『紫陽花の島』
その島は、紫陽花に輝く島だった。
初夏の雫に彩られ、蒼い花がそこかしこに瑞々しく咲いていた。
どこの島であったかは、わからない。
ただかつて…今は遠い日の昔、そこであった不思議な縁が…
今も尚、僕を包んでいてくれているのだと思う。
幻ではない…
だが、今となっては、何処であったのか、わからないのだ。
そういう意味では、最早、幻となってしまったと、言えるだろうか。
できることなら、もう一度訪れたい。
そして、その縁に感謝したいのだ。
あの紫陽花の咲き乱れる島に。
その日、僕はガイドに導かれ、そこに向ったのだ。
もう人が離れて久しい島だ。
だが、とりおり、こうして僕の様に島を訪れる人間がいる。
僕が向ったのは緑生い茂る森の向こう、ちょうど山を抜けたところ…
汗ばむ肌が、その森をぬけたとたん、涼やかな風になでられた。
「ここですよ」
ガイドは振り返って、にこりと僕に笑った。
豊かな自然のなか、そこは少し異様な雰囲気にも感じた。
誰も住んでいない、小さな家だ。
だが、誰かいる。
………居るような、気がする。
そういえばいいだろうか。
ついてそうそう、なぜか心が不安に揺れたのだ。
だがもちろんガイドは僕のそんな心情など何も知らず入口を示す。
―――パシャ。
僕はその家の全体をカメラにおさめた。
朽ちないようにと手入れされたためか、その木造の家…小屋といってもいいほど小さなものだが…その家は黒い、色をしていた。
柱も、壁も、屋根も、大昔からあるような、その黒。
そして入口は半地下になっていて、入口が上下に分かれている。
下の入口はきちんと表札があって、明るい木目に筆で名前が書かれている。
…漢字二文字で書かれているのだが、今の僕にはその名前が何だったか思い出せない。
そして半地下であるにもかかわらず、よく陽があたるのだろう、明るい光がもれているのがよくわかった。
対して、上の入口は、すぐ階段になっていて、そのまま二階へ上がるようだ。
だが、2階は閉ざされているのだろうか、入口の階段から真っ暗で…なんというか、あまり足を踏み入れたくない。
なんとなく、入ってはいけないような気がしたのだ。
のぞいてみても、やはり窓から何から締め切っていて、空気が濁っている。
「ここから入るんですよ」
そういってガイドが示したのは…上の入口だった。
僕は困惑した。
そんな暗闇に案内されるなんて…
だってこの『家』は、『そちらにはいるな』といっているじゃないか。
僕はたまらず無視して、下の入口を駆け抜けた。
「あ! ちょっと!!」
背中にガイドの慌てた声がする。
でも、無理なんだ。
案内してくれた事には感謝しているけれど、僕にはその入口はくぐれない。
そしてその入口を抜け、縁側まで抜けると……
驚いたことに、そこは島の一番高いところで、眼下には穏やかな波をよせる海が見えた。
そしてすぐ切り立った崖と、その周りを彩る緑の森。
青いそらから降り注ぐ陽光と、その光を弾く紫陽花たちが咲き乱れていた。
大きな、立派な株が、いくつも。
「すごい……」
僕は思わず呟いた。
汗ばむ肌に、潮風が心地良い。
ふと庭をみると、大きな仏像がある。
人間の、2~3倍ほどだろうか?
何時の年代に造られたものだろう。とても古い。
だがその仏像も蒼い紫陽花たちにかこまれて、瑞々しく輝いてみえたのだ。
自然と、僕はカメラにおさめたくなり、シャッターをきった。
屋内からカメラを向けた所為だろうか。
フラッシュが焚かれた。
おっと。
外に出てからにすればよかった。
と、思ったその時。
ぱちり、と大仏が瞬きをしたのだ。
「あ。すみません。眩しかったですか?」
瞬きをしたことに心底びっくりはしたのだが、何故か僕はそれを自然に受け止めてしまっていた。
不意にシャッターをきられ、しかもフラッシュまでたかれたのだ。
さぞビックリさせてしまったことだろう。
僕は素直に謝った。
大仏も答えてくれた。
『いやいや』
なんでもない、というように笑った。
それより、と大仏は僕のとった写真を示した。
『そちらに映っている彼女のほうが』
「え?」
するとどうだろう。
紫陽花に彩られた大仏の横に、観音様が浮かび上がってきた。
「あ」
そしてその観音様は、みるみると一人の女性の姿へと変わっていった。
後ろで束ね、そして少し上で束ねあげた髪はそれはとても艶やかで。
凛とした中にも清楚な美しさをたたえていた。
「―――……」
後に、僕はその女性と出会うことになるのだが、その時の僕はまだ…
何も知らなかった。
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