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 涙祭(なみだまつり)   作詩・作曲 山本新
砂を運んで山つくれ 浜から運んで山つくれ
爺さん ぽつりと言ったよな 村の祭りにゃ雨が降る
どこか切ない笛の音 静かに濡らす雨
婆さん ぽつりと言ったよな お宮の山が泣いている
津波で死んだ村人が お山に眠ってる
死んだ村人 葬った 砂の山に お宮を祭...

涙祭(なみだまつり)

とんちゃんPF39

とんちゃんPF39

この文章は、伝説と残る風習と、一部の史実をもとに、想定で書いています。
真相は、わかりません。

約950年前、ある神主がこの地に神社を建てました。
そこは、海面が高かった大昔、海底で形成され、
その後、海面が下がり陸上に現れた浜堤と呼ばれる高台でした。

1498年 明応大地震発生。大津波がこの地を襲いました。
もともと淡水だった浜名湖(遠つ淡江)が太平洋と繋がってしまいました。
犠牲者となった多くの村人達は、高台に葬られました。、

1854年 安政大地震発生。大津波がこの地を襲いました。
先の明応大地震より小規模でしたが、周囲の村で多くの犠牲者が出ました。
一部の村人は、この神社の高台に登って命をつなぎました。
生き残った村人達は犠牲者となった村人達を、この神社の高台に葬り、
更に高く土を盛って津波の避難地にできるようにしました。

神社の高台に盛る土は直近の砂浜海岸から運ばれました。
浜から砂を運ぶ風習は今も残り
「浜垢離(はまごり」とよばれています。
正月や秋の例大祭で行われています。
地元住民の中には浜から持ち帰った少量の砂を玄関先に盛る風習が見られます。

毎年秋に行われる例大祭では、直径1m超えの大太鼓を積んだ屋台(山車)を
繰り出し、祭囃子と共に、地区を廻ります。

宵祭、本祭の2日間で行われる祭りには、なぜかどこかで雨が降ります。
地区の爺さん婆さん達は、
「神社の山に葬られた、津波の犠牲者達が泣くから」
と、言っています。

祭が今も続いているのは、昔、被災したことを乗り越えてきたからです。


ニコニコ動画 投稿作品四回目 涙祭(なみだまつり) 2019. 8.18
https://www.nicovideo.jp/watch/sm35559686
作詞・作曲:山本新  歌:初音ミク