数学はさ、前提が決まってて、結論も決まってる。
しかもだいたい一つだけ。そしてみんな同じところから出発して、同じところを目的地として旅をするんだけど、一人一人行き方が違う。目的地の方向に向かってまっすぐ進む人もいれば、紆余曲折して、いろいろなところをまわってから目的地に向かってのんびり向かう人もいる。そして目的地に着いたら、着いた人たちで、「自分はこんな風にしてたどりついたんだ」って言い合って、誰がすごいかを決めたがる。(特に学者なら一番速く到着するルートにこだわる人が多い。)

国語はさ、前提はあるけど、その他は何も決まっていない。
どのルートを通って、どこに行こうが、自由なんだよ。本当は。
だけど、偉い人はなぜか、多くの人が行くところばかりを推奨する。
しかも幼い頃から。そしていつのまにか、他の道が存在しないような気になってくる。可能性を摘み取ってしまうんだよ。
私は自由でありたいから、よく、行き先もなくさまよっているんだけど、大人はいたるところで私を誘導してくる。それが一番嫌なんだよなあ。

数学は嫌いではないんだよ。
でも、私は自由にやりたいんだよね。
目的地が決まっててもいいんだよ、だけど、「いつまでにここにたどり着け」っていう制約があって、そこが好きじゃない。
まあ人生は有限だから仕方のないことなんだけど。
自由な世界が欲しいなあといつも思う。

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数学と国語についてのエトセトラ

数学と国語についてのちょっとした考察。

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投稿日:2016/04/30 00:11:36

文字数:588文字

カテゴリ:その他

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