても)に人生を操られることを許せなかった、というわけなのです。
だから初音はカミサマに抗った。なぜ彼女がすごろくを知り得たのか、それは後ほど。
だが世界は(この場合は神のすごろくが、のがただしいかもしれませんが)神威をカミサマとすることを選択したのです。
神威は作品上では“ただ世界の全てが知りたかっただけの”一般人なのです。主人公だから、そんなチープな理由でカミサマにさせたわけでもありません。ただ、ひとつだけの理由(信念といったほうがいいでしょうか)があるのです。
既に僕の脳内では初音は最初のカミであり、神威をカミにすることは決定事項でした。それはストーリー進行に問題があったわけではありません。
ただ、『不思議な日常』であることで全てを片付けてしまう伏線でした。
神威は『ただ世界の全てが知りたかった』だけなのです。それ以上は何も望んではいなかったんです。
日常14話最後では1話のシーンを使っているのは単にオチが思いつかなかったわけではなく、そういうこともあったわけなのです。
次は、校内探検編ですが、量が多いので別に投稿とさせていただきます。
(つづく。)
僕と彼女の不思議な日常 解説1
解説してみました。いろいろわからないところがあると思いますし!
(これは僕自身の考えで相方のゆるりーさんの考えとは異なりますのでご了承ください)
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