知性人、工作人、遊戯人とは言うものの、どうして「無能人」を提唱する者がいないのか。やはりここが、ホモ=サピエンスの傲慢の証であろう。勿論、私もその一人であることは重々承知した上での話をする。
 ホモ=サピエンスの大きな特徴に、「自らを他の存在と激しく差別化しようとする」ことが挙げられる。自己の確立、と言えば良く聞こえるかもしれないが、暫くすると彼らは、要らぬ知性で「他の存在を蔑み始める」のだ。例えば、生物全体について高等・下等と位付けをし、あろうことかホモ=サピエンスを高等生物に位置づける。全くもって謎である。
 その位付けという行為は、人々の精神の深部で暗躍する。何をするにもまず自分の利益を優先して、それを当然かのように振る舞う支配者が現れてしまった。そう、これはホモ=サピエンスー他の生物間のみの問題ではないのだ。私は、人間の種族内紛争の主な原因はこの、「位付け」にあると考えている。
 思想家は、どの時代においても政治に一定の変化をもたらして来た。その強固な思想によって、私たちをより自分の思想に近づけるために声をあげる。そして、恐ろしいことに、彼らの声はその他の声よりも響く。まるで真実かのように聞こえる時がある。私たちはそれに流されるための存在ではなく、むしろ反発によって新たな体制や考え方を生み出す能力を有する、権威ある一般市民なのだ。私は、その一人として「無能人」という発想で反発したい。ホモ=サピエンスは他の生物と何ら変わらない。そうだろう。
 自分という存在の位置情報を知ることはとても大切なことだ。しかし、その過程で他を排したり貶めたりする必要はないだろう。皆が等しく自由な生き方をする。そう考えることは、もっと大切なことだろう。この世界を、何人も排される可能性を持つような恐ろしい世界にしないために、驕るな、堕ちるな。我々は「無能たる地球生命」なのだから。

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無能

45分で書いたエッセイです。
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投稿日:2022/05/27 06:12:56

文字数:793文字

カテゴリ:その他

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