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「小次郎伝説【重音テト】」の創作に利用した作品

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小次郎伝説【重音テト】

ないとう

ないとう

 巌流島の決戦には異説があります。

  長い木剱を使っていたのは小次郎の方でこれは佐々木家が伝承していた日本最古の秘伝の剣をかたどった木剣で、船の櫂に似ていました。

 小次郎は武蔵の仕組んだ弟子同士のいざかいに巻き込まれ、決闘を挑まれ、やむを得ず試合に赴きました、武蔵は時間より早くきて多勢で真剣をもった大勢の浪人たちを前に押し出して待ち伏せしていました。

 船に乗って後から来たのは小次郎で、小次郎を載せたという船守の伝承があるのです。小次郎は待ち伏せを知っていて自らの死も予感していました。船守は逃がそうとしましたが、小次郎は約束を守る決意をしていたといいます。

 島につくと大勢の浪人は襲い掛かりましたが小次郎の剣法は身体と剱を回旋させながら独特の切り返し(燕返し)を伴って相手を次々と跳ね飛ばしました。群がった浪人たちは次々と投げ飛ばされていったといいます。

 ただ浪人たちは投げ飛ばされても大きなダメージを受けませんでした。小次郎は相手を傷つけることを嫌ったのです。
 浪人たちはまた襲い掛かっていきました。そしてまた投げ飛ばされる。

 そのうち浪人たちはくたびれて、しばし間をあけました。小次郎は手があくと、剱を天に向けて祝詞を唱え動きをとめました。

      ・・天剣・・

 そして、岩陰に隠れていた武蔵を一瞥。ほほ笑んだといいます。

 小次郎は神伝の剣法を見せ、武蔵に殺人剣との違いを見せたのです。

   武蔵はこの時はじめて「我誤てり」と呟きました。

 浪人たちはこの時とばかりに襲い掛かりました。今度は小次郎は抵抗せず、切り殺されたといいます。
 

 試合をみていた人たちからは小次郎の神業と潔さに感銘を受け、この島を小次郎の剣法の通称である厳流島と呼ぶようになりました。そしてこの決闘を「厳流」島の決闘と名付けました。

 本当に負けたのが小次郎なら負けた者の剣法の名を島に残すでしょうか。

 この決闘以後武蔵の人生観が変わり日本全体で決闘がなくなっていったといいます。

 実はこの伝承のもととなった木剱は実在し、戦後稀代の武道家が発見しました。そしてこの剱をもとに小次郎の剣法を再生しました。

 この話はその弟子が語ったものです。
 
 動画又は絵にこの曲を添えられるといいな。