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歌詞解説
(イントロ)
ときの声をききはじめて  
(時と明智の出身である土岐氏にかけて)
歩き続けた峠の山道
(結婚して3年ほどたって明智は住んでいた城を出て急な坂を越えます)
妻を背負いて急な坂ゆけば
(光秀は妻を背負い、家臣が代わりましょうと申し出ても代わらなかったといいます。)
思い出すは出...

光秀奇譚

ないとう

ないとう

曲に歌詞を付けました。

明智光秀→千利休→天海+春日局
による国造りの話ですが、

前半は明智光秀と妻煕子の感動のラブストーリーです。

光秀が千利休に転身した話は実は近世になって茶道の家元が告白している記録があります。

近年よくいわれるように一族を犠牲にして謀反をおこすのはよほどのことで、おそらく織田信長が禁裏つまりいまの皇室にとってかわって権力を手中に収めようとしたからではないかと考えられます。

光秀は文武両道で似顔絵をみてもわかるように端正な顔立ちをしています。一時の逆上というのはちょっと考えにくいでしょう。

竹やりで刺されたのは身代わりでした。

そして利宗易としばらく二人一役を演じたのではないかと思われます。

茶室は武具を外して密談するにはもってこいの場所です。

大陸進出は実は織田信長の時代から光秀が提示していた策でこれは当時日本を侵略しようとしていたポルトガルやスペインに対抗するためであったといわれています。

織田や豊臣は私欲がごっちゃになってしまったようですが、やがて光秀であることはばれそうになり、切腹させたとしてまたもや身を隠します。

天海という僧侶の身分を使い徳川にあい、関ヶ原を勝たせます。

小早川の部下の一人にのちの春日局の夫がおり、徳川につくように工作したといわれています。

春日局は実は明智光秀の家臣斎藤利三の娘であったということは知られています。

斎藤利三かあるいはその妻のどちらかに明智の血筋が入っており、明智光秀とは血縁関係にあり、光秀から指導を受けていたとも言われています。

彼女はやがてもとの夫と離縁して光秀の乳母となり、家光を育てます。

家光の本当の母がこの春日の局ではないかといわれています。

家光の名は家康と光秀の文字をとったものといわれてもいます。

家康が光秀にそこまで恩義を感じるのは、本能寺の変を事前に知らせていたからではないかともいわれています。

秀吉の子供秀頼は実は秀吉の子供ではなく、大野という家臣との間にできた子供であったのではないかといわれてます。

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